第2章 神々と天使が住む
     天空の楽園

<アンコールワットへの入場門シェムリアプ=第1日>

まるで湖の上を飛行しているようだ

 バンコク航空のボーイング717型機が徐々に高度を下げると、カンボジャの大地が眼下に大きく広がる。あたり一面が水で覆われていて、まるで湖の上空を飛んでいるように感ぜられる。今年は雨季の降雨量が多かったのだろうか。

 シェムリアプの南・トンレサップ湖の湖水面積は、雨期には乾期の三倍となり湖からあふれ出す。本来ならば湖の水を排水すべきトンレサップ川が、大河メコン川の氾濫の逆流により、湖の水位を上昇させ周辺地域を冠水させるという。

 その湿地帯に見える大地が、喫水線道路を超えたところのシェムリアプ空港に飛行機は静かに着陸し、わたしたちはカンボジャへの第一歩を記した。


バンコク航空のキャプテン 迎えに着た28歳になるガイド君は「わたしはソ・サロムと申します。わたしの日本語は下手で、聞き取りにくいところもありますが、お許しください。これから3日間アンコールワットの旅を楽しんでください。」という内容を、たどたどしい日本語で説明したのだが、童顔と純朴そうな話しぶりにメンバーは等しく好感を持った。 

無事到着

 そして彼の仕事が始まった。
 空港から市街までは目と鼻の先にあるが、周囲の光景はまったくのんびりしていて、昨日までのタイの雑踏とは大違い。水田が広がり、道路は赤茶けた地面に仮舗装されているがたがた道。水牛が水辺で寝転んでいる傍らで、麦わら帽子をかぶった子供たちが遊んでいる。シェムリアプ市内に近づくほどに建物は立派になり、近代的なホテルを目にするようになる。


プリンセス・アンコールホテル その一つが、今回のアンコールワット観光の基点「プリンセス・アンコールホテル」であった。今夏オープンしたばかりのピカピカのホテルで、建物や什器備品などハードウエアは新品だが、シャワーの湯が出ないとか、女性陣の部屋は水漏れがするとか、ドアがしまったまま開かないなどトラブル続出。快適なサービスを提供するという、ホテルにとって最も肝心なソフト面の運用が未だし。

フロントのお嬢さん それでも、熱心に働いている純朴でまじめなホテルマンの熱意だけは理解できた。特に受付のお嬢さん方はシャイで可愛らしかったですね。

 滞在してすこし時間がたってからの話。日本人の年配の女性が女子従業員を教育している場面に出くわした。少しずつ良くなっていくのだろう。


クメール民族のこと

いよいよアンコールへ(外壕) アンコールとの対面の前に少々基礎知識の勉強をしておきたい。まずカンボジャ人のこと。

 5・6世紀にメコン中流域から南下し、7世紀ごろカンボジャ中心部に住み着いたオーストロ・アジア諸系諸族に属する。1100万人の90lがクメール人で生業は水稲農業。

 現在の宗教は上座部仏教で、農村の住民はほとんどが敬虔な教徒であり、布施を行い、徳を積む。

 若いときの一時出家の慣行も盛んだが、一方で古来よりのアミニズム信仰の世界を持つ。大地の恵みによって生きていることに感謝し、自然そのものを信仰するアミニズム。土地の精霊を崇拝し、それを象徴する石などを崇める。その独特な混交宗教、言ってみればクメール教なるものがカンボジャ・アンコールの特徴でもある。

アンコールの歴史

道端で遊ぶ幼児たち

 世界文化遺産のアンコールワットはクメール王朝の全盛期12世紀前半に創建された。

 それ以前の9世紀末からシェムリアプ周辺には王権の象徴たる寺院の建造が進んだ。
 その数は600に及ぶ。クメールの王位は世襲されず、権力を握った強いものが王を宣言するという形態で、常に勢力争いが絶えず、王権は砂上の楼閣ではなかったか。そんな状況の中で、シェムリアプ周辺に大小あわせて600の遺跡が点在し、500年にわたり王都であり続けた理由は、この地域が産業(農業)・経済・政治の要所であっただけでなく、前王の正当な継承者であることを証明するためでもあったろう。このことは天皇を奉じることで正義とし、権力を手に入れようとした日本の中世の為政者に似ている。


