2002年暮から2003年正月にかけての家族旅行
第1章 冬の丹後半島
第2章 瀬戸内・宇野の朝日
第3章 倉敷・尾道・しまなみ海道
第4章 松山と道後
第5章 京都・宇治
2・・・瀬戸内・宇野の朝日
(12月30日)
わが女房殿の里は瀬戸内海に面する岡山県玉野市宇野、久しぶりにこの正月は、娘の婿も初孫も一緒に全員で里帰りすることになった。
<<岡山から宇野へ>>
宇野は、岡山市から瀬戸内海に、右を向いた亀の形をして突き出た小島半島の、先端にある港町である。
新幹線を岡山で降りると四国行きの電車が待っていた。
<今は昔・・・>
かつてはその宇野線で玉野市宇野を経由して、宇高連絡船を利用するよりほかに四国の玄関・高松へ渡る方法がなく、年末年始の混雑は想像以上に激しかった。
電車が宇野駅に到着すると乗客は競うように連絡線まで走った。満員の連絡船の船旅をゆっくり座っていきたいという思いは誰しも同じ。船内で供される讃岐うどんの一杯で、「ああ故郷に帰ってきた。」という思いを新たにしたに違いない。車の場合も宇野から宇高国道フェリーを利用するのが一般的で、しかも安価であったから、そのころの宇野は交通の要衝として商業も賑わい繁栄の活気に満ちていた。
しかしいまや本四架橋『瀬戸大橋』の完成によって、旅人のルートは大きく変わった。
<瀬戸大橋のもたらしたもの>
子供たちが幼かった20年も前の話。
帰省のたびに倉敷の鷲羽山に上り瀬戸大橋の完成していく姿を眺めた。橋げたが海の中に徐々に進出していく姿を目の当たりにして、親子で「大きな橋ですねえ。」と感動の眼で眺めた。
そういえば娘が小学校夏休みの宿題を「瀬戸大橋ができるまで」にするといって、写真を撮ったり記録を整理したりしていたことを昨日のことのように思い出す。
しかしその橋の完成とともに宇野という町は繁栄を失うことになる。いつの時代でも盛者必衰は繰り返される。概して繁栄に安穏としているものは衰え、困難の中で自分を磨くものは成功への切符を手に入れる。宇野という町が怠惰であったということは断じてないが、これも人間社会の宿命か。
この町の今後の発展を考えるなら、なにか新しい支えとなる産業を育成させるのが焦眉の急である。新しい文化なり観光なり、雇用を含めた対策が早く日の目を見ることを願ってやまない。
瀬戸大橋は四国の人々には繁栄をもたらす「夢の浮橋」であったが、その浮橋を支えながら、別の課題を抱える人たちも少なからず存在する。
<<孫の興味>>
今回の旅には孫を連れてきた。
孫のリクリンは生後6ヶ月半の乳飲み子であるが、ミルクさえ与えられれば終始ご機嫌。
まだ自分の意思を持たず、自分の言葉でしゃべらず、自分の足でも歩けない状態だから外を出歩いても楽である。そのうち遊びや楽しさの感覚に目覚めたらこういうわけにはいかないだろう。
人ごみを好む。
人だかりの中では上機嫌であちこちをきょろきょろと見回し落ち着かない。この世に生を受けて五感で感じるすべてのものがま新しく、珍しく、何かの手がかりを模索しているようにも思えるのだが・・・。
泣いたりわめいたりもしないから、素性がいいのだろうかと思うのは親馬鹿、いや、爺馬鹿ゆえか。
<パパをお出迎え>
午後4時半に、東京から年末の仕事を終えて新幹線で到着するパパを岡山駅まで迎えに出た。
リクリンは気恥ずかしいのか照れくさいのか、あるいは本当にパパを認識できないのか、改札から喜び勇んで出てくるパパと目をあわせようともしない。どこか別のものを見ようとする。なぜだろうと考えるが、私の場合も一週間の出張で幼い娘に忘れられた苦い記憶があるので、ひょっとしたら忘れてしまった?の思いも否めない。
パパに抱かれてやっと一族郎党の本当の正月休みが始まった。
