
2003尾瀬紀行 2004至仏山 尾瀬の花 尾瀬の地図
<尾瀬ケ原 日帰り時程表>
小金井発(0400)−練馬IC(0445)−沼田IC(0600休憩含む)
−戸倉(0710A)鳩待峠バス連絡所(0725D)
−鳩待峠(0750A 0800D バス900円)
−山ノ鼻(0855A 0910D)
−牛首分岐・三叉(0950A 1000D)−中田代
−竜宮十字路(1040A 雨で竜宮小屋へ避難 1210D)昼食
−ヨッピ橋(1240A)
−牛首(1320A)
−山の鼻(1350A 1425D)
−鳩待峠(1510A 1540D 戸倉行バスに乗る)
−戸倉(1605A 1615D)
<全4時間40分の行程でした>
−沼田(1700)−中之条(1740)−軽井沢(1900)−佐久(1930)−夕食(2000A 2040D)八ヶ岳(2130A)
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この光景が見たかった!!

<早朝の出発・・・順調に>
梅雨の最中、6月後半のある日、尾瀬初体験の具留満氏を誘って本年初めての「尾瀬遊歩」に出た。
早朝、暗いうちに起きだし、好きだからこそできる午前
4時のスタート。車の混み具合を予想すると、行楽は人が動き出す前に出発するのが鉄則。おかげで、練馬インターから乗った関越道は渋滞もなくスイスイと沼田に到着した。

沼田街道をひた走り椎坂峠の七曲を越え、片品川に沿って北上。鎌田の先で日光方面に別れを告げ左折、橋を渡り、片品温泉を経て、午前
7時半には戸倉の駐車場に着いた。
シーズン中のマイカー規制のため、ここからは乗合タクシーに乗って鳩待峠へ。
そしてちょうど
8時に、鳩待峠の入山口から尾瀬への第一歩を踏み出した・・・。

山の鼻への下り道、左に見える至仏山は雪を残し、ガスっていた
<いい写真を撮りたい!>

さて、巷間、尾瀬の本当のよさは泊ってみないとわからないという。
写真家の皆さんは実践しているのでしょうが、よい写真を撮ろうと思うならテントを担いで陽の出る前から動き出す。暗い山道を、ヘッドライトをつけ重い機材を背負い、山に登りご来光を撮る。朝もやの池塘を撮る。そうでもしなければよい写真は撮れない。
できるなら山小屋に泊ってそういう気分を味わいたいが、多忙多情な都会人はなかなか決断ができない。
だから早朝出発の深夜帰宅という強行軍となる。
疲労事故を避けるため車は交代で運転する。

そんなことを考えながらも、山の鼻への下りは快調である。森が送りだす冷やりとした微風がほてった肌に心地よく、汗も引いてしまう。
登山道の途中から川上川が付かず離れず寄り添っているが、その澄んだ流れも涼しさを誘う。
川上川の橋を渡ったところで二輪草の群落(左)を見つけた。
間もなく山の鼻へ到着。
水芭蕉も終り、ニッコウキスゲには少し早い6月下旬は尾瀬が原巡りの端境期かもしれない。この日は金曜でもあったため尾瀬特有の混雑はなく、山の鼻には悠々と尾瀬を楽しめそうな雰囲気があった。


山の鼻の「山小屋」や「休憩所」で一休みしていよいよ尾瀬ヶ原に入る。
左に進めば「見本研究園」や「至仏山登山口へ、右は尾瀬ヶ原への入口となる。
<尾瀬と水芭蕉>

尾瀬の水芭蕉は冬明けを待って花をつける。
雪が解け、一面に水の原となる
5月末から6月初旬、ちょうどそのころ山開きが行われるのだが、同時に水芭蕉の開花も始まる。
したがって、夏の思い出として小学校唱歌にも歌われ親しまれてきた尾瀬の水芭蕉の話は、明らかな誤謬である。作詞者も自ら語っているように、あの詩は彼女の心象風景を歌ったものである。