のんびりと水牛 ジャヤウ゛ァルマン7世がバイヨン寺院を創建した12世紀末は、アンコールが最も繁栄した時代で、東南アジア大陸のすべての道がアンコールワットに通じていたという。東はベトナムのチャンパ王国、西はタイの大部分、南はマレー半島北部まで、その版図は拡がった。

 東南アジアに唯一の大帝国が、クメール人によって実現した。

 40キロ四方の豊かな水の都がアンコールで、大小さまざまな寺院が建立され、その中心にアンコールワットがあった。アンコールワットはヒンドゥー教の宗教施設であるとともに都のシンボルでもあった。

 日本で例えれば平城京における東大寺がその役割を果たしたように。

アンコールの建造物

 建物にも顕著な特長がある。伽藍の中心にはヒンドゥーを祀った祠堂。ここにはたいていブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神などの神々を祀っている。そして経文や宝物を収蔵した経蔵が隣接し、東西南北には楼門や塔門が配置され、テラス、回廊・周壁が周囲を取り囲む。

 ヴィ゙シュヌ神(太陽神)それらの縦横の組合せは時代の移り変わりの中で増改築され、その後に密林に消えていた何百年かの空白の時間がある。実に、ジグソーパズルのように絡まって解きほぐすことを拒んでいるようである。そのことが見る人の想像力をかき立たせ、無限の神話の世界を創出している。かくいうわたしもその虜の一人。

 さあ、神秘と謎に包まれたアンコールワットに出発だ。

天空に聳える須弥山アンコールワット

 クメール語でアンコールは「王城」、ワットは「寺」を意味する。時の権力者スールヤヴァルマン2世によって1113年から約30年かけて建設されたもので、王の墳墓であると同時にヒンドゥーの三大神の中心・ヴィシュヌ神を祀るためのものであり、これは死後に神と王とが一体化する神王思想(デーヴァ・ラジャ)による。

 建物は、東西1040M、南北820Mの周壁および190Mの幅をもつ堀によって囲まれ、約200ヘクタールの広大な敷地の中心に石作りの祠堂が立つ。
アンコールワットの建設には、現代人の予測で「25000人の人夫が動員されたとしても34年かかる」という推算がなされている。

プノン・バケンよりアンコールワットの尖塔を望む アンコールワットがクメール(カンボジャ)人にとってどんな意味を持つのかとの問いに、「カンボジャの歴史・文化・伝統・風土を凝縮した存在であり、国民が共有できる最高の寺院である」との返事を得た。

 昔からの王国の存在、共通の言語クメール語、大湖・大河川・大平原の自然環境のある村落での生活の営み、仏教寺院、祖先の霊に触れることのできる石造りの遺跡、それらは代々途切れることなく継承され現代のクメール人の礎となっている。その中心に座っているのがアンコールワット。


西塔門の中に3基の尖塔が さーて、環濠の向こうにアンコールの5基の尖塔が見えた。期待で胸が膨らむ。

 西の塔門まで進む。塔門の内部にすっぽりと3基の尖塔が収まる。本殿はまだ遠く離れているのに、すでに神話の世界に入り込んでしまった。この塔門においてすでに、高さ4mのヴィシュヌ神やアプサラ(踊り子)のレリーフ、砂岩でできた連子状窓などエッセンスが詰まっている。

アンコールワットの全貌


 左右の経蔵をやり過ごし、テラスを左に降りる。
 聖なる池の向こうに長い回廊と5つの尖塔、これぞアンコールワットの雄姿がくっきりと浮かび上がる。聖池は茶褐色のアンコールの全体を水面に映し出し、青空と白雲のコントラストが映える。


