第1章 天使の都 バンコク

成田にて搭乗機体整備中(2002年10月30日〜)

 親しい友人のINOさんはバンコク赴任生活もそろそろ打ち止めで、帰国することになるという。では帰国する前に一度ご案内いただこうか、ということになり、SUMIさんも誘って3家族での旅行となった。休日の関係で同じ飛行機で行くことができず、1日のタイムラグをおいて、バンコクで落ち合うことになった。
 わたしたちは一足早くANA便を利用してのバンコク行きである。


バンコク空港到着21時56分 バンコクという都市名は外国人が使用する通称で、正式には1782年ラーマ一世が即位した時に決められた「クルンテープ・・・・・云々」という長い名称がある。その意味は「おおいなる天使の都」。この旅は、トウが立った天使を何人か引き連れて、真の天使・デバターを求めての旅でもあった。どんなデバターに出会えたかは、お楽しみ・・・。
(バンコク空港:タイ語と英語の案内→)

1)ダムヌン・サドアク マーケット

水路

 「Wendy Tour」が 主催する「バンコク一日・水上市場と市内観光」は、お一人様1,400バーツ(4,200円)のお手軽な有名観光地・網羅コースで、日本人の感覚からすれば十分に値打ちのあるツアーであった。午前中に遠方の水上マーケットを往復し、午後は市内の寺院のエッセンスを味わうという欲張りコースだが、時間に余裕のない観光客にはうれしい内容である。
 ちなみに目的地のダムヌン・サドアクはバンコクの南西80`の位置にあり、かつては東洋のベニスと呼ばれた水上都市である。


途中のバス停 午前7時、宿泊のモンティアンホテルから迎えのマイクロバスに乗り込む。途中、中継ホテルで大型バスに乗り換えてバンコク初日のツアーが始まった。

 ココナッツガーデンへの道はまっすぐな舗装道路でココナッツガーデン前道路100`を超えるスピードで走っているのに、周囲が広々といているせいか速さを感じない。フリーウエイ。信号もほとんどなく、快適なドライブ。HONDA、TOYOTA、NISSAN、ISUZUなど日本車が多いこと、トラックの後ろの荷台に人を乗せた乗合トラックなるものが多数目についた。

 道端ではごみの山が目立ち、公害が大きな問題になりそうだ。

ココナツミルクを大鍋で煮詰める

 8時半、ココナッツファーム到着。
 ココ椰子が繁る南国らしい観光地で、園内では観光用にココナツミルクを大鍋で煮詰めて砂糖を作っている。

水瓶と木舟

 売店では民芸品の彫り物やタイ・シルクの織物、麦藁帽子を販売、また薄暗がりの板敷きがレストランになっていて、地元の料理を食している。日本人観光客も目立つが、白人の老年ツアーも負けず劣らず多い。そういえば先日のバリ島で発生した爆発テロ事件の余波で、欧米系観光客が多数バンコクへ流れているようだ。


 次はサドアク水上マーケット。

 かつて東洋のベニスといわれたバンコクも、近代化の中で水路網が廃れ、見る影もなく、タイ政府は遠方のサドアクを観光用運河として再開発した。運河は網の目のようにめぐり、早朝から小舟(サンパン)がひっきりなしに行き交う。

 舟先が細く尖った小舟に4列2人の計8人が乗る。まだ雨季が終わっていないせいか水量が多い。小舟はけたたましいエンジン音で驀進し、水しぶきが飛び散り衣類を濡らす。用意したタオルで顔を覆い、水にぬれるのを防いだ。

コブラショーの看板が目にはいった

 ゆったりとくつろいで、水辺の高床家屋の中から観光客を眺める半裸の老人の幸せ観に、しばし思いをはせる。観光客は時間に追われ、せわしなく動いているのだが、ここでは時間がゆっくりと流れている。原色の花が鮮やかに咲き、ココ椰子の木はさえぎるものなく天高く聳える。雨季になれば毎日のスコールで、運河は水に洗われる。人間の力ではどうにもできない自然、自由にならない宿命に身をゆだねて生きる。ゆったりと過ぎ行く歳月を流れに任せて生きる。人間の本来の幸せ・・・。


