バコン城を背景に
ベトナム戦争の影響を深刻に受ける中で、1975年4月カンボジア全土は、共産主義を主張するクメール・ルージュと暴君ポル・ポトによって制圧された。今から27年前の話。 そのポル・ポトは、世界政治史上に特筆される特殊な思想の持ち主で、政権を執るとかれは次々と独断的な政策を実行した。 貨幣は富の蓄積を生み貧富の差を拡大するという理由で廃止され、経済は物々交換が原則となった。農業を基幹産業に据え置いたため都市は不要とし、プノンペンなどの都市生活者を農村に強制移住させた。 |
ポル・ポトは理想国家の建設を装い、協力者を募った。「例えロンノル政権に加担していたとしても私は許す。資産家、医師、教師、技術者、僧侶は名乗り出て欲しい。それから海外に留学している学生も帰って来て欲しい。理想国家を作るためには君たちの力が必要だ。大切なのはカンボジアの未来なのだから」と言って・・。 この言葉に共感したインテリが続々と現れ、それこそ国内のほとんどの教養人、海外に留学していた学生がポル・ポトの元にはせ参じた。 |
ポル・ポトは大嘘をついていた。彼はフランス留学の経験から、民衆の集団決起の怖さを知っていた。理想国家を作るためどころか、将来自分に歯向かうかもしれない民衆、その指導者になれそうな教養人を一掃したかった。約十万人いた僧侶のうち大部分は還俗させられて、農村に送られ、残りは抹殺された。教授・教師の75%は抹殺された。 |
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