至仏山その2 2003.8尾瀬 2004.6尾瀬 尾瀬の花 尾瀬の地図
日ごろテニスで鍛えているから多少は足に自信があるものの、最近は体力の低下を恨めしく思う中高年男性5人組が、東京からの日帰りで尾瀬の主峰・至仏山にチャレンジしました。これはその顛末記です。
登山ブームの昨今ですが、至仏山制覇を目論むご同輩のみなさまに少しでも参考になればと思っています。ではでは、結果はどうなりますことやらお楽しみに・・・・・
<尾瀬・至仏山 日帰り時程表>■時程表 (D・・・出発 A・・・到着) |
深田久弥氏は桧枝岐小屋から見た感動を次のように綴っています。
「尾瀬沼を引き立てるものが燧岳とすれば、尾瀬ヶ原のそれは至仏山であろう。まだ尾瀬が近年のように繁昌しない戦前のある6月、原の一端にある桧枝岐小屋に泊まって、そこから見た至仏山が忘れられない。広漠とした湿原の彼方に遠く白樺の混った立木が並んで、その上に、悠揚迫らずといった感じで至仏山が立っていた。そしてその山肌の残雪が、小屋の前に散在した池塘に明るい影を落としていた。」 (深田久弥 日本百名山より)
昨年わたしたちはほぼ同じメンバーで、鳩待峠から山の鼻を経て尾瀬ヶ原を散策しました。
初めてのときは誰も同じような気持ちになると思うのですが、広大な尾瀬ヶ原に歩み出た瞬間、至仏山と尾瀬ヶ原の調和の取れた光景にいままで味わったことのない感動を覚えるものです。
そして、次はあの山に登ろうと決意しました。
「凛としてわが道をいく」といった風に立つ至仏山は、円やかで温和な山容が親しみ易く、山行きの困難を感じさせません。しかし、花の百名山の一つとして人気を保つ孤高の山は、けっしてやさしい山ではありませんでした・・・・。
今年は梅雨前線が新潟・福島に停滞し、異常なほど瞬間的な豪雨を誘って両県にかつてないほど甚大な被害をもたらしました。登山前の一週間はその前線の南下を恐れ、常にも増して天気予報に気をつかいました。尾瀬をその豪雨が襲ったら、木道が流されるどころか、咲き始めた夏の草花も根こそぎ洗い流され、この計画を断念せざるを得なくなります。幸いなことに、数日前になにごともなく梅雨は明け、好天の至仏山登山を決行することができました。まずは感謝!
そのことに、みなさんそれぞれが「わたしの日ごろの行いがよかったから!」と思われたに違いありませんが、ここでは喧嘩のないように、それぞれの誠実さを認めておくことにいたしましょう。
さて気象に関してもう一つ、尾瀬を襲った遅い霜のことに触れなければなりません。
6月にはいって降りる遅霜は時として農作物にも影響を与えますが、今年は尾瀬の草花の開花にも大きな被害を与えました。さあこれから咲こうと準備し始めた若い草花の芽に、冷たい氷が覆いかぶさって、「もう出なくてもいいよ!」とその芽を枯らせてしまったのです。
その影響でしょうか、今年は尾瀬ヶ原全体を黄色く染めるニッコーキスゲの姿が見えません。
尾瀬人にとって、成長を阻害した霜が憎らしいことはなはだしいといえます。
直接関係ありませんが、人間も同じではないでしょうか。成長期に成長できる環境を整えてあげることがだいじです。
もっとも、人間は花のように素直ではありません。愛情が仇となり、増長してあらぬ方向に飛んでいってしまうという輩も多いですから適度の監視が必要ですが・・・。
至仏山は花の百名山です。
では至仏山ってどんな山なのでしょうか?なぜ高山植物の宝庫といわれるのでしょうか?
