至仏山(しぶつさん)その2
山の心と詩を聞くべき山
2228m (2004.7.23)
至仏山その1へ 2003.8尾瀬 2004.6尾瀬 尾瀬の花 尾瀬の地図

<高天ケ原・天上の花園>
花の数は徐々に増え始め、彼女たちとの語らいが楽しくなってきました。
しかし尾瀬の花図鑑をもっては来たものの、それとにらめっこしている余裕はありません。息を整える間の短い時間を利用して、花と向き合い、マクロ撮影を開始します。そしてさらに前進。また花。小休止。さらに上へ。


このあたりがもっとも急斜面なのかもしれません。大きな蛇紋岩の割れ目に足場を確保して、一気によじ登ります。狭い岩場は上り下りのすれ違いも侭になりません。
危険なルートを下山する女性グループも多く、「寸法の長い男性に比べてわたしたちは足が伸びないので、足場を確保するのがたいへんなのですよ!」などと謙遜しながらも、この山を楽しんでいる様子がありありと見られ、内心感心してしまいました。(やるものだなあ!いまどきの中年女性!)
やがて一つの目的地「高天ケ原」に到着しました。
「尾瀬ヶ原」が、花が咲き乱れ鳥や虫たちもこの世の春を歌い上げる「地上の楽園」なら、「高天ケ原」はその地上の楽園を睥睨する「天上の楽園」。
2億年も昔からミクロの成長を遂げつつ現在の雄姿を作りあげた至仏山の花畑。そこに生育する可憐な花々は、どれだけ長い間咲き続けてきたことでしょうか。さわやかな風の中で、悠久の時間の中にぽつんと置かれた小さな存在の自分を感じました。

岩の間に「ミネウスユキソウ(峰薄雪草)」(上左)が清廉な灰白色の群生を誇り、「タカネナデシコ(高嶺撫子)」(上右)も負けじと強烈な濃紅色で存在感を誇示しています。

高山帯の代表選手「チングルマ」(上)は早くも花期を終え、白い毛をつけた果実が風に揺れています。稚児車から採られたという命名の由来がうなづける光景です。
糸状の葉の上に白い小花をいっぱいつけた「ミヤマウイキョウ(深山茴香)」は高山植物らしく清楚です。(写真はその1に掲載)


「タカネトウウチソウ(高嶺唐打草)」(上右)は白い花穂が下から上へ咲いていく奇妙な植物で、笑えてしまいます。
「オゼソウ(尾瀬草)」は至仏山のほかに谷川岳と北海道天塩の蛇紋岩域にしか生えない日本特産種で、黄色い細かな花をたくさんつけていました。
1属1種という貴重な植物で、尾瀬で発見されたために命名されました。
その仲間にはご挨拶ができたけれど、ついに見つけられなかった花が一つあります。エーデルワイスに似た「ホソバヒナウスユキソウ(細葉雛薄雪草=絶滅危惧類)」で、うっかりして見落としてしまいました。これは残念。


間もなく頂上というところで、大きく成長したコバイケイソウ(上の上)がスカッとした大空に向かって堂々と直立していました。
蜜があるのか、蜂が群がっていました。
標高2000mを越えたところにも虫たちがいて生存競争をしています。なかなかたいへんだなあ!(黄色い花はシナノキンバイ)
<閑話休題・・・熊の出没と自然の生態系>
読売新聞2004年7月26日一面に「夏ご用心」と題し、尾瀬などで急増している熊の目撃情報を掲載し、警戒を呼びかけていました。
「年間40万人が訪れる尾瀬でツキノワグマの目撃が相次いでいる。6月には男性ハイカーが襲われ大怪我を負う事故まで発生。
動物との共存を目指す尾瀬では、熊よけの鐘を木道に常設して注意を呼びかけている。・・・自然保護の進展で人を恐れない『新世代クマ』の出現を指摘する専門家もいる。・・・尾瀬保護財団によれば、今年は7月中旬までに28件と前年を上回るペースで出没。好物の新芽や水芭蕉の実を求めて山から下りてくるため目撃情報も急増する傾向にある。・・・」
ツキノワグマはヒグマと違って臆病な性格で、刺激を与えない限り人を襲うことはないそうですが、今年はヨッピ橋付近で人を襲い、上記の事故に発展しました。
人が悪いのか、熊が悪いのでしょうか?
自然保護、生態系保護の立場からすれば、人の(熊の生態系を無視した)無謀な行為が熊を過剰に刺激して、熊の攻撃を誘発するといいます。国内で、原始の環境が自然に維持されている尾瀬は、熊にとってもっとも生態系を維持しやすい場所のはずです。そこで起きてしまった事故。その対策は早急にとられねばなりません。
カウベルが熊との衝突を避ける道具であるように、熊よけの鐘の設置は、共存のための一つの策でしょう。そして次の策は?熊の生態系を熟知した頭のいい人間なら、そのことを研究している学者もたくさんいることでしょうから、やるべきことはたくさんあるように思います。
とにかく熊が人を襲ったら、まちがいなく人はその報復措置として熊を狩り獲ろうとします。歴史がそれを証明しています。
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<至仏山登頂>

