<岡倉天心と六角堂>


勿来港

 福島県勿来の源義家像にご挨拶をして、すぐに引き返して五浦(いずら)の海岸に。平潟からは車で10分もかかりません。

 ここの自然景観がまことにすばらしい。

 浅薄な感想かもしれませんが、明治の文明批評家・岡倉天心がこの地を終の棲家に選んだ気持ちがよくわかります。

六角堂展望

 小さな岬に、切り立った断崖や大小の変化に富んだ岩礁があり、太平洋の荒波が打ち寄せる。風光明媚で気候温暖、都会と遠く離れ中央の雑音は聞こえてこない。

 実際にこの地で普段の天心は太公望を決め込んでいたようです。

<日本美術院創設>

 さて、岡倉天心については中学校の歴史の教科書で、「明治維新後米国から招かれて東大で教鞭をとった教師フェノロサを助けて、全国の仏像など美術品の収集と保存に努力した」と教わっていました。

 彼は28歳の若さで東京美術学校の校長に就任。その後の対立から、学校を飛び出して日本美術院を独自に創立、横山大観、菱田春草、下村観山らを引きつれて野に下ります。

 明治36年画家・飛田周山の案内で五浦を訪れ、その雄渾な景勝に感動し土地を購入。2年後に邸宅と六角堂を建立しました。

 日本美術院の若手は苦しい生活の中から、この土地で幾つもの日本画の傑作を生み出しており、これは日本美術史に燦然と輝いています。

 大正2年、天心没。享年50歳。

 その辺りの解説は敷地内の天心記念館に克明に記述してあります。

<六角堂>

岩場にたつ朱塗りの六角堂

 六角堂は海を見張るかのように、崖の上に突き出して建っています。天心は、中国の詩人杜甫の草堂に倣って六角形の堂を設計しました。天心でなくとも、目の前に太平洋が広がるこの部屋であれば、高尚な思索にふけることができるような気がします。

大津岬灯台 また、毎日釣糸をたれて、晩御飯の魚を釣って帰るというのも現代人からすれば贅沢な遊びと思ってしまいます。しかもこんなに変化に富んだ美しい海岸があるわけですから・・・。

 小さな半島の突端にある大津岬灯台の公園から眺めた六角堂は、さながら竜宮城のようでした。崇高な美術史に触れ、穏やかな海にも見とれ、時間がたつのを忘れてしまいました。


<続く> <水戸偕楽園>

△ 旅TOP

△ ホームページTOP


Copyright ©2003-6 Skipio all rights reserved


プロローグ ・袋田の滝 ・平潟と鮟鱇鍋 ・岡倉天心と六角堂 ・水戸偕楽園

2002年3月

常陸国
      「鮟鱇鍋と水戸偕楽園」
平潟海岸の払暁