<冬の花>

 水仙境内は清潔でよく手入れされ、塵一つ落ちていない。高みからは頼朝が幕府を開いた鎌倉の町が開け、箱庭のような町は片手で掴み取ることができる。右手はるか遠くには三浦半島の先端・城ヶ島。徐々に目を左に移動させると、葉山の港、逗子マリーナと併設されているマンション群がくっきりと。さらに左の近景は、材木座の海岸が高波に洗われていた。

 木瓜冬の花があちこちに植えつけられているが、温暖な鎌倉の気候はその開花をも早めるようだ。

 福寿草は春先のフキノトウの芽出しに酷似していたのに比べ、水仙はもう鮮やかな黄色い花を先端につけている。蝋梅や早咲きの寒桜も蕾がほころんでいる。ひときわ目立ったのが「黒光」という種類の「木瓜(ボケ)」で、深い赤が存在感を誇示していた。 ⇒「長谷寺の四季の花」へ





























みずご供養の地蔵さん

お地蔵さん

観音様安置の観音堂伽藍

観音堂の伽藍

七福神の一つ大黒様を祀る大黒堂

鎌倉七福神・大黒堂

蹲(つくばい)から山の水が池に落ちる

蹲から山の水が落ちる

長谷観音三門と立派な松

右端が三浦半島城ヶ島
左は葉山海岸
葉山城ヶ島

逗子マリーナが中央に

逗子マリーナ

材木座の海岸を
高波が襲う

材木座海岸

3枚の写真は左から続いています



















 一昨年のこの季節にも鎌倉を訪れたが、長谷寺は久しぶりである。

 長谷寺、正式名称は「海光山慈照院長谷寺」。その開創は聖武天皇の天平8年(736)という古刹。庶民に親しまれている観音様は、大和長谷寺の本尊とともに一本の楠の霊木から彫られたといわれており、1300年にちかい歳月を刻む。観音菩薩の功徳である現世利益に加え、六道を自由に徘徊する地蔵菩薩の功徳である冥土での済度の力をも兼ね備えている。それゆえに参拝客はあとを絶たない。
 また阿弥陀堂が隣接され、こちらは源氏の頭領・頼朝の42歳の厄除けに建立され、その本尊として阿弥陀如来が祀られている。

<喫茶店「邪宗門」>

 学生時代からその存在を知っていた。忘れられない店の名は「邪宗門」という。

昔からある邪宗門 その昔作家・高橋和己は全共闘世代の学生たちの間で強く支持されていた。暗くて破滅的で相当に難解なかれの作品の中に「悲の器」などと並んで小説「邪宗門」はあった。あのときからすでに35年が過ぎようとしているからまさしくノスタルジックである。邪宗門の主人公は新興宗教・大本教の指導者・出口王仁三郎であることが喧伝され、その人物に興味をもった時代もあった。

 主人公は宿命的に「教団の指導者」となり、最後は理想を求めて絶望的な反乱へと信者たちを導いた・・・。

 あの昔、横浜の女子大生と長谷寺にお参りしたあと、土間と囲炉裏が印象的な和風の喫茶店[邪宗門]にはいった。

 この日、外観すら何も変わらずその店は残っていた・・・。

<続く> 「鎌倉文学館」


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<鎌倉大観音>

 長谷の観音様とは20数年ぶりだろうか、久しぶりの再会である。これまで鎌倉を訪れることはあっても、長谷まで足を運ぶことはなかった。シンと冷えた冬の日の午後、右手に錫丈を執った巨大なゴールドの厳粛な立ち姿には圧倒されるなにかがあった。

 ふと思い出したのは数年前に旅したバンコクでのこと。薄暗い堂内の奥に一段と高い台座が据えられ、その上に一体の小さな仏像が鎮座していた。不思議な仏像であった。なんともいえない神秘的な空間で、国民はこぞってこの小さな仏像に願いごとを祈願するが、不浄な精神でも、願いがほんとうに叶うと思わせるような雰囲気がそこにあった。エメラルド仏といった。

 長谷の観音は9.18mという途方もない巨大な木彫観音像である。エメラルド仏に比較して大きさの分だけ威圧感が違う。


<観音様との会話>

 長谷観音立像わたしはこれといって頼みごとをするつもりはなく、「近くまで来たので寄ってみました。久しぶりですね。お元気でしたか?」とご挨拶を申し上げた。一瞬その頬が緩んだように見えたが、次の瞬間厳しい顔で「あなたは自分に忠実に生きてきましたか?」と問いが発せられた。

 うーん、と考え込んで「自分はそのつもりだけど、周囲がそれを許さず、煩悩に負けつつも誠実に生きている。しかし人間とはそういうものではないですか?」と問い返していた。

 観音様との会話の間にも、賽銭を投げ、合掌してなにごとかを祈る多くの方々が、前を通り過ぎていく。

 そのあと黙して語らない観音様と静かに対峙する時間があった。そして、「これからも世俗をさまよう庶民の味方になってください。」「次はいつお会いできるかわかりませんが、いつまでもお元気で!」とお別れの挨拶をして辞した。

 そのとき妙なことに気がついた。人間の寿命は長くて100歳、観音様はそろそろ1300年に近づきつつある。わたしが「お元気で!」というのはおかしいのかな?ということ。輪廻転生があるのなら別だが、こちらは長生きしてもあと数十年の命。永遠に近い生命を受けた観音様とは寿命が違う。まだまだがんばってもらわねば・・・。

鎌倉冬物語 1腰越と義経 2稲村ヶ崎 3極楽寺切通し 4長谷寺 5鎌倉文学館

鎌倉冬物語4  長谷寺
鎌倉市内を一望   2005.1
なぎさ