日本人の若い女性・1時間200バーツ 運河コースを30分ほどクルージングし、陸に上がる。

 市場ではシルク製品に目が向いて、価格の妥当性がわからないままに購入。

 事前に聞いていたので、形どおりに値切る交渉をしたものの、相手はそうとう上手のようで値切りきれなかった。日本人のやさしさ、あいまいさがこういうところに出てしまう。
タイシルク 水上市場での買い物は、何が真実の価格なのかわからないという奇妙な感覚に陥った。

 この感覚は、今回の旅を通じてずっと感じていたのだが、決められた価格で購入する日本の常識と異質な、こちらでは当たり前の習慣に戸惑っていたのだろう。


うどんや菓子、果物などを

 物を売る人、買う人(ほとんどが外国人)の人間模様があった。必死で売ろうとする売り手もそれぞれ異なった性格をもち、積極的で粘り強い婆もいれば、こいつは売れないだろうなと感じる間抜けな青年もいる。そんな売れない奴に出くわすと、可哀想になって何かを買ってあげねばと思ってしまう。

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果物を売る舟

 サンパンの老婆においしそうな麺を勧められたのだが、昼食を控えていたのであきらめ、ココナツミルクのパンケーキを10バーツ(30円)で買う。中途半端な味だが、ナチュラルな甘さがあった。

 この市場は活力にあふれていた。


2)バンコク市内王宮寺院めぐり

王宮の尖塔が見えた

 バンコク市内西側のチャオプラヤ川とバンランプー運河に挟まれたエリアに、王都の中枢となる王宮や守護寺院が建ち、タイ王室のエッセンスがいっぱい詰まっていて、いまや最大の観光名所となっている。

 オフィシャルな場所であるため服装検査も厳しく、とくに外国人には厳しいようで、同じツアーで大阪から一人で参加していた女性は履物の取替えを余儀なくされていた。

<王宮へ>

いよいよ王宮へ

 入場券を渡されて、いよいよ王宮に入場だ。
 いきなり大きな尖塔三基のお出迎えである。

 まず黄金に輝く釣鐘型の「プラ・スィー・ラタナ・チェディ」と呼ばれる仏塔で、仏舎利が安置されている。

 続いて境内最古の建物・経堂「プラ・モンドップ・チェディ」、さらに王室専用御堂「プラサート・プラ・デビドルン」(ふー、なかなか正確に記述できないよ)という順に、威風堂々絢爛豪華な、それも異質なデザインの建物が周囲を圧するように聳え立つ。

 「デビドルン」はガイドがとうもろこし型と表現していたが、アンコール様式との折衷で、このことはクメール(カンボジャ)文化の影響を色濃く反映している証でもある。

ヤック像が左右に立つ 外壁に取り付けられた精巧な装飾や、周囲に配置された像の数々も派手なことこの上ない。何体か、巨大な鬼の形相をした「ヤック像」が門を守っているのが目についた。もともとヒンドゥーの「ヤクシャ」からきていて、日本では「夜叉」を意味するが、タイでは王を守る正義の味方として人気が高いようだ。


ヴィシュヌ神ラーマ王

 もう一つ興味を持ったのが、外壁回廊内の壁画。ヒンドゥーの叙事詩「ラーマーヤナ」のタイ仏教版「ラーマキエン」が178面の壁画をもって描画されている。主人公のラーマ王子(ヒンドゥーの創造主ヴィシュヌ神の化身)が妻のシーダ姫を魔王トッカサンから救出する物語で、これはカンボジャ・アンコールワットの回廊で本物が見られるのだが、この物語はタイ古典舞踊にもさまざまに取り入れられ人気を博している。

