六波羅蜜寺
<平家と六波羅>
六波羅は御所から見て南東の方向、四条以南・鴨川の東側一帯を指す。かの地は歴史的に「平清盛」の出世物語と密接な関係を持つ。
1118年誕生の平家の頭領・清盛が30歳過ぎから頭角を現すにつれ、それまで芦荻が茂る湿地帯であった六波羅は平家一族郎党の住まいとして開拓され、年を追うごとに拡大していった。
その最盛期には広大な境域に5200余の邸館が並んだという。平家が木曽義仲によって追い落とされ、鎌倉の世となった後も頼朝はここに六波羅探題を置き都の治安を監視したのだが、その後も時の為政者にとってこの地は重要な戦略的拠点となった。
<六波羅蜜寺の創建>
新京極や祇園界隈を歩いていると六波羅蜜寺の「破魔矢」を持ち歩く若者が目立つ。数ある京の寺院の中で、いまも庶民の参詣が絶えない六波羅蜜寺とは???
六波羅蜜寺は平家全盛をさかのぼること
200年前、天暦5年(951年)醍醐天皇の第二皇子・空也上人(903〜972)によって開創された天台宗寺院。
平安遷都以降の歴史のなかで幾多の戦乱は殺戮を繰り返し、また度重なる飢饉は弱者を餓死させ、京都は常におびただしい死者の巣窟でもあった。
<六道之辻>
六波羅蜜寺に向かう角に「六道之辻」という石塔が立っている。六道とは、生前の善悪の行いによって 導かれる冥界で、天上、人間、修羅、 鬼畜(畜生)、餓鬼、地獄のこと。
(左:六道の辻に建つ西福寺)
その昔、「六道の辻」は鳥辺野の無常所の入口にあたり、現世と冥途との境の地であり、亡骸はこの辻の向こう側に捨てられた。金のない民衆は埋められもせず、弔われることもなく放置され、穏亡(オンボウ)たちによって運び捨て去られた。その死せる肉体は風雨に曝され、髑髏(ドクロ)となって六波羅の野辺に転がっていた。
その骨を拾い、さまよえる魂を供養したのが六波羅蜜寺創建の空也上人。
<嵯峨天皇と弘法大師> |
実はこの地にはさらに深い歴史がある。
嵯峨天皇(786−842年)の時代というから、平安遷都から20数年後(820年前後)のこと、弘法大師
(774−835)が六波羅に地蔵堂を建立し、自作の地蔵菩薩を安置した。
地蔵さまは六道にいる人間の苦を救う仏で、この世からあの世へ、またあの世からこの世へ、さ迷える魂の送迎をする。それは重要な役割をになう神で、地獄に落ちた亡者を救えるのは唯一、地蔵菩薩しかいないのである。
こんな昔話が残っている。
「小野妹子の先祖に小野篁(たかむら)がいるが、冥府にいた篁が満米上人と地獄へ出かけた。火の中を一人の僧が走り回っている。『亡者を助けるために、苦患を受けているのだ。』それが六道の地蔵菩薩だったという。」
六波羅蜜寺には地蔵菩薩の立像・坐像が安置されており、どちらも重要文化財。
話はそれるが、弘法大師は時の嵯峨天皇と親交を深め、大覚寺の前身・嵯峨離宮建設に協力したり、逆に天皇から高野山開創の勅許、東寺の下賜と恩寵を賜っている。 |
<空也上人のこと>
若くして五畿七道を巡り修行、尾張国分寺で出家し、空也と称した。その後も諸国を遍歴し名山を訪れ、練行を重ねるとともに一切経をひもとき、教義の奥義を極めた。天暦二年(
948年)比叡山坐主・延勝より大乗戒を授かり光勝(こうしょう)の法号を受けた。
森羅万象に生命を感じ、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えた。
この時代の一般の僧は権力と結びついて栄耀栄華を望む者が多かったが、上人はそれらには見向きもせず、市中にあって伝道を励んだので、人々は親しみを込めて「市の聖(いちのひじり)」と呼んだ。
鞍馬山に閑居後、その鳴き声を愛した鹿が猟師に撃たれてしまった。上人は悲しみ、その皮と角を譲り受け皮を衣類に、角を杖とし、生涯わが身から離すことはなかった。
六波羅蜜寺の奥の収蔵庫棟に、重要文化財となる空也上人像が(平清盛坐像の隣に)収まっていた。
運慶の四男・康勝の作による
彫像の空也上人は、胸に金鼓を右手に撞木を、左手に鹿の杖をつき、膝もあらわにぞうりを履いている。
さらに6体の阿弥陀を口から吐く姿は異様にも感ぜられるのだが、これは「南・無・阿・弥・陀・仏」の六文字を象徴しているという。(右:重要文化財・空也上人像)
ひとたびも 南無阿弥陀仏と いふ人の
蓮(はちす)の上に のぼらぬはなし
(空也)
六波羅蜜のこと(
こちらにリンク)
六波羅弁才天の銭洗い
七福神のなかで唯一の女神である弁天様は、水を神格化した神さまで、学問と技芸の神。仏教では人々に財宝を与え、障害を取り除く誓願が加えられ、したがってお祈りすれば財布のなかが豊かになる。
六波羅蜜寺・右手最奥に弁才天は鎮座ましましていた。
関東では鎌倉の銭洗い弁天が有名で、親しい友人は「
1万円札を洗ってもらってから、飛躍的に金回りがよくなった。」と語っていた。
わたしもあやかりたく、なけなしの1万円札を洗ってもらったが、気難しそうな係の女性から「貯めてから使うこと!」と念を押されてしまった。頭をかきかき、(この旅行中に洗ってもらった1万円札を使わないようにしなくては・・・ぶつぶつ)と思いを新たにしたのであった。
皇服茶(おうぶくちゃ)
夕暮れがせまり参拝客も少なくなった頃、正月の三日間だけ授与されるという伝統の皇服茶(おうぶくちゃ)をいただいた。
空也上人は病人のそばで茶をたて、小梅干と結び昆布を入れて仏前に献じ、その茶を授けて念仏を唱え、病魔を鎮められたという。俗にいう厄除けの茶である。
「小さな梅干の種を財布に入れておいてください。」が厄除けの秘訣といわれたのだが・・・・・。
六波羅蜜寺(ロクハラミツジ) |
■ところ 京都府京都市東山区松原通大和大路東入ル
■交 通 JR京都駅→市バス206系統で10分、バス停:清水道下車、徒歩5分。または京阪電気鉄道五条駅→徒歩5分
■開 園 8:00〜17:00 年中無休
■入園料 境内自由(宝物館500円)
■問い合わせ 電話075-561-6980
(2004年正月現在) |
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