順番が廻ってきて、やっと記念撮影!

頂上で「バンザーイ!バンザーイ!」と歓声を上げて記念写真に納まる女性ハイカーの満面に喜びの笑みがこぼれています。
その叫びの気持ちは非常によくわかります。同じ気持ち。よくやった。登頂は高いほど、また険しいほど喜びも深いのです。

登山客も多く、次から次へと頂上に上ってきました。それぞれにこの山にかける思いはあることでしょうが、いちように晴れ晴れとした表情をしています。「至仏山頂 標高
2228m」の石標がまばゆく感じられます。短絡的な目標をいえば、この石標と写真を撮りに来たといえないこともありません。
記念写真を撮って、やっとお弁当の時間がやってきました。
時刻は
1時を過ぎてしまいましたが、歩くことに熱中しすぎて空腹を忘れていました。食材は途中のコンビニで調達したおにぎりですが、山でのおにぎりは梅が一番です。酸味の効果で、疲れた身体にもすっと入っていきます。

しかし、グループ内に問題が発生しました。
途中から感じていたのですが、この日は天候に恵まれたため、普段以上に汗をかいています。水分が足りなくなってしまいました。それぞれが
2本ずつ用意したペットボトルのお茶も底を尽きかけていました。したがって、あとの行程と水不足を考えると、おにぎりも喜んでいただけないのです。
3個のうち2個を食して、時間が許す限り周囲の山を眺めることにしました。
東側・尾瀬ヶ原をはさんで対峙する燧ケ岳は「はるか遠くなりにけり!」、雲の中に茫洋とした姿をとどめ、北は景鶴(けいづる)山や岳ケ倉山の向こうに、遠く越後の山嶺を見渡すことができます。
西側は奈良俣(ならまた)のダム湖がかすかに光っています。その奥には奥利根湖と八木沢ダムが山の間に潜んでいるはずです。
転じてこれから帰路となる南は蛇紋岩の岩壁が続き、その向こうに小至仏山のいただきを目にすることができました。
<小至仏山へ>

(左のピーク小至仏山への下り・右は笠が岳2058m)

(至仏山からくだってきました)
下山開始が
13時30分。
あとは下るだけですから気持ちも楽なのですが、下りは膝に負担がかかるという怖さがあります。そのことを注意して、ストックを使うべしとは同行の日野さんの弁。

蛇紋岩の大岩・小岩の間を縫うように下り始めました。右側は、氷河時代を連想させるような巨大なカールが谷底に向かって鋭角に落ち込んでいます。
前方・小至仏山の右手に笠ケ岳とその最奥は武尊(ほたか)の峰でしょうか。左眼下には下山予定の鳩待峠も徐々に大きく見えてきました。
30分後に着いた標高2162
m・小至仏山の頂上は猫の額ほどに狭く、蛇紋岩の亀裂でごつごつしています。人が屯すスペースはなく、思い思いの岩を見つけてしばらく小休止。たった今下りてきた至仏山からのなだらかな尾根道は、一見その険しさを感じさせませんが、だまされてはいけません。なかなかに厳しいのです。
(左から橘高さん・河合さん・稲葉さん・日野さん)
< 水 >

