(第二日:鳴子遠野を経て三陸宮古へ)
< 里山風景 >
二日目は宮城県にワンストップして一気に岩手県宮古まで東北を斜めに横切る計画だ。
選択肢として、釜石に出てリアス式海岸を北上する男性的経路や、平泉に寄って奥州藤原氏の栄華の跡を偲ぶ計画もあったのだが、無理なスケジュールは怪我の元になりかねない。遠野を経由して斜めに宮古に入ることにした。
幸いなるかな、天気は回復!
高速道の利用をできるだけ避け、山里の景色を堪能しながらゆっくりと走りたい。しかも絶好のドライブ日和である。時間もある。吹く風もさわやか、太陽も十分に輝き、わたしたちを歓迎してくれている。
< 花 >
走っていて気がついたことがある。里の家には必ずといっていい、よくお目にかかる光景に出会う。家々の軒先に白いこぶしの花とピンクの桃の花が咲いていることだ。
なぜだろうと考えてみた。両方とも開花の期間が長い。そして白と紅と、色は違っても大振りな花を咲かせ自己主張をする。よく目立つのだ。春先の行事を知らせる案内人でもあるのだろう。桃の花が咲いたからそろそろ・・・・などという季節の配達人。
< 旧 家 >
そして屋敷には防風林がある。杉林もあれば竹林もあった。
これは昔から自然災害と戦ってきた人間の知恵。
庭にはチューリップや水仙が植えられ、ビニールハウスで大家族の野菜をまかなっている。また里にはかつての庄屋の屋敷と思われる大きな屋敷が必ずある。三世代・四世代の一族郎党を賄う大邸宅だ。
日本全国どこにでもある日本人の原点、里山の光景をじっくり眺めた。そして、表層的かもしれないが、里山の豊かさを感じた。
<封人の家(山形県)>
車は尾花沢最上線を経由、赤倉温泉の先で47号を右折、平行して走っているJR陸羽東線は「奥の細道・湯煙ライン」という別名を持つ。
ここにも芭蕉翁の足跡が残る。
その名を「封人の家」。鳴子温泉から山越えして大石田に向かう芭蕉一行はこの街道を選んだのだが、大雨に遭い堺田に足止め、有路家に2泊することになった。
「鳴子の湯より尿前(しとまえ)の関にかかりて、、出羽の国に越えんとす。此道旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて、漸として関を越す。大山をのぼって日既に暮ければ、封人の家を見かけて舎を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。」
蚤虱 馬の尿(しと)する 枕もと |
ある意味で有名な句である。昔の農村では馬屋はたいてい住居の中にあった。虱も蚤も一緒に住んでいたに違いない。馬が放尿するのは当然のことだから、その猛烈な音に目が覚めることも至極もっともなこと。ただし、芭蕉翁は丁重に奥座敷に通されていたことだろうから、そのことが「枕もと」で起こったように詠んだのは翁独特の誇張に違いない。それより、こんな句を詠んで、泊めてくれた有路家に対して失礼ではないのかとも思うのだが・・・。もっとも後世の批評家は「これこそ芭蕉の俳諧精神の達観さ」と高く評価しているという。
われわれは芭蕉一行とは逆の道を進む。
間もなく鳴子エリアに・・・。

<鳴子峡と温泉(宮城県)>
鳴子に期待するつもりはまったく無かった。

しかし銀山温泉の主人が「あちらには見るところがたくさんありますから・・・。」と朝食の膳を前に、期待させるように呟いた。
結果的に、今回の旅のなかで随一の渓谷美を鑑賞することができた。
< 緑 >
入口の見晴台に立つと渓谷を一望することができる。午前の澄みきった空気の中、清清しく晴れ晴れと雑念が消えて行く。谷はあくまで深く、新緑はまばゆいばかりの緑、どーんと滝の落ちる轟音が重くお腹に響く。
谷の深さはおそらく100メートル以上はあるだろう。その底に大谷川が流れていて、滝を凄まじく落ちた水塊は、飛沫を上げ急流となる。この壮大な景観は3`にわたって続く。遊歩道はハイキングコースとなっていて、下流の温泉街に導く。
生い茂る緑と白い色の大岩・奇岩のコントラストが鮮やかで、清流の音とともに五感に訴える。
道端にぜんまいを見つける。この種の情報に明るい人であれば、新鮮な山菜を山ほど採集できるのだろう。
谷川の 岩に閊(つか)えし 流し木に
こえゆく水の 白くせきあふ
温泉客でにぎわう鳴子温泉駅で記念写真。
しばらく荒雄川に沿って下り、池月の交差点を左折、山道を築館に進路を取る。若柳金成インターで東北自動車道に乗りなおし、北上江釣子(えづりこと読む)で下りる。ここから遠野まで峠越えでおよそ50`。

