嵐 山 (2004.1.3)
ー雅なる流れー
嵐山は孤独な山ではない。西北の愛宕連山が保津峡を越えて低くなって、人里に落ちる「最後の山」というのが正しい。
一度京都の西、その嵐山界隈をゆっくり歩いてみようと、思っていた。
いつ行ったのか思い出せないほど昔、何回か訪ねたことはあるが、いずれも駆け足の訪問であり、しかも当時は歴史そのものにもあまり関心のない青年期のことであった。
したがって、京福電鉄の嵐山駅に降り立ったとき、(駅もすっかりスマートになった!)と時代の変遷を感じたのだが、歩き始めてすぐに渡月橋の欄干が見えたときには(ああ変わっていない)とほっとする気持ちとがない交ぜになっていた。
<みやこ鳥>
渡月橋の上に立ち、枯れた芦の向こうに舞う「ゆりかもめ」を見るともなく眺めていた。この鳥は都鳥(みやこどり)ともいって、六歌仙の一人・在原業平(825−880)の歌が思い出された。
「名にし負はば いざ言問はむ 宮こ鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」
伊勢物語の「隅田川」の一説で「武蔵の国と下総の国との中に、いと大きなる河あり・・・渡守に問ひければ、これなん宮こ鳥といふを聞きて・・・」
業平東下の際、武蔵の国・隅田川の淵で詠んだというのだが、彼が隅田川の畔まで来たという史実はない。業平らしい恋の歌だが、歌詠みには想像力は不可欠の資質であるようだ。
そして、渡月橋から眺めた都鳥も風情があっていい。
さて、「渡月橋」とは風雅な呼び名である。
亀山天皇が嵐峡の空を渡る月を眺めて、「隈なき月の渡るに似る」・・・あたかも橋が天井の月を渡しているよう、として命名した由である。
またこの橋は一見、木造のように見えるが実は鉄筋コンクリート製である。なぜ木橋と見間違うかといえば写真のように欄干は檜でできている。木曽ヒノキだそうである。
<保津川>
観光地図を眺めると渡月橋を境に上流を「大堰川」そして(保津川)と括弧書きがつき、下流は「桂川」と記載されている。これはどういう意味なのかと、前々から疑問に思っていた。
丹波の保津川町の人々は昔から自分たちの川として「保津川」と呼んできたが、その上流は大堰川(おおいがわ)と呼ぶ。そして嵐山のこのあたりまで下ってきて、また大堰川となる。
さらに渡月橋の下流では「桂川」と呼ぶ。桂離宮で有名な桂の郷の人々も、勝手につけたのかは知る由もないが、古来自分たちの川を「桂川」と呼んできた。
昔の人はみんな自分勝手である。それが文化だといってしまえば反論の余地はないが、わたしは、正しい名称は大堰川だろうと思う。
<天竜寺塔頭「宝厳院」が公開>
渡月橋を戻り天竜寺に向かったが、途中、天竜寺塔頭「宝厳院」の庭園を訪ねた。
この庭園は、つい最近まで個人の所有ということから公開されていなかった。それが江戸時代に収録された「都林泉名勝図会」さながらに公開の日の目を見た。
<時代劇ロケ>
それまで裏側では、時代劇映画の「風景」としてよく利用されていた。
おそらく、ちゃんばら映画業界の方にとっては欠かせない場所で、「天下の副将軍水戸光圀」における「柳沢吉保別邸」、「鬼平犯科帳」の「亀戸天神前・玉屋」「向島料亭大村、老中水野邸、大目付別業、高輪の八つ山御殿」などという設定がずらりと並んでいる。いずれも大金持ちや幕府高官などの茶寮や別邸・隠宅・別業としての使用で東京人にとってさすがと感じるものがある。
もっともこの地は太秦にも近く、一帯が時代劇の聖地といえる場所で、驚くに当らないのかもしれないが・・・。
拝観入口までの苔むした参道には人の気配もなく、ひたすら平安の世界。楓の木立を通して冬の木漏れ日がさし込むなか、静寂をかみしめる。さくさくと砂利石道を踏みしめる二人の足音のみが静寂の気配を裂いた。
<羅漢さま>
門前には羅漢様が祀られており、その奉納のあらましや句碑建立の案内看板が立っている。
羅漢とはお釈迦様の弟子で悟りを伝承する崇高な修行者を意味し、「悟り」に通じる。パンフレットには「五百羅漢を天下の景勝・嵐山に建立することにより、人類の安心立命と嵐山の守護、景観の保全を祈念する。」と書かれていた。
<獅子吼の庭>
大亀山宝厳院は、寛正2年(1461)というから全国に大飢饉が発生し、京都にも土一揆が起こった時代、室町幕府管領細川頼之によって創建された。
蓑垣で編んだエントランスを抜けると小粒だがしっとりと趣のある庭園が広がっていた。
庭園を「獅子吼の庭」と呼ぶ。名勝嵐山を借景として取り込んだ枯山水の庭園は、禅僧・策彦周良禅師によって作庭された。
「獅子が吼える」の意味は「仏が説法する」ということのようだが、まさに人生の真理を庭に具現化した名園といえる。
案内にしたがって左回りに回遊を始める。
右手に須弥山をあらわす築山が、左手に人生そのものを表現した「苦海」が姿を現した。
その対岸には「雲上三尊石」が、また海の中には「此岸」より「彼岸」にわたる舟石や仏のもとにわたる獣石がバランスよく配置されている。
<無畏庵>
築山を巡って左手奥には「無畏庵」が枯れた穂垣を隔ててたたずむ。
この無畏庵も時代劇の舞台に多く登場する。
格子の破風に特徴があるが、「徳川風雲録」や「剣客商売」の「麻布西光寺下のシーン」で記憶に残っている方も多いのではなかろうか?
池波正太郎さんが好みそうなたたずまいである。
「無畏」という聞きなれないことばは仏教の「四無畏(しむい)」からきており、その意味は「畏れはばかることなく法を説く」のに4つの条件があり、釈迦はその条件をすべて備えているということ。いささか難しいが、一切智無畏、漏尽無畏、説障道無畏、説尽苦道無畏がその4条件。
さらに足をすすめると「獅子岩」「碧岩」「響岩」といった巨岩に出会う。
「破岩の松」は岩を割ってまっすぐに天に向かって伸び、あたり一面は苔が這う。
本堂の存在を忘れて美しい庭に見とれてしまった。厳冬一月ですら存在感があるからには、紅葉の季節はどんな姿を見せてくれるのだろうか・・・・・。
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天竜寺塔頭「宝厳院」 |
■ところ:京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町
■交 通:市バス「嵐山天龍寺前」下車すぐ 京福電鉄嵐山線「嵐山駅」下車すぐ
■開 園:9:00〜17:00
■入園料:500円
■問い合わせ:電話075-861-0091(2004年正月現在)
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