その理由は山の成り立ちにあります・・・・・気の遠くなるほど昔、2億3千万年前の古生代末〜中生代初めに、至仏山は地面が隆起して形成されました。標高は2228mとさほど高くありませんが、1500mから1700mあたりを境に上部は蛇紋岩という岩石で形成されています。(ちょうど1700m付近が森林限界)
蛇紋岩には普通の植物が生育しにくい化学的特性があります。至仏山には、氷河期に北極地域周辺に適応し、至仏山周辺にも生育していた北方系植物が残存することになりました。他の高山に広まった南方系植物は、蛇紋岩という特異な環境により淘汰されてしまったのです。
生き残った代表品種はオゼソウ、カトウハコベ、ミヤマウイキョウ(左写真)などけっして多くはありません。
また、シブツアサツキ、ホソバヒナウスユキソウ、ジョウシュウアズマギクなどは他の地域にも生育しますが、蛇紋岩の影響を受けて基本的な形から変異したもので、小型化したりしています。
さて今回は、鳩待峠か山の鼻のどちらから登り始めようかと頭を悩ませました。
尾瀬のベテランのかたにもメールで質問させてもらいました。
尾瀬保護財団のホームページには「東面登山道(山ノ鼻〜山頂)は、急登で滑りやすいですから、できるだけ上りに利用し、雨天の際には鳩待峠へ引き返しましょう。」と記載され、山の鼻からの入山を奨励しています。
しかしこの上りルートは1400mの山の鼻から2228mの頂上まで、800m以上をほぼ直線的に登攀するという厳しさがあります。
1700m付近が森林限界で、そこから上部は赤褐色の蛇紋岩とハイマツや熊笹と高山植物が生い茂っています。
熟慮の末、危険の少ないその「山の鼻ルート」を選択しました。
「山の鼻の研究園」から頂上直下の「高天原」まで一直線の直登コースですが、結果的にこの選択は正解でした。
登ってみて全員が等しく感じたのは、逆コースをとった場合下りの足に負担がかかりすぎるというものです。俗に「膝が笑う」といいます。まだ笑っているうちは「冗談」ですみますが、症状が悪化すると一歩も前に進めなくなってしまいます。最後は救急隊、あるいは最悪の場合ヘリコプターの出動を要請する、などということにもなりかねません。
本当の気持ちは逆ルートをやって、山の鼻の余った時間を利用して尾瀬ヶ原の散策をしたかったのですが。
自然研究園のはずれで登山者カードに記載して上り口を見ると、いきなり高さのある木製の階段が見えました。一瞬、みんな黙りこくってお互いの顔を見合いました。
緊張感からか、あるいは(これはすごいことになりそうだ!)と感じたのか?
ここから引き返すわけにはいきません。「さあ上りましょう」誰かが口火を切って、いざスタート!!
情けないことに、30歩か50歩歩いただけなのに、早くも息切れがしています。(これはきょうはダメかな?)と不安がよぎります。
前方を見ましたが、どこまでも同じテンポで階段は上っているようでした。たとえてみますと、長距離の1万mを走るのに、100mダッシュを続けるようなものです。
(もっと柔らかくスタートしたかったのに)と、早くも愚痴が出かけたのです。しかしぐっとその言葉を呑みこんで、(山登りはいつも最初が辛い。これを乗越えてペースをつかめばある程度の自信はある。ひたすら黙々と歩けば目的地に着いてしまうものなのだ。)と自分に言い聞かせました。(しかし、耐えられるだろうか?)と弱気の虫が半分です。
周囲は鬱蒼とした樹木に覆われ、ひんやりとした冷気すら感じるのですが、身体はカッカッと火の出るように熱くなってきました。
たいてい普通の山にはありますが、上りのあとの平らなところで息を整えたいのですが、いつまでたっても平地になってくれません・・・トホホ・・・。
結果的に驚くなかれ、上り口から頂上までずっと急坂が続いたのです。聞いてはいましたが、なにしろ4kmもない距離で828mの高度を登るわけですから、平均斜度(90度×1/5≒)18度という計算になります。スキーをされるかたには納得してもらえると思いますが、それだけ厳しい斜面が待っていたわけです。階段が終わると今度は丸太で土を止めた階段状のスロープが続き、次は瓦礫まじりの急坂に変わります。このくりかえしで、あごを突き出しハアハアいいながら、情けない姿で高度を稼いでいったのです。
さて、このルートには厳しい上りが続く半面、低い地点から見通しが開けるという大きな長所があります。厳しさだけでは誰も来なくなってしまいますよね!
