(第三日 宮古から岩手県を横断 乳頭温泉へ)



<三陸海岸浄土が浜>

大型観光船


< 海原へ >

 早起きし、名勝・浄土ヶ浜から8:40出発のリアス式海岸めぐりの観光船「陸中丸」に乗る。

 「今日は波が高いから、海は迫力があっていいよ。」と、昨晩もそこにいた、いかにも人のよさそうな駐車場のおじさんが誠実そうな笑いを添えて説明してくれた。

 「潮吹き穴が今日はすごいだろう。」と気持ちを昂ぶらせることばが続く。
 
船は定刻通り、真っ青な大海原に出航した。

水鳥くんは上手にえさをついばむ

<カモメ>

 すぐにかもめの大群が追いかけてくる。じっくりと三陸の景観を観察する前に、前座のショーが始まってしまった。

 餌の乾パンをつまんで「そら来いよ」と腕を伸ばすと、カモメたちは指のあいだから上手に奪っていく。女性客が恐がって海に落としてしまった餌どもも、うまくくちばしに挟み、拾い上げる。無駄がない。しかもどこかのカモメのようにぶよぶよと太らずスマートである。しばらくカモメと戯れる。


< 波砕けて >

 さすがに三陸海岸国立公園の景観である。大岩・奇岩が続く。丘からでは見えない崖の隆起と侵食がはっきりと目の前に見える。それらの岩に荒々しく波が襲いかかる。砕け散る波は10メートルも跳ね上がってしぶきを飛ばす。

 天然記念物「潮吹き穴」からは30メートルもの高さに水柱が飛び上がる。大きな観光船だが、崖に近いところでは波の跳ね返りに大きく揺れる。40分ほどの航路であったが、迫力から言えば日本三景・松島の景観も比べものにならない。


<極楽浄土>

浄土が浜の静寂

 一方、宮古随一の景勝「浄土が浜」はその名前が示すように、極楽浄土のような静けさであった。小さな入江になっていて、外海は荒れ狂う高波に翻弄されているが、岩が波浪を防御し対照的な静けさで観光客を誘う。320年ほど昔の天和年間に、地元の宮古山常安寺住職を勤めた霊鏡和尚が「さながら極楽浄土のごとし」といったことで命名された。

 今は昔、学生時代、三陸海岸のあまりの美しさに、自己の将来に絶望し若い命を絶った友人がいた。天才であったが、薄倖であった。ふと思い出した。

 荒れた気持ちを静めるために、コーヒーを一杯。さあ、盛岡に向かって出発だ。



<盛岡ぴょんぴょん舎>

岩手銀行 東京駅に似たレンガ造り 岩手県の中心というより、新幹線が通じて今や東北地方随一の都会となった盛岡市。後に岩手山という秀峰が座り、市内を流れる中津川沿いには古き良き面影を残す建造物が点在する。周囲には名湯も多く、四季折々、自然を満喫できる。

 ちょうど昼食の時間。
 
盛岡で食事といえば、わんこそばと冷麺とじゃじゃ麺が有名。


岩手名物冷麺を 今回は旅立ち前から、盛岡インター近くの「ぴょんぴょん舎」の冷麺に挑戦することに決めていた。ここは焼肉系のレストランなので、「久しぶりにお肉も。」という肉好きのままさんの要望を入れて焼肉セットも一緒に注文する。

 正直な感想は二重丸。カルビ・タンの焼肉は柔らかくたいへんおいしかった。レアで食するとジューシーな甘さが口中に広がり、満足至極。歯ごたえのあるひやりと冷たい冷麺との相性もぴたりで、昼食の選択としては、リーズナブルなお値段とあわせて大正解。

 キムチと混ぜたピリカラのスープも残さず飲み干してしまった。
 
連休の家族連れが多く、店内は大賑わい。15分ほど待たされたが、後味のよさに、待たされたことなどすっかり忘れてしまったままさんとわたしです。冷麺は米のとれにくい寒い地域に伝わる冬の料理で、麺はそば粉・でんぷん・小麦粉を練り上げて作る。スープはまろやかな高麗雉(キジ)のだし汁から取る。その相性が抜群で、当世人気を得ている。