 そこには前述の「ヤクシャ」以外に、日本にもなじみのたくさんの神が登場する。

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神話の鳥キンノーン 霊廟を支える夜叉 王宮を彩るきらびやかな役者たち

「ガルーダ」はウ゛ィシュヌ神が乗る聖なる鳥。スコータイ王朝の時代からタイを守ってきた最上の神。タイ王室の紋章でもあるが、日本では仏教を守護する八部衆の一つ迦楼羅(カルラ)となる。

「シン」はライオンで、琉球では「シーサー」に、中国では「獅子」、日本本土に渡って「狛犬」となった。

「ハマヌーン」は正義の猿。無敵の力を持ちラーマ王を悪魔から守ったのだが、これは西遊記の孫悟空のモデルといわれ、日本では桃太郎伝説の猿になったという。

 ちなみに建国の英雄ラーマ1世王は絶対的存在で今や神話の人となっているが、欧米人や私たちにはユル・ブリンナーが演じた「王様と私」のラーマ4世のほうが親しいのではなかろうか。これはマーガレット・ランドンが書いた小説「アンナとシャム王」を戯曲化したもの。「私」すなわち英国人女性アンナが、自国の王宮に西洋文化を取り入れようとするシャム国王(ラーマ4世)から、皇太子チェラロンコン王子を初めとした、王子・王女の家庭教師として招かれるところから物語は始まるのだが・・・・・。欧米文化を採り入れようとする先進的な4世の思想が見えるが、結果的に王子、後のラーマ5世は西欧化の時代を切り開くことになり、タイは大いに発展する・・・。

ワット・プラケオ(エメラルド寺院)と上座部仏教

はてなんだろう?

 薄暗い堂内の奥に一段と高い台座がある。その上に一体の小さな仏像が鎮座している。国民はこぞってこの小さな仏像に願い事を祈願する。なんともいえない神秘的な空間である。不思議な仏像である。不浄な精神でも、願い事がほんとうに叶うような、叶って欲しいと思わせるような雰囲気がそこにある。

 それがエメラルド仏である。

 このヒスイ製の仏像は国を繁栄させるご利益があるという。

 ラーマ一世が隣国ラオスとの攻防の際に戦利品として持ち帰ったもので、現在王国の守護神として崇められている。残念ながら撮影は不可。



<仏教のこと>

仏陀

 日本の仏教はチベット・中国を経由して伝来した改革派の北伝仏教。これに対しタイの仏教は、インドからセイロン・ビルマを通って伝わった正統派の南伝仏教。簡単に言えば、日本の仏教は信じていれば救済される大きな船に乗った大乗仏教に対し、タイ仏教は厳しい修行を積んだ僧侶だけが救われる上座部仏教。ここでは人々が平等に救済されるという考え方はない。

象が護るチャクリー殿・右はドゥースイット・マハー・プラーサート殿 この上座部仏教が現代のタイ・カンボジャの人たちの人格形成の大きな部分を占めると思われる。一部の人だけが真剣な修行の道に入り徳を積む。しかしほとんどの民衆は、自分の地位の低さ、能力のなさ、度重なる不幸を生まれついての業と考え、むしろ前世の徳の不足と納得し、すぐにあきらめの境地に達してしまう。

 典型的な性格「ヘン・ケー・トゥア」(自分のことだけを考える)はこれに起因する。

ボロム・ピマーン殿ラーマ4世5世 タイの男性は誰でも一度は儀礼的に仏門に入る。

 出家できるのは男性だけで、女性の入門は閉ざされ、したがって一段低いところに置かれてしまう。しかるに女性は「法衣の裾にすがって」初めて救いを得ることができる。

 日本の女性もこの国で、少しは徳を積んでもらいたいものだ。怖い、恐い、強い。

 このあたりで急に雲行きが怪しくなる。

 タイはちょうど乾季への端境期で、いつ降られてもおかしくない状況である。


ワット・アルン ワット・ポーにスコール襲う

ワットアルン・暁の寺

 ワット・ポーの裏手にあるター・ティアン船着場から艀で対岸のワット・アルンへわたる。船の上からでも高さ79mのワット・アルンの存在感はひしひしと伝わる。ガイドブックには「威厳ある川のランドマーク」と記載されている。その表現がぴたり。