下りに下って森林限界に入る手前に高層湿原がありました。一面にワタスゲが白い綿毛をなびかせ風に揺れています。足元にはこれも見慣れた「タテヤマリンドウ」が群生しています。
「ああ、下界に帰ってきたな!」という想いです。
小至仏山頂からほぼ30分後に1980
mの「オヤマ沢」にたどり着きました。
道の奥に待望の水汲み場がありました。ここはコースの中で唯一の水場であり、大げさにいえば地獄で仏に出会ったようなもの。思う存分流し込んだ水は、渇ききった喉を潤し、身体の隅々の細胞を生き返らせてくれました。

ペットボトル
1本分(500ml)は飲み干し、さらに1本を詰め込み先を急ぎます。足元の悪いガレ場は終わり、予測ではあと1時間。
早い、早い・・・・・
ここまで来ると気持ちにも余裕が出て、足も自然と速くなります。あっという間に「鳩待峠」に着いてしまいました。
汗をぬぐって、鳩待峠でいただいたカキ氷のおいしさは格別でした。
<事故?遭難?>
帰りの鳩待峠でバス待ちをしていたらパトカーがやってきました。

聞いてみるとツアー客の老婦人が「木道を踏み外して動けない!」状態で、ヘリコプターの出動を要請するとかしないとか・・・。
普通に歩いていたらありえないことですが、花に気をとられ、よそ見をしながら歩いたら考えられないこともありません。歳をとったら運動神経も鈍くなり、とっさの対応ができず骨折、捻挫などの事故につながってしまいます。あくまで自己責任ですから、気をつけないといけないですね。
このこととは別に、23日午前10時46分に至仏山の中腹から撮った写真を丹念に見ていたら、燧ケ岳周辺をヘリコプターが3機飛んでいることに気がつきました。さらに別の写真を拡大してみると、頂上で撮った写真にも、小至仏山から撮ったものにも、なんと何枚かの写真に複数のヘリが豆粒のように写っていたのです。なぜ?と、あと追いの新聞記事で調べてみたら次のニュースに出くわしました。

「(16日朝から)福島県只見町の会津朝日岳(1、624メートル)に沢登りに入った男性4人が行方不明になった遭難で、23日午後4時20分ごろ、取材中のヘリコプターが、山中で足を捻挫し動けなくなっていた会社員白岩純一さん(28)=東京都小平市=を発見、新潟県警のヘリが白岩さんを救出した。」
まさにこの日の午後わたしたちは、朝日岳と目と鼻の先の至仏山に登っていたのです。そしてわたしのカメラが何気なく捕らえたヘリが、数時間後に遭難者を発見したことになるのでしょうか。
しかもこの遭難は、当初わたしが至仏山登山を危惧した、前線通過による大雨の中の沢登りを挙行したことに起因する事故です。(一人死亡
)
死亡された方のご冥福を祈るしかありませんが、わたしには「山を甘く見てはいけない」という教訓に思えました。
「山の神」をばかにしてはいけません!
<温泉とビール>
帰り支度をして帰路につきましたが、途中「吹割温泉センター竜宮の湯」で山行の汗を流すことにしました。
利根村は片品川の支流・栗原川のすぐ近くに無色透明の天然温泉が湧出しています。午後6時を過ぎようとしているのに、温泉は貸し切り状態。露天風呂にゆったりつかり、ふくらはぎや腿を揉む。岩場の上り下りでもっとも酷使した膝や足首を回して入念にケアしました。こころなしか疲労感がどこかに飛んでいったような気がしました。
時間も
6時を回ってしまいました。沼田ICに向かう帰りの沼田街道(日本ロマンチック街道)で、「蕎麦でも食べて帰りましょうか」 と立ち寄った店においしいものがありました。
愛想のよい若奥さんが「うちで採れたものですが!」と新鮮なトマトを供してくれました。日ごろ、トマトの顔をした偽(?)トマトしか食べていない都会人たちは、露地栽培の本物のトマトに大満足。
本日最初の生ビールの一杯がことのほかおいしかったことはいうまでもありません。(もちろん酒気帯び運転の恐さは知っていますから、アルコールがなくてもちっとも困らない河合さんに、東京までの運転をお願いしてしまったのですが・・・感謝)
< 完 >
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