汗をポタポタと流しながらどのくらい上ったでしょうか、ふと足を止めて振り返ってみると、木の間ごしに雄大な尾瀬ヶ原が見えたのです。
天候に恵まれ、燧ケ岳も手の届くところにどっしりと座っています。
これは最高の気分です。すべての苦労を忘れ、大きな勇気をもらうことができました。
空を見上げると荷物の運搬でしょうか、尾瀬ヶ原の上をヘリコプターが飛んでいました。その姿はまるでトンボが舞っているように見えました。
森林限界を超えると、尾瀬ヶ原全体が箱庭のように俯瞰できました。針葉樹林の向こうに池塘が散らばり、その先に牛首の森がくっきりと頭を出しています。牛首というより、亀の頭といった表現が近いのですが、このことばは青少年育成の場としてはふさわしくありませんからカットです。
竜宮の拠水林はもちろんのこと、昨年苦労して上った富士見峠にいたる長沢新道の角度のある稜線も確認できました。燧ケ岳の足元・見晴の山小屋群も白く光っています。いっぽう左手の東電小屋は、北から下る稜線の端にぶら下がっていました。
気になったのは尾瀬を釘で引っかいたような木道の痕跡です。
そんなことは深く考えないで、軽く遊ぼうと思えば、木道は顔の引っかき傷で、池塘はあばたということになります。
ついでにこの景観を人間の顔にたとえるならば、燧ケ岳は頭髪、下田代の湿原は額(ひたい)、竜宮から左に続く林は眉。牛首は左の目、真ん中を縦に走る木道は鼻。山の鼻の建物群は口で、手前の針葉樹林はあごひげになりましょうか?右目はありませんし、ずいぶんゆがんだ顔で「尾瀬の冒涜だー!」などとお叱りを受けるかもしれませんが、軽いお遊びにつきどうぞお許しを・・・。
さて引っかき傷には歴然とした不自然さを感じましたが、おかげで尾瀬の自然を味わうことができるのです。だから平気で許してしまう?つくづく人間という動物は利己主義だと思います。
さらに15分ほど登ってもう一度ふり返ると、先ほど登り始めた山の鼻の山小屋が、森に囲まれた別荘のように赤茶色の屋根をあらわにしています。
高度は確実に上昇しているのですが、まだまだ頂上は遠いのです。
あとどれだけという勘定をしないほうが、気持ちが楽です。
一歩一歩足元だけ?いや周囲の小さな高山植物と対話しながら、前進するだけです。
そして小休止をくりかえします。山上りは自己との戦いであり、そこには孤独と甘えを許さない厳然さがあります。平々凡々の日常から抜け出すための、自己へのショック療法。
いつの間にか蛇紋岩の赤茶けた岩はだが目につくようになってきました。
やがて中間点に到達。2228mの「至仏山」と、1400mの「山の鼻」の中間点だから414mを登ったことになります。ずいぶん登ったなあという感動と、えっまだあと半分もあるの?という落胆とがない交ぜになったそれぞれの表情がおもしろい。
すぐ近くに見えた燧ケ岳も少しずつ離れていきます。左が高く、右にいくほど徐々に低くなる5つの頂上をもつ燧ケ岳も上り甲斐のある山です。しかし次の目標はあそこだと、この時点では誰も思いません。
帰宅して苦痛から開放されたとき、否、じわりと満足感に満たされたとき、はじめてその欲望が頭をもたげてくるのです。
人間だから、挑戦の意欲があるからそれは当然のこと。だけど、今は苦しい。ゼーゼーハーハーいいながら足もとの敵と戦っています。
木道の脇のテラスに寝転んで休憩をとっている4人ほどの先客がいました。からりと晴れた日和と雄大な尾瀬ヶ原に歓迎され、天上のベッドで昼寝?これは普通では味わえない最高の贅沢というところでしょうか。
ひょっとして天国っていうのはこんなところ?でもそれは人間にとって真に未知の世界です。平安の天下人にも味わえない世界でした。
道端に薄紫色の端正な花が咲いていました。その輪生する釣鐘型の小花を撮影していると、寝転んでいるお一人がむっくと起きて「ツリガネニンジンですよ!」と親切に教えてくれました。
蛇紋岩の一角に一輪咲きの紫色を見つけました。至仏山で発見された、蛇紋岩植生の変形種の「シブツアサツキ」でした。強い風に煽られながらも凛と咲いていました。
<「至仏山その2」へ続く>
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