おばんざい「和」
(2004年1月2日)


京おばんざいの店「和」

<木屋町>

 この日の夕食はあらかじめ予約をしておいた「おばんざい」の店「和」。木屋町五条は松原橋を上ったところにあり、窓の向こうに鴨川を望みながらの夕食となった。



<夫唱婦随→婦唱夫随>

 巳年生まれXX歳の女主人と、あごひげを蓄えているが50歳というからよほど年下のご亭主、という二人三脚の料理屋「和」は年季の入ったおいしい「おばんざい」をお客様に提供する。

 お二人で分担して料理されるようだが、煮物「おばんざい」は女将の仕事で、30種以上のメニューをこなすという。一階は切炬燵式のカウンターに13席のみだが、この日の客はわたしたちを含めて8名。小粒でも人気の店は、お正月も大忙しである。


「和」の女将 というのは・・・・・常連客の奥様たちからお正月のおせち料理を頼まれるから、という。
 上流階級の奥方たちは、いかにも「わたしが丹精込めて作りました。」という顔で、新年の挨拶にみえるお客様をおもてなしする。
 「そんな顔が想像できて楽しい。」とジョークの絶えないご主人はのたまうが、しかし料理の方は噂にたがわずどれをとっても味がある。京都らしく薄味であるが、存在感のあるメリハリの利いたバリエーションで十分に堪能できた。


<京料理>

濁り酒、濁れる飲みて・・・(藤村) まず、お正月のサービスという口当たりのいい濁り酒で始まった。

 生ものは「貝つきの酢牡蠣」と「中トロとヤリイカのお造り」で、これは亭主の包丁による。

 「茶碗蒸し」はゆず風味の薄味で奥ゆかしさを感じる。梅の果肉がなんともいえないアクセントになっている。

おばんざい

 小鉢の一つ目は「蕗(フキ)と慈姑(クワイ)と海老の煮物と鱈子の昆布巻き」。

おいしかった煮物

 次に「山科唐辛子のジャコ炒め煮」と「京菜のおひたし」。

 圧巻は次の正月らしいお節の煮物で、具は月並みの「蓮根・大根・にんじん・こんにゃく・京いも」だが、ニシン煮が添えられていて、これが抜群の味を出していた。

 「鳥の手羽焼き」が出てきたときはもうおなかは八分目を超えていた。
 その後もおつけものなど2−3種をいただいたという記憶はあるが、冷酒が回り始め、定かな記憶がない。

どんぶりに冷酒!

(写真:どんぶりになみなみと冷酒・・・いやーおいしかった)


<幇間?>

料理は続く 食がおいしい上に話がおいしい。

 口が滑りすぎるきらいのある亭主はサービス精神が旺盛で、失礼ながら、わたしがふと思いついたことばは「幇間」。大人の遊びを熟知し、その知識に裏付けられたボキャブラリーが次々と口から飛び出す。

 女将はそんな旦那を「可愛い亭主」という風に、鷹揚に見守る。

 「わたしはこの人に女ができてもいいと思っている。」「そうなったらわたしはババァだが、若い二人に養ってもらおう!」と腹を決めている。


<幽霊>

 そんな女将から興味深い話が聞けた。
 彼女は霊感をもっている。

 「この店でも時々出会うんですが、ざわざわというざわめきの中で霊が何かを作っている。たぶんわたしらと同じような料理人の霊でしょうか?」

 六波羅の辻でも書いたおどろおどろしいことが、そのまま現実の話となっていると感じたわたしだが、「気持ち悪くありませんか?」と質すと、「そんなことありまへん。だって生きている人間は平気で人をだますけれども、幽霊はだましません。平気ですわ!」と明快な返事が返ってきた。

夜の紅葉 (そうか。そう思えば霊も恐いことないんだ。)と単純に納得し、さらに(この女将は霊とコラボレーションしている。)と想像力は膨らんだ。

 隣り合わせた同年輩の客とも話が弾み、女将が評判を聞きつけて仕入れたというおいしい酒もぐいぐいとすすみ、いつの間にか3時間も過ごしてしまった。

 わたしは、一見の客にも分け隔てのない笑顔でサービスしてくれたこの店が、すっかり気に入ってしまった。

夜の高瀬川

なんともいえない情緒をかもし出す夜の高瀬川

<続く> 「嵐山から宝厳院」へ


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