2006.5.5

神々の降りたまう地

1.神の国(プロローグ) 2.大正池 3.田代池 4.河童橋へ 5.最終章


<松本から国道158号を>

中央自動車道を松本インターで降りると、上高地へのルート158号はいったん西南西に向かい、奈川瀬ダムを南の底にして今度は西北に進路をとります。松本から上高地までの距離は地図の上で49.3キロ、前半は田植えの準備にとりかかった田園風景が広がり、後半は梓川の作る深い渓谷が、つかず離れず左右に展開しています。

昨年3月には塩尻から、猛烈な吹雪のこの酷道を、安房峠越えで高山まで走りました。あのときはしんどかったけど、この日は天候に恵まれてあの困難は想像すべくもありません。「奥飛騨冬景色」へ

乗用車で来れば沢渡(さわんど)集落で乗合バスかタクシーに乗り換えなければいけないのですが、孤独なバスの一人旅は居眠りをしている間に前川渡も沢渡も通り過ぎていました。実は東京からのバスツアーに、ママさんが急用のため参加できず、ひとりで参加したというわけです。

バスは短い隋道をいくつか通り抜け、安房峠の手前で高山方面と道を分け右折します。山道はいよいよ険しく、上高地への入り口・釜トンネルは狭くて暗くて曲がりくねりの多い隋道。

 その昔、このトンネルが開通する昭和8年以前は、はるか手前の島々から徳本(とくごう)峠をえっちらおっちらと苦労して越えるしか方法はなかったのです。したがって体力に自信のない方は上高地を体験することができなかった。「河童」を著した芥川龍之介も、昭和2年に奥穂高岳槍ヶ岳縦走を敢行した秩父宮殿下も徳本峠を越えて入山したのでした。

 釜トンネルを抜けると突然前が開け、車窓の風景は激変します。標高が上がっているにもかかわらず谷間は大きく口をあけ、穂高連峰を水面に映した大正池が眼下に広がってきます。

 わたしはここでバスを降り、歩くことにしました。



大正池から冷然とそびえる穂高の山塊を眺望

<大正池>

 大正池は、大正4年(1915)6月6日に焼岳が大爆発を起こしたとき、火口からの泥流が梓川をせき止め、一夜にして生まれた湖です。

 水没した森はやがて立ち枯れて、水面に枯れ木が林立し、ここにしかない幻想的な景観を現出しました。また焼岳を逆さに映し出す静かな雰囲気は上高地名所のひとつとして人気を集めています。
 しかしかつては朽ちて立つ木々が、もう少しうら寂しさを演出していたように思っていたのですが、いまはそれらの木々が倒れてしまい普通の池になっています。

 それでも今年は雪が多かっただけに焼岳は冬景色をそのまま残し、寒々としています。



まったく冬の雰囲気の大正池と焼岳

大正池の周辺はそぞろ歩きのハイカーを除けばひっそりと静寂の世界を保っていました。木陰には雪がまだらに残り人の侵入を拒んでいるかのようです。明るい河原に出るとさすがに清清しい春を感じ取ることができます。正面の焼岳は真冬の厳しさをそのままに、急激な斜面を開いていますが、あの爆発という怒りの痕跡を改めて見る思いです。



まったき静寂の世界



逆さ焼岳を映し出す大正池

ここから北に向かう遊歩道は除雪が行き届かず、人の踏み固めたあとをたどることになります。当然日にあたらないで冷たく固まった雪はツルリと滑り、またズボっと踏み抜いてしまう深雪も残っています。ほとんどのハイカーは軽装備の運動靴で、多少の汚れを気にしなければこれで十分です。なかに革靴の方がおりましたが、いい悪いというより危険です。

<続く> 「その3田代池」へ

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上高地  その2