北陸紀行
「九谷焼」
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加賀の伝統工芸といえば「輪島の漆器」が秀逸である。
加賀前田家は百万石もの大藩であり、その財力を背景に、京からあるいは江戸から幾多の文人墨客を招いて文化の移植をこころがけた。茶道千家復活の折、宗旦の四男・宗室を招いて裏千家のスポンサーにもなった。そんな文化をだいじにする君主が為政する土地柄だから、食生活の基本となる優れた「焼き物」も当然なくてはならない。
この日はその「九谷焼」の工房を訪ねた。
<九谷焼のふるさと>
冬には交通も途絶える雪深い山間の村・加賀国江沼郡九谷村(現山中町九谷)が、九谷焼発祥の地である。「九谷」の地名をとって江戸末期より「九谷焼」と呼ばれるようになった。
その歴史を追いかけると、技術の源は佐賀・有田にあった。
明暦(1655年)のころ九谷の鉱山から陶石が発見され、大聖寺藩初代藩主・前田利治の命を受けた「後藤才次郎」は肥前有田に赴き、陶技を習得し九谷の地で窯を築いた。後藤は田村権左右衛門を指導し色絵磁器生産を始めたが、これが「古九谷」開窯(かいよう)とされている。
なお大聖寺藩という名前は聞きなれないが、寛永16年(1639)加賀藩から分藩独立している。
<名品・古九谷>
「古九谷」は加賀百万国の豪放華麗な美意識に強く影響され、独特の力強い様式美を築いていく。古九谷の色絵技法は、力強い線描の上に絵の具を厚く盛り上げるような方法で、色調は紫・緑・黄を主調とし、補色として紺青・赤を使用している。
なお「古九谷」は今も、日本で作られた色絵磁器の中でも、有田の「柿右衛門」、「古伊万里」、「色鍋島」や京都清水の「仁清(にんせい)」などと比肩されるほどに高く評価されている。
しかしこの華やかさも元禄(1700年)になって突如廃窯という道をたどることになる。後藤が没したためか、加賀藩の財政問題その他の原因か、明らかになっていない。
その80年後、文化・文政の時代、加賀藩営の春日山窯が金沢に開窯した。
これより「再興九谷」の時代に入り、春日山窯の「木米風」、古九谷再興をめざした「吉田屋窯」、赤絵細密画の「宮本窯」、金襴手の「永楽窯」など数多くの窯が出現し固有の画風(後述)を創造した。明治になると、洋絵具による細密に描きこんだ彩色金襴手の「庄三風」が著名となり、輸出もなされ、九谷の産業的地位も確立された。
<北陸固有の窯>
「九谷」は時の移ろいに沿って、時代背景や生活習慣の影響を受け、固有の作風が生み出され、その時代の画風が全て、長い時間を経て現代にまで継承されている。
どの手法にも共通することは、雪に閉ざされた長いときを丹精込め、忍ぶがごとく書き込んでいく細密画の絵付けに見られる。
また、古九谷に見る骨描きの線の鋭さは、まさに日本海の荒波に挑む力強さをもつ。この地に生きる人々の心情や生活を写実するかのように、九谷の持つ力強い重厚な味わいや色彩が生まれ、人の心に訴える。
<ろくろ師>
黙々とろくろを廻し続けるろくろ師に「写真を撮らせてもらってよろしいですか?」と、おそるおそる声をかけた。小さな声で「どうぞ。」と返ってきた。仕事の邪魔にならないようにそっとシャッターを押した。
横顔に刻まれたしわに、ろくろ生活によって培われた自信が見える。大きな手が土を愛でるようにやさしく包み込む。土が息づいている。そのしなやかな手さばきによって、生き物のように次々と湯呑が生まれる。その鋭い目の中に、絵もいえぬやさしさがのぞく。
<九谷の代表的画風>
■古久谷(KOKUTANI)・・・狩野派の名匠・久隅守景の指導により五彩を用い絵画的に完成された大胆で豪快な作風。青(緑)・黄・赤・紫・紺青の五彩を用い、絵画的に完成された表現力で大胆な構造、のびのびとした自由な線書き、力強い、豪快な深い味わいが魅力である。
■木米(MOKUBEI)・・・古九谷が廃窯され、約80年後、加賀藩営で金沢に春日山窯が開窯され、京都の文人画家・青木木米が招聘される。その指導により、全面に赤を施し人物を主に五彩を用いて描いた中国風のもの。
■飯田屋(赤絵)・・・赤により綿密に人物を描き、小紋等で全体を埋めつくし、処々に金彩を加えた赤絵細密描画。(赤と金の飯田屋)
■吉田屋・・・青手古九谷の塗埋様式を再興した。赤を使わず青(緑)・黄・紫・紺青の4彩を用い、小紋を地紋様風に絵具で塗埋(器物全面を絵具で塗り埋める)した重厚な作品。
■永楽(EIRAKU)・・・京都の名工・永楽和全による京焼金襴手手法で前面を赤で下塗りし、金のみで彩色した豪華絢爛な作風。
■庄三(SHOZA)・・・これのみが近代(天保から明治期にかけて)に確立されたが、産業九谷の主流となった作風。
古九谷、吉田屋、赤絵、金襴手など九谷焼の全ての手法を取り入れ、洋絵具を用いて細密に描きこんだ彩色金襴手。中間色の絵付に特徴がある。
当然ながら歴史的遺産は現代の工匠に受け継がれ、多くの作家が伝統技法を駆使しつつも新しい感覚で、斬新な作品を産み出している。
その味わいは素晴しいの一語につきる。
<続く>
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