はんなり京都
食と文化と・・・(4)
2013年3月


(19) 深奥なる芸術と“古都”

京都は古い持代から残された仏教芸術あるいは絵画彫刻、美術工芸のあふれる町である。

フェノロサやビゲローが多くの作品を新大陸へ持ち去ったことはあっても、あくまでそれは一部、価値あるものは京都に残った。

画家でいえば俵屋宗達をはじめとして、尾形光琳、狩野派の係累、丸山応挙、伊藤若冲、曽我蕭白・・・ことあるごとに名前の挙がる書家工芸家の本阿弥光悦、陶芸家としては初代楽長次郎を筆頭に楽茶碗の係累、文化人としては鴨長明などなど。

もっともそれ以前に平安を代表する紫式部や清少納言、また錚々たる物語作家をあげたら枚挙に暇がない。

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京都の伝統小物、民芸といえば何がありました?

ざっと見渡しただけで、京友禅、西陣織、清水焼、京人形、竹工芸、漆器、扇子、京菓子などがある。創業100年以上の老舗が1000軒以上あって、知恵と技と心を磨き上げてきたのだからまことにおそれ多い。

なかで竹の活用が目立つ。壁の下地、竹垣築地、茶の湯における茶道具のあれこれ、江戸時代になるとザルや籠など生活雑貨にまで用途は広がる。そして春になれば美味なる筍(たけのこ)、これほど竹の恩恵を受けて市民生活が成りたっている土地を知らない。

嵯峨野には美しい竹林もありましたね!

また、伝統産業である呉服と切り離せないのが友禅染めと西陣の織物、すでに平安遷都(794年)の折には宮廷内で染色が行われていたというから極めつけの古さだ。

川端康成の小説“古都”は西陣を舞台に、これぞ京都という幽玄の世界をみごとに表現してくれた。



川端作品『古都』の双子のヒロインを演じた
岩下志麻



同じ役に挑んだ
山口百恵

<もみじの古木の幹に、すみれの花がひらいたのを、千重子は見つけた。

「ああ、今年も咲いた。」と、千重子は春のやさしさに出会った。

そのもみじは、町なかの狭い庭にしては、ほんとうに大木であって、幹は千重子の腰まわりよりも太い。もっとも、古びてあらい膚が、青くこけむしている幹を、千重子の初々しいからだとくらべられるものではないが・・・。>

川端文学らしく、作品の冒頭からして耽美的である。

京都の町屋では一般的な坪庭のちょっとした点景である。そこにもみずみずしい美を発見し、それと若い女性の匂うような美しさとをくらべさせる。川端文学の一つの手法だ。

<西陣の機織の長男秀男が、自作手織りの帯を持って北山杉の里を訪ねる。虹が幾度か立った午後であった。

清滝川の河原で、すっくと並び立つ杉林を眺めながら二人は腰掛ける。秀男は木綿風呂敷を開き、たとうを紐解く・・・。>

なかから何が出てくるかは、想像力を働かせればおのずとわかる。

それにしても北山の里の情景が、知らないうちに頭に浮かぶ。

京都を旅するなら、事前にこの作品を読んで身を清めていくべきでしょう!


20) “始末”と“けち”と“おばんざい”

子どものころ母親に、「もっと始末しなさい」といわれたことを覚えている。

京都人は一般に『けち』といわれているが、「けちと違う、始末です」という意識を持っている。

「始末が良い」は京都では誉めことば、「無駄なく暮らす」知恵のある生き方ということでしょう。それは、必要なときに必要なものまで出し渋るという“吝嗇(りんしょく=ケチ)”とは違う、けっして恥ずべきことではないと思う。

そして始末の精神によって作られるのが家庭料理“おばんざい”だ。

季節の素材や乾物を無駄なく上手に料理した一品たち。

そういえば大村しげさんというおばんざいの達人がいたなあ!

「手間と時間はなんぼかけても、ふだんの暮らしにはお金かけへん」 これはまさしく生き方上手のお手本。あやかりたいものだと、心底思う。

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京都人は値打ちの評価をきちんとする、その吟味には非常にシビアでいい加減にしない、そういう精神を持つ。ということは合理主義なのでしょう。ええかっこしい、ではない実質主義ということ。

市内には神社仏閣が多いだけに、しょっちゅうどこかでお祭をやっている。

ところが京都人はハレ(晴)とケ(褻=平生)の区別をきちんとつける。ハレの日には財布の紐を思いっきりゆるめ、腕によりをかけてご馳走をつくる。しかしケは、手間隙かけてもお金をかけず始末する。

そういう経験の蓄積のなかで継承されたのが“おばんざい”というわけだ。

漢字では“御晩菜”、しかしひらがなでやさしく表現するほうが、はんなりしていて響きがよい。



見て美しく食して美味

京のお祭は4月の“やすらい祭(今宮神社の奇祭)”にはじまって、10月の“時代祭”で幕を閉じる。・・・今年はその時代祭も観てやろうと思っている!