<あかちゃん本舗>
さて岡山駅に出迎える2時間前のこと。時間に余裕があったので「あかちゃん本舗」に買い物に立ち寄った。
リクリンはいわゆる7ポケット、8ポケットの環境にある。両親2人と両方の祖父母4人、曾祖母と独身の叔父の計8人の財布を当てにできるのだ。過保護が身につくのも致し方ない環境ではある。あとは母親である娘に厳しい躾を希望するのみ。といっても、それを甘やかすのがわたしたちのような爺さん婆さんであることは間違いなく、これは天に唾するようなもの。前言を翻すことにしよう。
さてリクリンは初めて連れてきた子供コーナーで大喜び。どうやら毎日興味深く眺めているTVの幼児番組の世界が現実になったからのようである。
プラスティック製の象の乗り物に乗せると、今まで見たことのないような喜びかたで、体をのけぞらせて興奮している。目は輝き、口を大きく開けて奇声を発する。そんなに嬉しいのかという思いである。
叔父に抱かれる笑顔がまばゆい。
<<アンリュールの夕食>>
この日の夕食はあけぼの町の「イタリア系肉料理・アンリュール」(ANNE LURE)を予約してあった。ここはベーカリーレストランでパン・ケーキ類は人気があるようだ。15年もこの場所で西洋料理専門にやってきて生き残ることはたいへん。そもそも東京とは顧客人口が違うのだから。
食前酒のスパークリングワインでまずは乾杯。互いに1年間の無事を喜び合った。
今年の年末年始は「しまなみ街道」の宿で二泊して、家族みんなで瀬戸内ののんびりした正月に浸ろうと計画した。明日からのスケジュールを確認しながら食事が進む。
料理は前菜、パスタ、スープにメインはフォアグラと牛肉のソテー、そして明太リゾット。食中酒はイタリアの赤ワイン。
心地よいアルコールの酔いが体全体を包み込む。
1年を通してもっとも肩の力が抜ける瞬間かもしれない。厳しい時代だから、だれもが後顧に憂いはあるものの、苦労してきた1年が終わろうとしている。明日の満員電車のことを考える必要もなく、ゆったりとした気分で落ち着くことができる。こうして新年を迎えるのは何回目だろう?数え切れないほど、思い出せないほど齢を加えてしまった。
食後に店が誇るケーキとコーヒーをいただいて、食事は終わった。たっぷりいただいてただ満足のみ。
夜明け前の宇野港
<<2003年正月の朝日>>
瀬戸内の町・宇野港に上る朝日は感動的である。
しまなみから戻った正月2日、朝日はきっちり午前7時に目の前の島・直島の左側より上がる。
6時半に起床し、まだ薄暗い町を見下ろす。暗い街に橙色の街灯が光り、瀬戸内に浮かぶ船にも明かりが残っている。正月2日の朝ゆえ町を走る車もほとんどいない。しばらく一人静かな町を見下ろしていたが、徐々に空は白みかけ朝の気配が漂ってくる。対面に座る直島の島影が少しずつ明るくなる。
6時40分、一番の連絡線が出発する時刻だ。ぼーっと汽笛を鳴らし大きな船が港を離れようとしている。
ここでは冬場は毎日海から朝日が昇る。こんな場所で老後を過ごせたら最高だと思ったのだが、これはおばあちゃん(義母)と同意見。晴耕雨読もよし、また晴釣雨読もよしと、穏やかな生活にあこがれるのである。
7時9分、いよいよ2003年新年の太陽様のお出ましだ。
瀬戸内のはるかかなたの島々の向こうにその輝きが見えたと思ったら、輝きはあっという間に明るさを増し、小さな金色の環を描いた。1〜2分のうちに全体が姿を現し、何事もなかったかのように正月の朝は明けた。
正月の太陽に向かい、今年も家族全員が大過なく無事で過ごせるようにと祈った。
<夢の浮橋・続く>
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