先斗町「山とみ」
<新京極と三条小橋>
バスを河原町四条で降り、人ごみであふれる新京極のアーケードに紛れ込んだ。
頼まれものの土産を品定めするためだが、ほどなく右手に、蒸し器から惜しげもなくホカホカの湯気を吐いている店が目に止まった。京都に縁を持つ友人・元チャンのことばを思い出した。「蒸し寿司がおいしいんだ!」
その店「音羽」はハコ寿司や冬限定の蒸し寿司で著名な店。明治
35年創業以来、変わらぬ味を守りつづけている。オリジナルブレンドのコメを釜ではなく竃(カマド)を使い、直火で炊き上げる昔ながらの手法で作るシャリは、ツヤがありふっくらしておいしい。夕食を控えていたので、夜食のため、また「話のタネ」に「あなご」を一人前買って持ち帰った。
新京極から路地を抜けて、木屋町通を高瀬川に沿って三条まで歩き、旅の裏テーマ「新撰組」の「
池田屋騒動」跡を確認した。今は「パチンコやさんになっていて石碑のみ残る。」というガイドブックの説明通りで何の感慨もない。
高瀬川にかかる三条小橋の欄干のみが「私だけが知っている」とばかりに、宵闇の中で歴史を物語っているように見えた。
三条大橋で折り返し先斗町を下る。
京都の正月を楽しもうという観光客が狭い路地にあふれんばかりだ。両側に軒を連ねた正月3日の料理屋は半ば閉じられ、暗闇に近いそぞろ歩きなのだが、妙に暖かいものを感じた。懐かしさから来るものだろうか。
<「山とみ」の暖簾>
左手にむかし通ったなじみの看板を見つけた。
先を歩いていたママさんを呼び止め、わたしは店の中にはいった。
「いやーお久しぶりどす。○○さん!」と会社の名前を呼ばれた。
店の名は「山とみ」。
京都出身の先輩が懇意にしていた店で、はるか昔の学生時代に先輩が「ママの妹の家庭教師をした」という縁である。わたしも出張の折に何回か立ち寄らせてもらった。暑いころの夕暮れ、同僚と共に鴨川を見下ろす二階の「納涼床」で、「はも料理」をいただいたこともあった。懐かしさがこみ上げる。
「山とみ」さんは、もともと、50年前には「お茶屋さん」であったものを、現ママが鉄瓶揚げ、湯葉料理、おでんなどを主とした小料理屋に変身させた。京子ママの人柄ゆえに、馴染みの客が集まり盛況を極めている。
店のコンセプトが「常連客は旅人のあなた」だから、お客さんを分け隔てなく歓迎する。(カウンターに居並ぶ常連客の方が客を差別する?)
したがって一見客も入りやすい。そして店の雰囲気に慣れ、たちまちリピーターとなる。繰り返すが、ママの人柄ゆえである。
隣に座った常連さんが「この店はなかなかカウンターには座れないんやでぇ。」とご指摘されたが、その幸運を素直に喜んだ。「旅は道連れ世は情」ではないが、袖をすり合わせて酒をいただき、浮世話をするのが旅の一番の楽しみ。
しかし隣の御仁は70歳を過ぎているというが、そうとう酒がまわっている。何年か前脳血栓で倒れ、今でも言語障害が残るが毎日のように通って飲んでいるという。飲める身になったことを喜ぶべきか悲しむべきか、御仁は勝手に身上話を始めたのだが、聞き取りにくい上に話がくどい。
「もうお帰んなさい。これで最後ですよ。」とママに優しく諭され、老人はふらつきながらすごすごと退散していった。
<前進座が南座で「俊寛」を公演>
入れ替わりに座られた方も年配の常連のかたで、すぐに、斜め前の別の常連さんから声がかかった。
「このかたは今『京都南座』で興行されている有名な俳優さんや。」
すると、気を利かせた京子ママから公演の小冊子が差し出された。「
前進座初春特別公演」とあり、出し物は近松の「俊寛」である。
東山鹿(しし)の谷といふ所は、うしろ三井寺につづいて、ゆゆしき城郭にぞありける。これに俊寛僧都の山荘あり。かれに常は寄り合ひ寄り合ひ、平家亡すべき謀(はかりごと)をぞめぐらしける。 |
平家物語の「平治の乱の後、清盛の横暴を阻止しようと鹿ケ谷会議を招集したが発覚、捕らえられて斬首や遠流となった」中で、俊寛・丹波少将成経・平判官康頼の3人は鬼界ヶ島に遠島となった。
平家物語では俊寛の最後は語られていなかったが、確かこの島で一生を終えたと思う。その俊寛の怨念のストーリーだが、近松だから話はどろどろしている。
名刺をいただいた。「前進座 座友 市川祥之助(しょうのすけ)」とある。
市川さんは「俊寛」の中で敵役を演じている。3人の中で俊寛だけが赦免されないのだが、赦免された二人に対して赦免状を届ける「瀬尾太郎廉康」という平家の武者役を演じているという。
「これがわたしです。」とパンフレットの写真を指差した。(写真左が市川さん)
「年齢のせいか、カツラや衣装が重くてたいへんです。」と洩らされた。
<京都と吉祥寺>
前進座といえばわたしの地元小金井に近い吉祥寺である。
案の定、名刺の住所は吉祥寺となっていた。そういえば行きつけの店で役者らしい顔ぶれに出会ったことがある。ひょっとしてと思い、「吉祥寺の○○というお店をご存知ありませんか?」と尋ねると、「よく知っていますよ。」と驚きの表情。
その話で盛り上がったときに、忙しそうに立ち働いていた京子ママから「わたしもそのお店なら知ってますや。何回か行ったことがありますのや。」と合いの手が入った。
「えぇ?・・・世の中は狭いですねぇ!」と二度目のびっくり。
前進座のみなさんは京都での公演の際は「山とみ」さんをよく利用されるという。この日も多くの役者さんが後援者(タニマチ)をつれて二階に出入りしていた。
「いかがですか?明日午前中、時間がありましたらご覧になっていかれませんか?チケットを用意します。」と観劇まで誘われてしまったが、あいにく予定が詰まっていたので丁寧に辞退した。
「そのうち東京でお会いしましょう。」ということになった。
(後日、吉祥寺の店でその報告をすると、ご夫婦とも懇意にしているという。しかし「店の休日が同じなので、互いに入れ違いになってしまうのが残念」と嘆いていた。それにしても同業で東西互いに誼を通わせるというのはうらやましいかぎりである。)
<大騒ぎ>
このあとは偶然カウンターで隣り合った老若男女がたいへん盛り上がった。
静岡から「だんなさんを置き去りにして」息子と二人の京都旅という斉藤さん母子、社会人1年生という北海道出身でNTTDATAに勤務している石塚君、金箔を商っているという会社の専務中塚さんは陶器のマイカップでビールを飲んでいたが、みなさん入り乱れて、それは楽しい酒席が繰り広げられました。これも一期一会。
何を話したのかとんと覚えていないが、みなさん遅くまで京都の夜を堪能し、ご機嫌さんで店を後にした。
6時過ぎに店に入って、出たのが9時40分。なんと3時間半の熱狂ぶりであった。ありがとうございましたみなさん、そして京子ママ。
<続く>
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