< 冷 麺 >

 さて、盛岡冷麺のルーツは朝鮮半島の平城(ピョンヤン)。

 いまや拉致問題で日本人の恨みの的となっている北朝鮮の首都であるが、食の世界は別の話。平城と盛岡は気候が似ており、平城をふるさとに持つ料理人が故郷を偲んで作ってみたのが盛岡冷麺の発祥という。

 蛇足。武蔵の国のうどん打ちと似たところがあると思う。うどんも冷麺も昔から祝い事の料理、生地作りの力仕事は当然男の仕事。冷麺も愛する家族や子供たちのために作られてきました。

 おなかをいっぱいにして盛岡に別れを告げる。
 
しばらく走ると「小岩井農場」の案内が出る。国道46号を右折。25分ほどで到着。

<岩手山>

 小岩井農場からは岩手山が大きく見える。深田久弥の日本百名山は次のように語っている。
 「岩手県が生んだ幾多の人材、それらの精神の上に岩手山が投影せずにはおかなかっただろう。雄偉にして重厚、東北人の土性骨を象徴するような山である。かつての名門盛岡中学の少年たちは、これを仰ぎながら学びかつ遊んだ。石川啄木もその一人であった。後年流離の生活を送った彼の眼底には、いつも北上川の岸辺から望んだ岩手山の存在があったに違いない。」

 ふるさとの山に向ひて
 言ふことなし
 ふるさとの山はありがたきかな

まきば園と岩手山の雄姿

<小岩井農場>

 いまや雪印ブランドに代わる乳製品のトップブランドである「小岩井」。その名前の新鮮さに魅かれて、緑の牧場のイメージを思い描いて訪問した。

 かの地の歴史は、明治24年三菱の岩崎弥之助・他が、広大な火山灰の原野に開墾の鍬を入れたことに始まる。当初の蓄牛主体から、牛乳の市販、チーズ・バターの生産販売などへ移行していくが、事業の基礎はすべて明治時代に作られた。

 なんと今日、乳牛事業は麒麟麦酒と共同で展開されているという。販売チャネルのことを考えれば、至極道理にかなっている。


< まきば >

 青く澄んだ空と大きく広がる緑の農場。背景にはいまだ雪が残る岩手山が雄大な姿で居座っている。総面積3000haと、とてつもなく大きい。

 小岩井農場「まきば園」は自然いっぱい夢いっぱいの子供の遊び場という印象。
 羊・馬など動物たちと戯れたりハイキングしたりお弁当を食べたり、岩手山に守られて大自然を満喫できる。
一番印象に残ったものは「メェーメェー」と鳴く羊の声。

 子供のころ、自分たちの周りに山羊が飼育されていた。その鳴き声は日常的なものであったが、突然近くで鳴かれてしまうと驚いてしまった。そんなことに驚く自分に驚いているのだが・・・・。

可愛い おとなしい子羊 羊舎の中で、毛を刈られた哀れな羊たちが群れをなしていたが、半そで一枚でも熱い陽気のこの日は、涼しそう、幸せそうであった。これが自然の摂理というやつだろうか。

 そんな中で子羊が、際立って可愛かった。おだやか、従順、平和、そんな言葉がぴったりする光景でした。園内の人気投票をすれば、間違いなく子羊が一番でしょう。

まきば園の農場たまご そして、いまやブランド品となった「チーズ・バター」や「卵」など乳製品をお土産に・・・。

 ここから山方向に少し足を延ばせば網張温泉がすぐそこに。われわれはあわただしく先を急ぎました。
 
雫石駅を経由して秋田街道46号線を一路田沢湖へ。

 このあたりは良質の温泉の宝庫で、われわれも・・・・。ただ、その前に「たつこ姫」を拝顔したく・・・。

<田沢湖幻想(秋田)

 恐ろしく長い仙岩トンネルを抜けると、ここは秋田県。国道341号へ進路をとり、北上すること10数分で水深423.4メートルと日本一を誇る田沢湖に着く。

 まだ春の初め。湖に人の気配が少ない。寒々としている。

近寄りがたい神々しさ

 北の湖はどうしてこんなに寂しいのだろう・・・。
 冬場に近づくことができない厳しい風土のせいだろうか?それとも近寄りがたい美少女たつこのせいだろうか?

