<閑話休題> 旅館「くらしき」をTVの旅番組が放映していた。 現女将は90歳になるが、誕生以来この蔵の町を離れたことがない。 昭和30年代に前持ち主の砂糖問屋が左前になったとき見込まれて譲り受けた。 その条件が二つあった。 「生まれ育ったこの建物を取り壊さないで欲しい。」 「庭に生えているタンポポや草花も昔からのもの。粗末にしないで欲しい。」と。 以来50年の歳月が過ぎ去ったが、言いつけを守り通してここまで来た。これこそが真の伝統といえるものだろうか、今も「くらしき」の庭には黄色いタンポポが咲いている。 おまけ。このおばあちゃんの若いとき、たとえようのないほどの美人であった。 「旅館くらしき」へ |
![]() 戦後、東京美術学校彫金科主任教授の大伯父・清水南山の勧めで同校日本画科に入学、卒業後は前田青邸の下で創作活動に励む。しかし原爆の後遺症にもがき苦しみ、すさまじい葛藤の中で「仏教伝来」を発表、高い評価を受けると不思議なことに健康も回復、かれは次々と大作を制作することになる。 死を覚悟した平山画伯が一点でも救いと平和のための作品を描きたいと思い、制作したのが「仏教伝来」で、これは唐の都・長安から17年の歳月をかけ苦労の末インドの経典を持ち帰った玄奘三蔵の喜びを描いた作品。 |
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