第一回廊をぐるりと回って
  「ラーマーヤナ」と「マハーバーラタ」

 第一回廊は東西が215メートル、南北180メートルあり、外周は800メートルに達する。第一層は、屋根に覆われた回廊が四方にめぐらされている。

回廊に刻まれた兵士たち
 北西の石段を登り右回りに進むと、西側の壁いっぱいに「ラーマーヤナ」と「マハーバーラタ」の、また南側回廊には「王様の行進」「天国と地獄」をテーマにしたレリーフが長編絵巻の世界を浮かび上がらせている。正真正銘のヒンドゥー寺院。

 高校時代、東北大出身で唾をとばしながら熱弁を振るった世界史の教師がいた。
 唾の汚さには閉口したが、尊敬できる先生でたいへんな影響を受けた。歴史好きの性格はこの先生に植え付けられたといっても過言ではない。
 「テルエルアマルナ」とか「イクナートン」「アメンホテプ4世」「チグリスユーフラテス」「モヘンジョダロ」などの名前とともに、インド古代の抒情詩「ラーマーヤナ」および叙事詩
「マハーバーラタ」の言葉は心地よいリズム感とともに脳裏に焼きついている。


双頭の馬車に乗るラーマ王子 「ラーマーヤナ」はタイの王宮編でも書いたが、紀元前にサンスクリット語で書かれたヒンドゥーの逸話で、権力争いのストーリーを権力者の立場から書いていて、最後は王(神)が悪魔を退治するという壮大な戦国絵巻。これは支配者からすればたいへん都合のいい話で自分自身が勧善懲悪の主人公に納まることができる。

 古来覇者の常道は宗教をうまく操ること。

 その意味で差別を前提に成り立つヒンドゥー教は為政者に都合よい宗教であった。

ハヌマーンの肩に乗って弓を射るラーマ王子 古代インド社会は生まれながらの差別が当然のカースト社会。バラモン僧がインド教ともいうべくヒンドゥー教を巧みに操った。
 どのように?
 ・・・ヒンドゥーの
神様は本来一つだが、その神は時として形を変えて現れるということにした。詭弁である。いろいろな神が現れる。釈迦もマホメットもヒンドゥーのヴィシュヌ神の生まれ変わりで、したがって壁画のラーマ王も生まれ変わりということになった。為政者である王は神であった。

 うがった話。ひょっとして、道端で餓して死んでいく人も自分は神と思い込んでいるのではなかろうか。未だインド人の80%はヒンドゥー教とともにある。

 余談、某国でも現人神(アラヒトガミ)という言葉がつい最近まであった。



 ついでに、インドで生まれた仏教が、なぜインドで定着しなかったか?

 答えは簡単。ゴータマ・仏陀は「生きとし生けるものは草木まで、みな平等」と、説いた。バラモン僧はこれでは困る。絶対的に伝播を阻止した。今のような民主主義のなかった時代である。仏教はインドで根付かず、弟子たちによって北と南に広がっていった。

 アンコールのいたるところにヒンドゥーと仏教の確執の痕跡が残っている。

 しかしアンコールの壁画を見ていて歴然と感じることは、アンコールに限らず人間の歴史は殺戮の歴史であったということ。ギリシャ・ローマもしかり。中国史もしかり。

 殺戮を肯定するのではなく、平和へのアンチテーゼとして見るべきと思うのだが、これは受け取る人の意識の問題となる。多くの観光客は戦争の悲惨さや恐ろしさを感じる冷静さより、美しく壮大な芸術品を鑑賞したときの感動を優先する。

 この国にはつい最近ポル・ポトという大量殺人を犯した人間がいたのだが・・・。

第一回廊南塔に突然の驟雨 最初から必要以上に興奮して、緊張していた。

 しかし「天国と地獄」のあたりにさしかかると疲労と、わかりにくい日本語のせいで急速に頭脳中枢を眠気が襲う。サロム君もそのことがわかったのだろう。休憩を取る。

 にわかに南の回廊を驟雨が襲った。30分のスコール、これで眠気が取れた。

聳え立つ須弥山 中央祠堂

ふくよかで優雅なデバター 第三層の中央祠堂の基部は、第二回廊から第三回廊に登る急傾斜の階段を結ぶ石橋のようになっている。第三層の中央に高さ65メートルの中央祠堂があり、これを取り巻いて回廊がめぐらされている。