 伝説の美少女辰子は、永遠の若さと美貌を保ちたいと観音様に百日百夜の願をかけ、竜体に変身し湖神になったと伝えられる。


< 追 憶 >

 その「たつこ」は、早春の夕暮れ時、柔らかな風をうけて、湖の西岸にブロンズの美しい肢体を露にしていた。
 
正確には台座2メートル、青銅金箔漆塗仕上げというらしい。作者舟越保武氏は「山の中に育った美しく健やかな乙女の姿」を具現した。瑠璃色の湖上に神々しく、かすかな羞恥を含んで佇立している。


 伝説の中では、冬、八郎潟の太郎が田沢湖にやって来る。「二人で暮らすから暖かく、したがって田沢湖は冬も凍ることがない」のだそうだ。

西日を受けて田沢湖 われわれは周囲20`をぐるりと1周。茫洋たる湖であった。


 帰途についてから、秋田出身の飲み屋のご夫婦との会話。二人が口をそろえて話してくれた。
 
「田沢湖は船に乗って、中から周囲を見るのが一番。その神秘さがよくわかりますよ。つぎはぜひそうして下さいな。残念でした!」

 さあ温泉だ。あせる思いで車を走らせる。水沢温泉郷、田沢湖高原温泉郷を経て、乳頭温泉郷「鶴の湯温泉」へ。
 この辺は「十和田八幡平国立公園」の最南端に位置する。

<秘湯・乳頭温泉郷>

 秘湯の中の秘湯と呼ばれている。秋田県田沢湖の北東、乳頭山の山懐、先達川に沿って乳頭温泉郷は静かなたたずまいを見せる。泉質の良さから日本一の温泉と、秘湯愛好家から高い評価を受けている。

 乳頭温泉郷はこの地域にある温泉の総称で、具体的には「鶴の湯温泉」「妙乃湯温泉」「大釜温泉」「蟹場温泉」「孫六温泉」「黒湯温泉」の6湯を指す。
「孫六温泉」と「黒湯温泉」は隣接しているが、他は5`四方に点在している。


< 黒湯 >

近くに水芭蕉が咲いていました乳頭温泉の雄・鶴の湯








 わたしたちのこの日の宿は黒湯温泉。

 未舗装のがたがた道を苦労して登っていく。いやがうえにも秘湯気分が高まる。一番人気の「鶴の湯」に立ち寄ったが、残念ながら外来入浴制限の午後5時に間に合わず。あきらめて黒湯温泉へ向かうが、少し気になったのが鶴の湯の猥雑な雰囲気。何だろう?たくさん人を集めすぎているのではなかろうか?商業主義?秘湯が?


< 迷子? >

 黒湯温泉は乳頭温泉郷の最上流にあり、その源泉は先達川の支流黒湯沢にある。


 道の行き止まりの駐車場から、急な山道を降りると茅葺き屋根が目に入る。平家の落人が住んでいるような昔からの家屋である。

右側から黒湯に下りる 左は孫六方面
 ままさんは先に車から降りて、重い荷物を抱え一人で先に行ってしまった。
 わたしも振り分け荷物で急な坂道を降りる。

 さて、古い茅葺き、杉皮葺きの建物に並んで、建て増ししたらしい木造の家屋が不連続に続く。どこから宿に入っていいのやらわからなくて、きょろきょろしていると、数人いた登山客の一人が「受付はあちらですよ!」と親切に案内してくれた。

宿の屋根が見えました ところが、どこにも先に行ったままさんがいない!!