式典の準備でおおわらわ

 ヒンドゥー教・シバ神の信仰の象徴で、塔の表面に陶器のかけらがびっしり埋め込まれている。この陶器に太陽光が反射したときに神々しい輝きを放つ。しっとりと落ち着いた寺院である。「暁の寺」とも言う。

 この日・この時刻にちょうど、王国の皇太子がワット・アルンでの宗教行事に参加するということで、ご尊顔を拝することができるのかと期待したのだが、「外国人の方は出てください」とのお触れで、あえなく断念。(右写真)


川の清掃も急いで急いで 哨戒艇が何隻もチャオプラヤ川に出動し、厳重に周囲を監視しているのが異常に感ぜられたが、おかしかったのは川を流れる草木やごみの類を一所懸命掃除していたこと。どこの国でもお上は怖いもののようだ。



 川を再び渡って戻り、ワット・ポーに入場。

黄金の涅槃仏 スコールが襲ってきた。バケツの水をひっくり返したような豪雨である。最近日本の夏の夕立は影を潜めたようだが、この地のシャワーはがんばっている。風雲急を告げると思ったらザザーと音を立て大地を打つ。排水設備が十分ではないのか、それとも雨の勢いが強すぎるのか、たちまち道路は川と化す。広場は池と化す。バンコク市内は洪水と化す。(?)

 そんなわけで、ワット・ポーの有名な涅槃仏は格好の雨宿りの場所となった。

 黄金に輝く大涅槃仏、長さ46m、高さ15m。

 微笑をたたえ、頬杖をついた金色の巨体。

何だかわかりますか? 釈迦の人生の姿が一番はっきり現れるのが涅槃といわれている。クシナガラという場所で釈迦は80歳の生涯を閉じるのだが、釈迦の教えは「すべての生きとし生けるものは死ぬ。その死の真理を人々に知らしめるために自分も安らかな死につく。死は怖いものではない。」というもので、実に静かに息を引き取る。その直前の姿が涅槃である。微笑んで、死に向かう釈迦の姿である。

<寺院のこと>

ガンダーラ仏

 とにかく、タイの寺院は赤・青・緑の極彩色を多用し、その上、金色のきらびやかさを貼りこみ、豊かさを誇示するかのように見せているのが特徴だ。

 ひとつは金箔を仏に供えて現世利益を願う習慣があるゆえだろうが、ストレートに表現するしか術を持たない南国の民族性もあるのではなかろうか。

 日本の神も現世利益のための神として負けていない。ご利益を信じ賽銭を投げる。酒や供物を供える。日本人は、神も食物や酒より現金を好むと考え、賽銭箱を用意した。

 話を戻す。

 タイの寺院は、同じ仏教の寺でも、日本の苔むしたモノトーンの寺とは対極にある。小乗と大乗の違いなどと単純に理解できるものではなく、民族・気候風土・国民性や歴史・文化などさまざまな違いの上に今日的差異が生まれたに違いない。

 旅とは自分の中で、異国と自国との違いを考えさせることなのかもしれない・・・・・。

モノレールBTS 今日のバンコク観光・昼間の部はスコールとともに終わった。

 バスはバンコク名物?の大渋滞に巻き込まれ、ホテルにたどり着けず途中下車、高架鉄道BTSの世話になってしまった。笑えない事実。


3)猥雑で魅力的な天使の都

<艶・演・宴「カリプソ」のニューハーフショー>

ラチャテウィー駅前アジアホテル・右上にカリプソ 男二人が「サラディーン」から高架鉄道BTSに乗って、「ラチャテウィー」で降りるとアジアホテルは目の前。今晩のお楽しみはキャバレー「カリプソ」のニューハーフショー。

