尾瀬沼と大江湿原
   2005年6月17日 

<6/6> フィナーレ




序曲:尾瀬沼へのアプローチ沼山峠大江湿原燧ケ岳東岸・三平下フィナーレ

 「岩州の西南隅上州と接するの辺に一山あり、燧ケ岳という、海を抜くこと七千八百余尺、峰頭二つに分る、これを日光の緒山より望むに形貌すこぶる秀麗なり、その脈東北に走りて七千余尺の駒ケ岳を起し、南は脈を収めて、西南上毛の至仏山に対す。水は四囲の山より流れ下りて、一湖をなす、これを尾瀬沼という」

「尾瀬紀行」武田久吉 著 より

不気味な雲が


<帰路>

帰り道も、のらりくらりの歩行は変わらない。尾瀬を愛する人には理屈抜きで理解してもらえると思うが、木道周辺の小花をなにか見落としてはいないかと、目だけが息を抜けない。(この行為はバス停まで続いた)

尾瀬沼ビジターセンター13時30分、再び東岸に戻ってきた。
 トイレ休憩の合間にビジターセンターを覗いてみた。シンプルな作りで、壁に沿って尾瀬沼の成立ちや植生などを写真つきで解説している。展示物の中途半端さは否めないが、緊急時の避難小屋も兼ねているのでしょう、スペースはかなり広い。夏の雷や驟雨を防ぐには大いに役立つこと請け合いだ。

 このまま立ち去ってしまうにはあまりにも心さびしく感じたので、もう一度湖畔に立って周囲を見渡してみた。午前と午後のたった1時間の陽光の違いは、景観にも微妙な光と影を生じさせ、あれほど煌いていた光景がもはや過去のものとなってくすぶっていた。(やはり山は午前だ!)などとつぶやきながら東岸をあとにした。

 しかしながら逆光でその光と影を利用するのも悪くない。
 家に帰って撮った写真をチェックしてみると、(うん、素人でもなかなか!)といえるものも数枚出てきた。で、そのうちの一枚を。

逆の光の中で大江川


大江川で魚を眺めるハイカー浅湖湿原に寄っていこうと三叉路を沼尻方向の左に道をとった。大江川の橋上に人がたむろしている。ハヤ(ハエ)だろうかあるいはウグイの種類か、魚が群がっているのが見えた。かつて明治の時代にはざくざくと魚が獲れたのかもしれない。山国の会津地方には海の魚がなかったから、ここで獲れた魚を干して保存し、冬季の蛋白源の補給とした。「ボヤ」という名前で珍重されたという記録が残っている。

孤独な水芭蕉峠道を少し登ると、その高みから尾瀬沼と長蔵小屋が見渡せた。

 日の光が届かない林の中には、どこから舞ってきたのか水芭蕉がひっそりと咲いていた。孤独感があって、人間にたとえるなら村八分にされたまじめ人間のようで同情したくなってしまう。そのわりにはしおれる風もなく凛として立っていた。立派でした。

 燧ケ岳への登山口・燧新道との岐路を過ぎると浅湖湿原に出た・・・。


<再び大江湿原一本道>

午後の大江湿原に戻ってきた。ずっと向こうまで沼山峠への帰り道が続いている。

太陽は雲に隠れがちだが十分に光は湿原に届いている。もういちど悠久の太古からやってきた可憐な花たちにご挨拶だ。

大江川の水面に、開いた水芭蕉の影が映っている。
 「あれを撮ってみよう!」

リュウキンカもせせらぎの水辺で輝いている。今回は初めてリュウキンカを堪能した。花はどんなところで、どのように咲いているかで印象が違う。リュウキンカとの出合いは常に清流の畔である。この花には濁りを感じることがない。いつも純粋の黄色である。その黄色がこれほど格好よく咲き誇っている光景に驚いている。

生まれたばかりのミツガシワの幼い姿も新鮮だ。尾瀬ヶ原の池塘に群舞するミツガシワも壮観だが、こうやって一茎で咲く花のほうがずっと存在感がある。


 

<フィナーレ>

 さてそろそろこのたびも終わりに近づいた。
 企画の段階では雨が降ったら中止と決めていた。しかし毎年のことだが、梅雨でもあまり降られたことがない。今回も往復の車では土砂降りの雨に襲われた。しかし山歩きの間は雨の神様はおとなしくしてくれていた。その分だけ水芭蕉やリュウキンカ、ミネザクラともじっくり対話ができた。小さな幸福を味わうことができた。

 またすぐにでも行きたくなってしまうのは「オゼ・ホリック」というやつだろうか。
 

 帰り道、桧枝岐の「燧の湯」で汗を流し、「まる家」の「断ち蕎麦」と桧枝岐名物「はっとう」をいただいて帰途に着いた。
 小金井着午後10時でした。

 「今回も尾瀬はわたしたちを裏切らなかった。すばらしかった!!!」

<完> 

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