お祭には“さば寿司”がつきもので、ちょうどいまごろ、5月の春さばがおいしいときである。

日本海のさばは身も引き締まっているので昔から有名、一塩モノは若狭モノが喜ばれる。

ここで前述の大村しげさんのレシピを『京のおばんざい』より拝見しましょう!

<さばを三枚におろして小骨をきれいに抜いてから、20分ほど酢につける。

ご飯はかたいめにしてこぶだしで炊く。お酢はお米一升に一合の割で、お砂糖とお塩ひとつまみとを合わしておいて、炊きたてのご飯にようかきまぜ、そのままさます。

固うしぼったふきんの上に、皮を引いたさばを、皮はだを下にしてのせ、背の身の分厚いところをそいで、尾のほうに足す。その上に棒状にしたご飯を置いて、ふきんできゅっとしめて形をととのえる。それを竹の皮に包んだら、何本もきっちり箱にならべて一晩重石でおしておく。さばずしは、ご飯がしまったほうが、ようなれておいしい。>

自分で作って、この“さば寿司”を食してみたいという誘惑に駆られる。



シンプルだが味のあるおばんざい

大村さんの文はさらにつづく。

<お祭の朝は早うから、お重におこわを詰め、ごま塩も忘れんようにつけて、さばずしやらかまぼこといっしょに親類、知人に配って歩く。家の定紋とみょう字を、白う染め抜いたつむぎの風呂敷に包んで、その上をまた、縞のもめんの風呂敷でしゃきっと包んで、ご祝儀もんは、なんでもおひるまでにすまさんならん。>

伝統文化の継承という意味でもこの文章は貴重だ。


21) おくゆかしさの裏の婉曲、“ぶぶ漬け”

京都と江戸の文化の違いは、おくゆかしさざっくばらんの違いだろうか。

若いころ、お江戸で開催されたセールスマン研修には毎回、関西の支店の連中もやってきた。夜になると酒盛りが始まる。裃を脱いで、無礼講とはいかないまでも若者の本音で侃々諤々をやる。

江戸っ子は単純だから単刀直入に結論を急ぐ。

しかし関西、とくに京都生まれの話はまだるっこい(まどろっこしい)。

婉曲的表現が多く、結論がなかなか見えてこない。これを一時流行した、「本音とたてまえの文化の違いだ」などという奴もいた。

「なに言ってるのかわかんねえよ!」 が東京モノ。

京都モノは、江戸弁は言葉がきつく「喧嘩を売られているようでいやですねえ」などと穏やかに反発する。

しかし、ビジネスの現場でディジョンメイク(決断)が必要な時、前置きばかりが多いのでは役に立たない。「売った、買ったの世界でそんな言い回しでは、売れるものも売れんぞ!」と責められて、旗色は悪かった。

こういう言語的習慣が、経済的低迷が長く続いた理由ではないかと、本気で思った。

同じ関西でも京都と大阪は明らかに違う。町の成立の背景や経済産業や文化的発展の違いによるものだろう。



茶漬けには
京漬物が欠かせない!

京都人の表現方法には余人には到底理解できない隠された定理があるようだ。

それを理解して会話に参加しないととんでもない誤解を招いたり、相手に失礼をはたらいてしまったりと、人間関係を損ないかねない。

よく知られた言い回しに「どうどす、ぶぶづけでも・・・」がある。大分話し込んで時間が経ってから、この言葉が出てくる。江戸っ子なら、小腹がすいたので「じゃあ、茶漬けでもご馳走になって帰るか」と考える。が、ここでは、「そろそろお帰りいただけませんか」の婉曲表現なのだ。

いつまでも待っているやつは、「無粋な男だ」とバカにされる。

そもそも「今日はぶぶ漬け程度の粗食しかおもてなし出来ないので、日を改めてまた来てくれ。」の意味で・・・・・

京都ではコミュニケーションにおける伝統的な暗黙の了解事項が多々存在しており、一言では到底説明し切れない。

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もうひとつ、朝のご挨拶に困った表現がある。

「どこ行きどす?」がそれ。

「お早うさんどす」

「お出かけどすか。どこ行きどす?」 と必ず声をかけられる。

よそ者は尋ねられたことを真に受けて「京はどこそこへ・・・」と答えざるを得ない。そんなことが毎日続けばたいていイヤになってしまう。

これをクリアするには、さらっと「へえ、ちょっと・・・」とかわすのが正解で、これも慣用句ということ。

このように面倒な、婉曲表現があってまことにわずらわしい。しかしこういった上等なやり取りを、苦もなくやることが“都ぶり”なのかもしれない!


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