 夜8時15分開始のファーストステージを予約、340バーツ(1,000円)は地元の貨幣価値からすれば高いようだが、日本人にしてみればこれも安い。

 時間前に続々と客が入ってきてほぼ満員の盛況だが、やはり日本人が多い。

美しい

 息をつかせないステージきらびやかにショーは始まったが、演出・パフォーマンス・コスチューム、どれをとっても洗練されていて、1時間半のプログラムは入場料以上に十分な価値があった。

 女性以上に女性らしくあでやかさと優雅さと、顔もスタイルもレビューにふさわしいレベルの高さを保っている。美しさを通り越してあきれ返り、苦笑してしまった。

 タイの古典舞踊、日本の演歌、中国の京劇、韓国はアリラン、マリリン・モンローやマイケル・ジャクソンのような欧米系のエンタテインメントなど、多彩な題材をとりいれて国際的なレビューに仕上げている。次から次へと繰広げられる華麗なレビューに、息つく暇もなく、あっという間にフィナーレを迎えた。




















 彼女たちは毎日ショービジネスに精通したディレクターのもとで、厳しいトレーニングを行っているという。芸(ゲイ)道修行に真剣にチャレンジしている。だから質の高いエンタテイメントを見せてくれるのだろう。
 また、ほとんどの踊り子は去勢しているというのだが・・。

 昨今、高校学芸会のバラエティを繰り返す某国のテレビ番組よりずっと完成度が高い。



 帰りはモンティアンホテルまでバンコク名物トクトク(三輪タクシー)を捕まえた。風を切って颯爽と夜の街を走る、熱帯の国ならではの乗り物。

 スリウォン通りのオープンカフェでシンハビールをいただいていると、女性軍が帰還。あいも変わらず買い物の山。


タイ式マッサージは伝統ある正統的技術

 金色の涅槃仏で有名な「ワット・ポー」にはマッサージ学校があり、ここでは公式のライセンスが取得できる。外国人でも、1日3時間・合計10日間の講習を受ければ取得可能ということで、趣味と老後生活を考えて、少しその気になったわたしである。

 さて、ホテル近くの「有馬温泉」は2時間みっちり揉んで330バーツ(1,000円)。毎日でも行きたいぐらい。ここは160人の天使たちを抱えていて、一時期は日本人相手に満員の盛況であったが、最近は観光客も減って暇ということ。彼女たちの実入りは何人揉んでいくらというシステムだから、客が来なければ収入も減る。ここにも不況の波が襲いかかっているようで、食べていくのが窮屈になったという。

 後日の話になるが、カンボジャ・シェムリアプのマッサージはタイ式25ドル(3,000円)とやたらと高かったが、それに比べれば有馬温泉は著しく安いということ。

 今回の旅を通じて、この天使たちには通算5回も世話になってしまった。そのおかげか、旅行のあいだほとんど疲れを感じなかった。



ジム・トンプソンの家

ジム・トンプソンの家 喫茶とSHOP ジム・トンプソンはアメリカ諜報機関の有能なスタッフ。もともとは建築家でデザインセンスは十分に持っていた。経営のセンスもあったのだろう。第二次世界大戦末期にタイに渡り、ここに住み着き、タイシルクのビジネスに成功、莫大な富を築く。

 いまや観光名所のひとつとなったその「家」も彼の富の象徴で、東南アジア各地から国宝級の像や書画骨董、美術品を金に飽かせて収集、一部を陳列している。

 ベンガラで赤く塗った家屋は、タイの田舎風の作りで、アユタヤからの移築という。気候風土に見合った建物と、西洋風に機能的に作り変えた内装が奇妙にマッチしていて、ニンマリと微笑するジムの顔が見えるようだ。

ライトアップされたトルソー

案内の女性

 しかし1967年かれはなぞの失踪を遂げた。忽然と、どこに消えたのか?