 柱や壁に浮かび上がる数々の女神(デバター)は気高く美しい。一体一体が髪の形、手の動き、顔の表情、透き通る薄衣から装飾品にいたるまで微妙に異なっていて同じ物が一つとしてない。当時ここに住んでいた優雅な女官の姿を連想させる。


判別は難しいが森本右近太夫一房の墨書 話は少し飛ぶ。徳川家光の時代だから1630年前後か、仏教の聖地・祇園精舎視察の命を受けオランダ船に乗り込みアンコールワットを訪ねた武士がいた。その人・島野兼了はここを祇園精舎と思い込み、見取り図を作成、後世に残している。

 島野を溯ること80年、森本右近太夫は父親の菩提を弔うために仏像をアンコールワットに奉納している。そのときの落墨が中回廊の柱に今も残っている。ちょうどシャムで山田長政(実在ではないというが)が活躍し日本人町が栄えた時代と符合する。



アンコールにそびえる尖塔

 いよいよ中心部に近づいた。中央の尖塔が大空に聳え立つ。

 上ることを拒否するかのように見える急角度の石段は、明らかに60度を超える。真ん中から上っていくような無謀な奴はほとんどいない。みな左右の石組みを手でつかみながら注意深く一歩一歩上がっていく。しかも石段の石は幾千万人の重みのある靴で角が丸く磨かれ、滑り落ちる危険すらある。

 サロム君は「今まで落ちたという事故は聞いたことありません。」と言っていたが、わたしには彼が知らないだけだろうとしか思えなかった。

 高所恐怖症のままさんを上げるのがたいへんだった。
 「下りは手すりのついた南の石段から下りられますから・・・」というサロム君の言葉で彼女も覚悟を決め、上り始めた。

天国への急な階段をよじ登る 見た目よりたいへん! 一歩一歩「もう少し、もう少し」と励ましながら、男でも足の振るえを覚えるような階段を上る。なかなかたどり着かず、途中悲鳴すら上がる。しかしながら今さら降りることなどとてもできない。下から上がる人と交錯してしまい危険度はさらに増す。さながら芥川龍之介の蜘蛛の糸である。なんとしてでも地獄から這い上がる以外に選択の道はないのだ。


上りついた中央祠堂塔からの絶景

 やっと上がりきったときの爽快感は、大きな仕事をやり遂げたときのよう。

 はるばる日本からやってきて、この階段を上らなかったなら、戦わずして引き上げる卑怯な兵士のそしりは免れない。

 上りついたそこは須弥山。中央祠堂の五基の祠堂(尖塔)は宇宙の中心。すなわち世界の中心山で、神々の住まいたるメール山(須弥山)である。周囲の回廊は雄大なヒマラヤ連峰。環濠は無限の大洋。その向こうには地平線のかなたまで続く熱帯の密林。

 ここからはすべてを見渡すことができる。

 天空に聳える神々の楽園であった。



プノンバケンの夕日

「プノン・バケン」の象


 夕方5時、聖山プノン・バケンに登る。

「プノン・バケン」に上る 高い山がないこの地域の中で唯一ともいえる高所からの眺望が開け、その光景は秀逸。空気が澄み、さえぎるものがない地形ゆえに全方位を俯瞰することができる。

 南東の方角に、樹海に浮かぶアンコールワットが静かに佇み、その神秘性はいやがうえにも増す。西側には、人間が作ったとは思えない広さ(東西8`南北2`)の貯水池・西バライが西日を受けて光っている。そのほかはどちらを眺めても密林。

太陽はジャングルの向こうに沈む

プノンバケンの夕日

 プノン・バケン山の上には何百人という観光客が沈む夕日を、いまや遅しと待っている。

 やがて、真っ赤な太陽は徐々に西の地平線に傾き始めた。はじめはゆっくりと・・・そして、半ばからは走るように・・・黄金の輝きは消えた。

 一瞬の沈黙。そして感動の声が湧き上がった。沈みきった瞬間、全員が拍手。みんなが素直に感じた感動。

 神の住む国に夕日は沈んだ。

<続く>
 

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