「桜山の冬桜」の賑わいをテレビで見たという友人との立ち話がきっかけで、秩父から山越えして晩秋の花見と洒落てみた。
埼玉との県境・群馬県鬼石町の桜山公園には11月から12月にかけて7000本の冬桜が咲く。冬に咲いた桜が春にも楽しめる冬桜は珍しく、国の名勝ならびに天然記念物に指定されている。
外気温10度前後とはいうもののポカポカ陽気で、これぞ小春日和という好天に恵まれ、桜山には想像をはるかに越える人並みがくりだしていた。駐車場まで一方通行の山道を登るのだが、「この時期にこの山奥で、まさか!」と予想を覆す数珠繋がりの車の行列で、1時間ほどの浪費を強いられてしまった。
たどり着いた駐車場の周囲に冬桜が立ち並ぶが、ピンクの色が褪せているようで美しさを感じさせない。
農協さんが大きなテントを張って農産物の直売に精を出している。今がチャンスとばかりに、農業から商業に転業したかのようでもある。
寒椿と池の向こうに紅葉が
近くを流れる名勝「三波峡」から切り出したという「三波石」を配置した池のある日本庭園は、整然と手入れが行き届いている。緋鯉の遊泳する池の脇に1本の紅葉(もみじ)が立つ。真っ赤に紅葉し、ひときわ目立っていた。
三波石とは造園利用の石材としては最優良の青色結晶片岩のこと。フォッサマグナ(中央構造線)に沿ってその南側に分布する。住宅用に、また茶庭や園亭の飛石・敷石・縁石など利用範囲は広い。
駐車料金の実入りは、石の購入に始まって公園管理の諸経費を十分にまかなっている、などと不埒な思いが過ぎるなか、池を巡る景観に見入っていた。
桜山山頂へは、ここから傾斜のある回遊路が整備されている。
「せっかくここまで来たのだから登ってみましょうか!」ということになり、運転疲れの身体に鞭を打って人通りの列についた。池のある庭園自体がかなりの高所にあるわけだから、先ず山上からの眺望に利がある。次にやはり冬桜。下のほうでは「たいしたことないね!」と馬鹿にするような言葉が口をついていたのが、「なかなかのものだね!」と愚痴が減り静かになった。
そして山頂付近では、「これはたいしたものだ、うーん!」とうなり声を上げるに至った。
この雰囲気は春の梅見か桜見物か
ただ、紅葉と桜による饗宴というシーンは残念ながら見つけられなかった。個々には輝いているのだが、秋の紅葉と春の桜という異質な両者が顔を見せ合った途端に互いに反発してしまう、といった宿命の取り合わせなのだろうか?それとも単純にわたしの早計な先入観、思い込みがあったのかもしれない?
やはり初冬の山は基本的に緑が少なく、地肌もあらわな殺風景はいたしかたない。
それでも谷向うの山里の光景はおおいに捨てがたく、(絶景だ。こんな景色のいいところで余生を過ごすことができれば・・・)などと感傷に浸ってしまったのである。
奥秩父の山並みと冬桜
秋の日は傾き出すと止まらない。早めに山越えをしようと鬼石から神流湖(カンルコ)に向かった。途中の峠に庚申塚が立っていた。関東には庚申塚が多い。
左庚申塚、右三猿
もともと道教から来る信仰で、庚申の日には人間の体にい る三尸(さんし→尸は屍の意)の虫が、寝ているあいだに体から這い出し
て、閻魔様の部下にその人の行なった悪事を密告す るという話。したがってその密告から逃れるために村人は、60日目にやってくる庚申の日は寝ない。みんな集まって徹夜する。これが庚申信仰の原点。
庚申塚の隣に三猿がたたずんでいる。見ざる、聞かざる、言わざるの三ざるだ。
どうしてか?私の想像では、村の人たちも眠らないのはつらい。だから猿を利用しようとした。三尸の虫の地獄行きに猿をお供につけた。猿の監視の下で、虫も何もいえなくなった。
この件につき、どなたかご存知でしたら教えていただきたい。
山を下って見えたのは満々と水をたたえる神流湖。
沈みつつある太陽の最後の明るさが山の端の紅葉にかかり、それは素敵な光景を見せてくれました。
<おわり>
Copyright ©2003-6 Skipio all rights reserved