 午後遅く訪問しただけに、周囲にうっそうと茂る木々は緑濃く、屋内の橙色に浮かぶトルソーも神秘的で、異次元に入り込んだ錯覚にとらわれた。


 日本語を流暢に話す案内の女性の、日本の若い女性に似た軽い乗りと礼儀正しさの対比が印象に残った。


暑くても快適ゴルフ  (PANYAPARK GOLFCOURSE)

たっぷり汗をかきました 友人のMさんは定期的にゴルフ仲間とバンコク・ツアーを組んで楽しんでいるし、Kさんもバンコクの有名ゴルフ場のほとんどを制覇したと聞いた。せっかくバンコクに来たのだから、手ごろな価格で楽しめるゴルフを、やらない手はない。

 パンヤパーク・ゴルフ場は変化に富んだレイアウトで、十二分に楽しめるすばらしいコース。

 池や川など自然の地形を利用した水系のハザードがたっぷりあり、ボールの曲がる人はアウト。またバンカーがあちこちに大きな口を開けて待っている。

 土地が広いためにできるのだろうが、グリーンも日本家屋一軒の敷地の広さがある。適当に傾斜し、長めに刈ってあるグリーンは遅い。

咲き乱れる花

 平日であるためバックティーから打つことができ、7,000ヤード近くをたっぷり歩いた。

 休憩所のたびに飲み物を補充し、太陽が照りつければパラソルが咲き、そう忘れてはならないのは(こちらではあたりまえなのだが)プレイヤーに一人ずつキャディー嬢(?)がついたこと。こまめにボール拭きからクラブ選択、グリーン上でのラインの読みと助けてもらい感謝。

 29歳の天使たちは理解できない言語をしゃべってはけらけらと笑っていた。

 しかし暑かった。パッティング時、顔から流れる汗が頬を伝わってボールの上に落ちた。

 暑かったけれども楽しいゴルフであった。

 そしてお世話してくれた堀江さんに感謝。


バンコクの夜

 バンコクは猥雑な町である。猥雑さのゆえに魅力的な町である。

 私たちが宿泊したのはスリウォン通りに面した「モンティエンホテル」だが、この一帯は20世紀後半から急発展を遂げたバンコクの中心街。まさに天使の都の中心に位置し、日系をはじめ数多くの外国企業がオフィスを構え、老舗ホテルが軒を連ねる。

 夜、この街は一変する。

 昼間は影もなかった食い物やみやげ物の屋台が、道路狭しと連なって店を広げる。オートバイに乗った若者が集まり、嬌声が上がる。麺類やごはん系、お粥やサラダ、魚介類、焼き鳥、飲み物、果物、ちまき風菓子などあらゆる食材が並び、調理法もさまざま、食欲をそそる肉汁のにおいが街を覆い尽くす。ここでは誰もが50円か100円出せば好きなものを腹いっぱい食すことができる。
ここは混沌と猥雑の都・バンコクだ。外食民族の面目躍如といったところ。



夜のタニヤ レストランやバー、クラブなどナイトスポットも多彩で、お金を持った遊び人にとって天使が群れて舞う極楽浄土のようなところである。

 パッポン通りはベトナム戦争帰休戦士の遊び場として巨大化、今も不良外人が屯す恐いところ。タニヤ通りは日系企業の大量進出で形成された日本人街とでもいえるところで、日本語のネオンがまぶしく輝く。

 ちょっと気を許すとすぐに若い天使が寄り添ってくる。「お兄さん遊んでいかない?」と日本語のご挨拶。隣に奥方連中が監視しているのを見つけて「日本のオクサン怖いね。」と条件反射のように離れていく。
 バブル時代のタニヤ通りはさぞかし華やかな男の天国であっただろうと、妄想してしまった。

 新宿と渋谷と赤坂と銀座が一緒になったような夜の町。

 そんな猥雑な町が好きである。

 この町には言葉に表せない雑多な魅力がある。

 ほんものの天使を求めて、もう一度行きたいと思う町である。

<続く> 
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