しかしそのことを批評したりする無粋は避けなければならない。尾瀬の水芭蕉は、尾瀬湿原とともにありさえすればそれでいい。
むしろ別の問題が浮き彫りにされている。
最近の尾瀬では富栄養化のためにミズバショウが巨大化し、本来の可憐さを失ってしまった。こちらのほうがゆゆしき事態。とくに木道近くの葉は、腐食した木の破片が湿原で分解されてバクテリアとなり、必要以上に水芭蕉の生育を助長している。
巨大な葉は、秋田音頭の「♪秋田の国では雨が降ってもカラカサなどいらぬ♪」と歌われた秋田蕗(ふき)の葉っぱを連想させ、清々しい尾瀬のイメージを損なうものである。
今回も鳩待峠から下って山の鼻に近い木道沿いで、花期を終わった巨大な水芭蕉の葉と出合った。
<尾瀬と植物の開花>
たくさんの花々がいっせいに咲き誇る様子を形容する「百花繚乱」という言葉があるが、尾瀬湿原に、いつでもたくさんの花が咲いていると思うのは間違い。
季節ごとに、順番に咲いていく。水芭蕉が終わったら、純白のワタスゲが風に舞い、次にはニッコウキスゲが湿原を黄色に覆うという具合。
最適期の大きなヤマは
3つあるようだ。まず5月中旬から6月はじめにかけての「水芭蕉」期。次に7月20日過ぎから8月初旬にかけての「ニッコウキスゲ」のころ、3つ目は10月初旬の「紅葉」の季節となる。
<以下は今回出合った花の一部:カーソルをあてると花の名前が>



今年は冬が暖かかったせいか春の訪れが早かった。そして
6月に入って遅霜が襲った。水芭蕉は完全に終わったのはわかるが、ニッコウキスゲは蕾すら見られない状態で、「ワタスゲ」と「タテヤマリンドウ」がやたらと目立った。
「オオバタチツボスミレ」や「ミツガシワ」「オゼダイゲキ」が脇役としてわずかに目立つ程度であった。

まさに端境期で、できればこういった日程を選ぶべきではなかった。
しかし、そうはいうものの写真のように、局地的には愛らしい小花があちらこちらで顔を出し、さすが尾瀬を再認識させてもらった。
毎年花の開花期は微妙にずれるため、思うように最適期の晴天に恵まれることは少ない。こちらの思惑通りに咲いてくれない尾瀬の草花は意地悪でもある。

ポッカさんが重い荷物を背負って行く
ことばを発するのも苦痛なほどの重労働で、黙々と木道を歩く
軽々しく声をかけてはいけない!

右手に牛首の森が見えてくると左右に池塘(チトウ)が広がる
池塘に浮かぶ島のいくつかは底とつながらず、浮島となってただよう

中田代の池塘と白樺
ニッコウキスゲのころには絶好のビューポイントになる

水に漂う浮島は岸がが千切れたのか
水底から浮かび上がったのか
はたまた宇宙から降ってきたのか

<豪勢な青空ランチ>

今回は具留満氏の趣向を取り入れてみた。どうせ行くなら普通に歩いてもつまらない。何か目玉になる企画を・・・それはやはり「食」でしょう!
ということで前夜の帰りがけに酒屋に立ち寄って、赤ワインを一本、スーパーで生ハム、オイルサーディン、パルメザンチーズにフレッシュチーズ、ソーセージ、フランスパンを仕入れた。アーミーナイフと、デザートのオレンジとりんごも持参した。紙コップでは雰囲気も出ないのでグラスも用意して、フレンチ風のランチをしつらえた。

場所は竜宮十字路からヨッピ側に入った木道の休憩所。尾瀬ヶ原の中でもっとも往来の激しいポイントになってしまった。(日帰りのスケジュールではここが最適)
思い立ってもなかなかできない本年最高のランチが始まった。
ブルゴーニュの赤はまだ少し若いがミディアムライトの飲み口で、口当たりがいい。こういった野外での食事には最適に思えた。
パルメザンの味の濃さに比べてフレッシュチーズはクリーミーだ。赤ワインとの相性は前者か。
オレンジの切れ端を生ハムでくるんで口に入れる。生ハムの塩分とジューシーな甘さが口の中で溶け合う。フランスパンをかじる。
小魚のサーディンもフランスパンに合う。
ソーセージをナイフで切って口に放り込む。貪欲に食べる。
赤ワインが尾瀬の微風でブレンドされて芳香を放つ・・・・・。
さてパーティはこれからが佳境というところで、ポツリときた。
「雨?」「雨だ!」
山の雨はすぐにザーッとくる。慌てて荷物を片付けて、リュックを背負い、近くの竜宮小屋に駆け込んだ。知らず、ワインボトルと食材は濡れないように胸に抱え込んでいた。
さて、空を見上げたが大雨が来るというけはいは見えず、
5分ほどでこの雨はやんだ。

