16章 白金温泉
<旭川で仕事>
旭川の百貨店で東京から出張のスタッフと待ち合わせ、店長を紹介し、某インターナショナルブランド時計の販売促進を頼み込む。
アパレルのことに話が及び、「コーディネイトで販売しないと売上は伸びない。現在の販売員はそのセンスがないのではないか。変えるべきでしょう。」と手厳しい指摘を受ける。販売員のA嬢は今年昇格したばかりで、交代させるのは難しく、又一つ問題を抱える形になった。しかし売上優先の発想で考えることが肝要。
買物公園をしばらく歩き老舗の時計・宝飾店を訪問、社長と面談する。「Gショックが順調に売れている。驚異的な数字を上げ、助けられている。これはブームというには収まらず、時代の流れであり、若い人たちのライフスタイルとして定着している。デジタル時代に育った少年少女たちは、ポケベルや携帯電話を持ち、あるいはテレビゲームを楽しみ、たまごっちを育てる。そんな時代の落とし子であり、この傾向は今後も衰えない。」と自信満々の発言である。
現場の実践で苦労されている経営者と直接話し、現場感覚を持つことの重要性をあらためて感じる。

<しっとりと名残の雪の白金温泉>
4月初旬の午後の日差しが弱まりかけた頃、兼ねてより打合せのとおり、十勝岳の見える白金温泉に向かって美瑛ヘの道を急いだ。
旭川から国道237号線を南下し、富良野に向かってしばらく走ると美瑛町に入る。富良野ほど有名ではないが負けず劣らず景色の美しい町で、とくに丘の美しさには定評がある。初夏の6月中・下旬からおよそ1ヶ月の間、美瑛の丘にはラベンダーやポピーなど色とりどりの花が咲きそろい、麦やジャガイモなど他の作物とあいまってナチュラルな色彩の饗宴を繰り広げる。初夏はこの大地が一番輝く季節。
さて白金温泉は風景写真で有名な「拓真館」の前田真三さんが愛した美瑛町唯一の温泉。十勝岳の北西麓、美瑛川のほとりに湧き、白樺林に囲まれたさわやかな温泉保養地である。
早春の田舎道は人の気配もなく寂しい。美瑛から白金温泉に向かう白樺街道はその名のとおり林立する白樺の原生林に包まれている。十勝岳の噴火によってやせた火山灰土に広がった白樺の純粋な林で、北海道名勝百選の一つ。
その山道にさしかかるあたりから、ちらちらと白いものが降りかかる。
「雪!」「雪かな。」ほとんど同時に二人から短い言葉が出た。「やはり雪だ。」
「4月のこの季節にしてこの雪、東京では信じられません。向こうでは毎日20度を越え、暑さが気になるというのに、この雪には驚きです。」
「北海道最後の雪になりそうだね。名残の雪・・・。遣らずの雨というのはあるが、遣らずの雪というのは聞いたことがないね。」
<湯本白金温泉ホテル>
この旅は東京転勤が決まり、まもなく愛着著しい北の国に別れを告げる旅でもあった。
白く薄化粧をしたまっすぐな道を30分ほど走らせて、あらかじめ予約しておいた宿に着く。「湯元白金温泉ホテル」という。
ここからさらに急坂を登れば「望岳台」という十勝岳連峰を一望できる展望台に達することができるのだが、今回はゆっくりと湯につかることにした。
湯元というからにはわけがある。「この白金地域の温泉の湯元になっています。開湯時は冷泉で、沸かしていたようですが、今はそのままかけ流しにしています。十分な量の熱いお湯が出ています。」とのこと。
「このホテルも1年前に改築しましたが、それまでは古い建物で営業していました。」と年季のはいった仲居さんが説明してくれたように、平成7年に全館をリニューアルし、老舗ならではの風格ある宿に生まれ変わっていた。ほのかに木の香りを漂わせ、また調度類も落ち着いていて、間接照明の灯りが上品な温泉の雰囲気を演出していた。
閑散期なので宿泊客は見当たらない。そのせいか格安料金で、広くて清潔な部屋を用意してもらえた。
早速、温泉に入る。大きな岩を配した本格的な岩風呂である。眼下に美瑛川が谷底に雪解けの冷たい水を集め、ほとばしっている。風呂からの景観は、雄大な峡谷を望み、素晴らしいという一言に尽きる。木々はまだ雪の冠を脱げず、寒い装いをしているが、谷の雪水は音をたてて流れている。露天の風呂もなかなかのもの。
視界に入る自然がいい。風呂も清潔で本格的。捨てがたい湯である。(お金を出せば良い湯はたくさんあるのだ)などとわかりきったことに気付く。
食事も部屋でゆったりといただく。地元の旬の食材を生かした和風会席料理。量より質の趣で、その配慮がこの年令の体にありがたい。
野球中継を見ながら仕事の苦労話に花が咲く。バブルがはじけた後の産業界はいずこも四苦八苦。とくに北海道経済は瀕死の状態。浪費を抑え逼塞している道民に可処分所得が増えるわけはなく、消費が上向く気配はまったく見られない。
食事を終わると、同僚はすぐ横になって、そのうち寝てしまう。まだ8時半なのに…。このまま寝るのでは夜が長すぎる。
<白樺に黄色い芽が出るころ>
もう一風呂浴びようと一人で部屋を出た。風呂は渓谷の途中にあるためエレベーターで下に降りる。ゆっくりと湯につかる。露天風呂からは白金小函の渓谷美の一端を垣間見ることができる。夜の渓谷である。
湯あがりに冷たいビールを飲みたくて、館内のスナックの暖簾を上げると客は誰もいない。「どうぞ。どうぞ。暇ですから。」に誘われて、カウンターに座る。
こぎれいな40がらみの地元の仲居さんと土地の話に花が咲く。「旭川で生まれてこのかた、ずっとこのあたりを離れたことがない。自然が美しいからその気にもなれない。」と身の上話。
「雪解けが終わり、白樺に黄色い芽が出る頃の光景が一番好き。」と話してくれた。あと1ヶ月もすればそんな季節を迎えるが、「しばらくはそんな光景にお目にかかることもない。」と事情を話すと、仕事でがんばりなさいと慰められてしまった。
<さらば白金温泉>
一夜明けて、一枚張りの窓のカーテンを開けると、幸いなことに十勝岳は雲一つない青空に雪を抱いてすっきりと立っていた。白樺の林はまだ芽を硬く閉じ、蝦夷松は昨夜降った雪を重そうに乗せていた。布団に戻り寝転んで、しばらくゆったりとこの光景を楽しんだ。
朝食をとっている間に雲が出てきた。今日はまた雪か・・・。
帰り道は、一面の銀世界。いっとき雲間から十勝岳が顔を出した。快晴が欲しかった。北海道らしい青い空が欲しかった。
<続く>
その後白金温泉を再訪することができた。「そのときの記録」


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