 どうやら迷子になってしまったらしい。「ひょっとして崖下に転落・・・?」と、よもやあってはならない不安が頭をよぎる。

 荷物を、宿の人に案内された裸電球ひとつの部屋に置いて、捜索に出る。

 宿とは反対側の坂を降り始めると、向こうから荷物を持ったままさんがはぁはぁ言いながら登ってきた。勘違いして、手前の孫六温泉に行ってしまったらしい。

< 秘 湯 >

 最近は秘湯ブームで、若者が圧倒的に多い。しかも男女のカップルである。

 若い人と温泉は結びつかないのだが現実なのである。
 
健康のためとかいうのではなく、レジャー化している。マスコミの影響だろうか。

 そんな若い人たちが外来入浴でやってくる。彼女たちはカメラ片手に混浴の露天を堂々と覗いていく。一緒に入ればよいのにと、思うのだが、さすがに昼間のうちから男が入っている混浴露天に入る勇気はないようである。黒湯には女性専用の露天風呂が用意されていて、そちらに浸かっている様子。

地球の怒り?

 さあ温泉にはいろう。露天に向かう。

 湯小屋の周りや沢の岩場のあちこちからもうもうと湯気が立っている。大好きな昔懐かしい板張りの露天である。湯船の縁板は温泉に洗われて黒光りしている。
 
黒湯温泉の湯は白濁した硫化水素泉と酸性硫黄泉だ。肌になめらかに感じる。

 肩まで浸かってゆっくりとからだを温める。旅の疲れがしずかに抜けていく。湯温は熱くもなくぬるくもなく、適温に調整してある。額に汗を感じたら縁に座って、冷やす。そしてまた浸かる。これを繰り返す。

これが楽しみです ハイ

<山の膳>

 そろそろ夕食の時間である。
食事もおいしい。まず定番の温泉卵。小鍋の具には山菜に混じって、確かに鹿の肉。なべ汁に、秋田らしく稲庭うどんをからませていただく。さかなは岩魚を焼いてくれた。蕨のおひたし、イカのウニ和え、茄子焼き、茶碗蒸し、お新香はいぶりがっこ。澄まし汁にはこれも秋田名産・旬菜が・・・。

 米どころだけあってごはんもおいしい。

 (翌朝は三膳もいただき、お櫃の中を空にしてしまった。旅の朝食ってどうしてこんなにおいしいのだろう。)


< 夜 >

 食後、再び露天につかる。
 東京から来たという40前後の真っ黒に日焼けした男性が、風呂の縁に腰掛けて冷酒を飲んでいる。なにかの工事関係の仕事だろうか、毎年この時期に東京から通っているという。「こんなひなびた温泉は東京近郊にない。できるならばもう少し近くにあるといい。乳頭の中でも黒湯が一番ですよ。」と黒湯礼賛の言葉が続く。


 例年雪が多くこの季節にはまだ黒湯はオープンしていないため、一般客は入れないという。今年は暖冬で開湯が早まった。そういえば「北上の秘湯・夏油(げとう)温泉は昨日オープン」、というニュースを報じていた。

 しかしながらまだ風呂は開いたばかりで、自炊の湯治客の姿は見られなかった。
 自家発電のため夜は裸電球一つ。部屋にコンセントはない。 そのため廊下でデジカメ・バッテリーの充電をする。 トイレは共同であるが、水洗なのが嬉しい。

 夜が長いため、酒を飲むか温泉につかるか、ほかに選択肢はない。飲みすぎてしまうが、二日酔いがないのが不思議だ。

<続く>

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2002年4月30日〜5月4日
プロローグ  プロローグ
      4月30日 東京ー山形ー山寺ー村上ー尾花沢ー大石田ー銀山温泉(泊)
5月1日  5月01日 銀山温泉ー鳴子峡ー遠野ー宮古・女遊戸(泊)
5月2日  5月02日 宮古ー浄土ケ浜ー盛岡ー小岩井農場ー田沢湖
          ー乳頭温泉郷・黒湯(泊)
5月3日  5月03日 黒湯ー角館ー平泉ー蔵王・坊平(泊)
5月4日  5月04日 蔵王ー上山ー米沢ー白布温泉ー裏磐梯ー東京  エピローグ