竜宮の森に囲まれた竜宮小屋は尾瀬を歩く人にとって重要な役割を担う。
尾瀬ヶ原の真ん中にある小屋はここしかなく、天変地異の避難小屋となり旅人を救う。
背景に重々しく聳える燧ケ岳を従えて存在感を示す。
「尾瀬ランチ」の再開である。こんどは竜宮小屋のテラスで、ということになった。ちょうど
11時と昼食時間を迎え、みなさん小屋を囲んでそれぞれ持参されたおにぎりやお弁当の華が開いた。
しかしその中でわたしたちのランチは異彩を放っていた。こちらの本意ではないが当然、周囲の注目を集めることとなってしまった。
尾瀬ヶ原で「ワインで乾杯!」なのですから。(実は昨年もこの場所で赤ワインを開けた経緯がありました。)
けっきょく、持ち込んだ食材はワインも含めてすべてここで食してしまいました。いい心地です、ハイ!
十二分に「尾瀬ランチ」を堪能したのですが、けっしてこのランチは高いお金をかけているわけではありません。1000円少しのワインと、冷蔵庫の奥に隠れている食材をあわせただけのもの。贅沢というよりアイデアしだいなのでは・・・?
時刻は
12時10分を回った。トータルで昼食に要した時間は90分。
<帰路はヨッピ橋周りで牛首へ>
残念ながら空は生憎の曇天で、尾瀬ヶ原が明るくない。

右手に大きく燧ケ岳がそびえたち、白樺がアクセントになっている。一方尾瀬ヶ原はワタスゲの白のみが目立ち、まるで色を失ってしまったようだ。レンゲツツジの赤はどこに行ったの?ニッコーキスゲの黄色は時期的に早いのですか?ヤマドリゼンマイの溌剌としたクサミドリ色は見られないのですか?
それよりも緑の中に赤茶けた色が目立つ。これは霜害なのだろうか?
6月はじめに降りた遅い霜にかなりの影響を受けたと聞いている。だとすれば・・・・・わたしたちは不運だ!
1.5kmを30分かけて歩いて、ヨッピ橋に着いた。
鉄骨の上に木製の踏み板がはめ込まれている。冬は雪の加重を避けるため、この板ははずされてしまう。下を流れるヨッピ川は川上川によく似ていて水深が浅い。下流は自然堤防のため背丈の低い潅木が川中に乗り出している。魚の姿が見えないのは水質のせいだろうか?

東電小屋まで歩こうかというアイデアもあったが、ロスを考えてきびすを返し、牛首に向かった。
ほどなく左手に大きな池塘が現れた。
池の中からミツガシワの白い花が顔を出していた。
ふり返れば燧ケ岳、行く手にはヨッピ川の拠水林が待ちうけ、木道はその中に入り込んでいく。湿地の中に水芭蕉の末の姿が名残をとどめ、低い潅木はヤチヤナギだろうか。

拠水林を抜けると前が大きく開け、右手に残雪の至仏山が勇姿を現した。
正面には牛首の森と、尾瀬のメインルートを行き交うハイカーの姿も豆粒のように見えてきた。要衝牛首三叉の木製テラスには大勢のハイカーが足を休め、最後の休憩を取っていた。この時間(
13時20分)になると、山の鼻に帰ろうとする人がほとんどだ。

ダケカンバの向こうの雄大な燧ケ岳が尾瀬ヶ原を襲う

30分ほどで山の鼻に帰り着いたが、その少し手前の池塘での眺めがすばらしい。往路でも感じたが、時間の経過とともに光も変化し、思わぬ景色に出合った。太陽が至仏山の山の端にさえぎられ微妙な光彩を落としたために、油絵のような写真をモノにすることができた。
湿原をめぐる尾瀬の旅も残り少なくなった。

山の鼻で一休みしたあと、鳩待までの上りを帰りのボッカさんと競争して、なんと
40分で歩いてしまった。
まだまだ元気が残っていた。ひょっとしてその元気は、竜宮で摂ったあの豪華な「尾瀬ランチ」がもたらしたものだろうか・・・。
<エピローグ>
かつて尾瀬は遠いものと思っていた。
遠すぎてたどり着けないものと思っていた。
しかし今回の日帰り企画で実証したように、少し歩く覚悟を決めれば意外と簡単に一日の尾瀬を楽しむことができる。かつて明治のころ、艱難辛苦を
覚悟してこの地に分け入った武田久吉さんのことを思えば、夢のような現代である。
せっかくの「おいしいご馳走」を黙って見逃す手はない。
まだ未体験のかたに!!
至仏山と燧ケ岳とに囲まれて、3時間もあれば踏破できる尾瀬ヶ原の「悠久の大自然」を、ぜひ味わって欲しいと願わずにいられない。
わたしも次を計画していますよ!
<完>
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