<遠野物語と河童(岩手)>

遠野の地名の由来はアイヌ語の「トオ・ヌップ : To(湖) - Nup(高原)」という説がある。太古の時代、遠野一帯は湖であり、起伏を繰り返す中で、その水が流出したために現れた湖底が盆地になった。
遠野は北上山地の中央に位置し、中世、三陸海岸と北上川流域の内陸部を結ぶ交通の要衝として発展してきた。数多くの人馬が往来し、数多くの情報が集積した。それらは遠野固有の信仰や文化と結合し新しい文化を生み出し、民衆の心に深く浸透し、民話となり、悠久のときを超えて伝承されてきた。やがて遠野は昔話の坩堝となった。
遠野に柳田国男は欠かせない。アイヌの研究に金田一京助なくして語れないのと同様に。
< 佐々木喜善 >
「遠野物語」の作者柳田国男に、遠野地方に伝承する民話を聞かせたのが、遠野生まれの研究者・佐々木喜善。その後「遠野物語」は日本民族学の原点となり、「遠野」は日本全国に知られるようになった。
最初に訪れた、町の中心部にある「とおの昔話村」には国男ゆかりの建物が保存され、「日本の昔話」研究がわかりやすく展示・解説されている。
遠野郷には身近な存在としての、日常的な神が数多く出現する。
その話を語り部としての年配者が伝承する。囲炉裏を囲んで親から子へ、子から孫へ。
「その昔 農家の娘が飼馬に恋をした 怒った娘の父親が 馬を殺したところが 馬と一緒に娘も天に昇り オシラサマになった オシラサマは農業の神さま 馬の神さま」 |
座敷ワラシは座敷に住む神様。作家・三浦哲郎の「ユタとふしぎな仲間たち」で、座敷ワラシ・ユタはユーモラスにしかも感動的に描かれている。三浦も青森の出身である。東北の民話には造詣が深い。
< 昼 食 >
一所懸命勉強しておなかがすいた。
昼食のタイミングが悪く、いろいろ探したが見つからない。木工民芸品の土産もの屋と勘ちがいして暖簾をくぐったコーヒーハウス「うっど・はうす」は、先月28日にオープンしたばかりの新米店であったのだが、意外や意外、おいしい昼食をいただくことができた。
わたしは「おにぎり定食」を、ままさんは「アメリカンサンド・セット」を頼んだが、ともに思いがけないできばえに顔を見合わせて「おいしい!」と。たかがおにぎり、されどおにぎりであった。
店は若い女性を集客できるナチュラルなコンセプトで、その名の通り「木」にこだわりを持った什器や装飾で環境を作り、しかも遠野のイメージをきちんと押さえていた。
「きっと女性客が集まるでしょう。」と感謝の気持ちを込めて店を出た。


<常堅寺のかっぱ>
遠野の民話の中で一番の人気者が河童。以下、語りのさわり。
「むが〜しむがし、あったずもな。むがしの遠野の村は馬っこで食ってだんだど。そっだら馬っこさ悪さしてばがりいる『河童』を遠野の人だじゃ、注意ばして川さ行ぐどぎは何人がで行ぐごどにしてだんだど。そんなどぎ、権兵衛どんが馬っこ連れで川さ行ったんだども、権兵衛のまわりさは誰もおらんで、一人で行ってしまったんだど。川さつぐど馬っこば木さくぐりづげで権兵衛どんはあんまりに天気ばえがっだがら、そごさ寝でしまったんだど。・・・・」 |
どこにでもある普通のお寺「常堅寺」の脇を抜けると、どの田舎にも昔からある普通の小川が勢いよく流れている。河童ヶ淵と呼ばれている。
河童の伝承に関して「遠野物語58話」の看板がかかげてある。
「いたずら河童が大失敗をしたが、村人の好意で、二度といたずらをしないという約束をして放免となる。」
ここには河童の末裔という正体不明の爺さんが出てきて話しかけてくるそうで、注意が必要とか。
遠野に「観光都市としての町作り」の前向きな活力を感じた。自分たちの力で、統一感のある魅力的な街づくりをして、全国からお客さんを集めよう、という意欲が見えた。
あとは今晩の宿・三陸海岸は「宮古」の民宿を目指して一直線。とはいっても、長い道程である。里山の午後の光景を瞼に焼き付けて、海に抜けた。
<宮古市・女遊戸の民宿>
<みかず屋>
女遊戸と書いて「おなっぺ」と読む。不純な響きを持つ地名である。宮古市の中心部から北に数`離れ、リアス式海岸の小さな港に面した集落である。今日の宿は入り口に大きな枝垂れ桜が鮮やかな花を咲かせる「みかず屋」さん。
< 気持ち >
民宿のおかみさんは良妻賢母の働き者だ。
旦那さまは早くから起きだして漁船に乗る。おかみさんは昆布取りに海に出る。畑を耕し、昨年からは小さな耕地に米も作り始めた。その上に民宿まで運営している。
お客さんとの会話も楽しくて仕方ないという気持ちが表情に明らかである。そんな身振り手振りが(下手な旅館よりよほど客を歓待してくれている)と思わせる。
<魚貝の食卓>
自ら収穫した米や野菜、魚が食卓に並ぶ。
別メニューの獲れたての雲丹(ウニ)を頼んだら、海水とともに運ばれてきた。磯の香りがただよいウニの甘さとマッチして口の中で微妙なハーモニーを奏でる。芽昆布がおいしい。粘りがある。ホヤが驚くほど新鮮で、苦味が少なく淡白さの中に貝類本来の甘味を感じる。これなら誰でも食べられる。かれいの焼き物がおいしい。ごはんがおいしい。
今宵の宿泊客は横浜から来たという若いカップルとわたしたち。男性が優しい。甲斐甲斐しく動き回って女王さまのご機嫌をとっている。女王さまはよほど良家の子女なのか、生卵の食べ方をご存知ない。新鮮な海の幸にもあまり興味を示さない。そんなカップルを横目で眺めながら「今の若い人って、こんなものかしら?」。
たっぷり飲んで食べて、部屋に帰ったらTVを見ることも忘れすぐに寝入ってしまった。疲れていた。時間はまだ午後8時。普段なら、好きな本がじゅうぶん読めると喜びたい時間なのに・・・。田舎の夜は早い。
おかげで夜中の1時に目が覚めてしまった。階下のトイレに行き、また寝込んだ。ぐっすりとよく眠ることができた。今日も健康に感謝。



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