祇王寺
悲運の白拍子祇王と仏御前



<平家物語と女性>

紅葉の祇王寺


 平家物語にはたくさんの女性が登場する。

 いずれも悲恋の物語となり、滅び行く武士の哀れを象徴している。
 いくつか例を挙げると、まず、悲劇の主人公・九郎判官義経と引き裂かれた静御前、次に清盛入道の五男・重衡と白拍子・千手の短い愛の物語、越前の三位通盛と禁中一の美人・小宰相の局の愛、そして平景清と阿古屋など・・・・。


 中でも「もののあわれ」を誘う女性といえば、平清盛の娘「建礼門院・徳子(1155-1213)」。
 高倉天皇の中宮として安徳天皇を産み、清盛の死後わずか4年という短い歳月でその栄華のすべてを失ってしまった。自ら壇ノ浦で身を投げ、ただ一人だけ助かってしまった高貴な方は、大原・寂光院で余生を仏に仕えた。(「建礼門院と寂光院」へ

 次は白拍子の「祇王」で、この二人が双璧である。


 なぜ、男の世界の「平家物語」に女性が鮮やかなイメージをもって登場するのか?「平家物語」は、実は法然上人の「専修念仏」の宣伝書の意味もあり、「女人往生(極楽へ)」の思想が底流にあったといわれている。したがって琵琶法師がその思想を弾き語り、後世に連綿と伝えられたのである。



 さて、建礼門院が住まいし洛北・大原の寂光院は、残念ながら平成12年5月9日未明放火に遭い、その美しい本堂は消失してしまった。再現には今しばらくを待たなければならない。(「寂光院」へ

 この日訪ねた奥嵯峨の祇王寺は、小倉山麓にしっとりとたたずみ、苔むした落ち着きを見せてくれた。


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灯篭と本堂
竹林
茅葺の本堂


<祇王>

 では祇王寺をめぐる四人の女性の物語とは・・・・・

 平家が今を盛りと栄華を誇ったころ、都に聞こえた祇王・祇女という白拍子の姉妹がいた。近江・野洲江辺庄の生まれ、母親を「刀自」という。姐の祇王は時の氏の長者・清盛のめがねに適い、寵愛を一身に集め安穏に暮らしていた。そして3年・・・・・あるとき加賀の国は鶴来出身の「仏御前(ほとけごぜ)」という白拍子が現れ、清盛に舞を進ぜたいと申し出た。清盛はすげなく門前払いをしたのだが、祇王がこれをやさしく取りなし、仏は得意の今様を披露することができた。

  君を初めて 見る折りは 千代も歴ぬべし 姫小松 
    御前の池なる 亀岡に 鶴こそ群れいて 遊ぶめれ

 皮肉なことに清盛は仏御前を気に入ってしまった。その日のうちに仏を寝所に引き入れ、やがて祇王は館を追い出されることになった。

 そして・・・・・あくる春、再見の日、祇王は歌い踊る。

  仏も昔は凡夫なり 我等も終には仏なり
    いづれも仏性 具せる身を へだつるのみこそ悲しけれ

 居並ぶ諸臣の涙を誘ったが、祇王・祇女・刀自の三人は剃髪し尼となり、嵯峨の山里・往生院(祇王寺)の地で仏門に入った。時に祇王21歳、祇女19歳、母・刀自45歳。

 さらに世は無常。ある朝、竹の網戸をたたく者があり出てみると、なんとそこに剃髪した仏御前、わずか17歳の姿があった・・・・・。

 この後四人一緒に念仏行に明け暮れ、無事往生の本懐を遂げたという。


<往生院>

 現在の祇王寺は、昔の往生院の境内である。

 往生院は法然上人の弟子・念仏房「良鎮」が創建したと伝えられ、いつの間にか荒廃しささやかな尼寺として残り、後に祇王寺と呼ばれるようになった。

枯れた柴門 明治初期廃寺となり、残った墓と木像は旧地頭・大覚寺に保管。再建のときを待つが、明治28年(1895年)時の府知事・北垣国道氏が、嵯峨にあった別荘の一棟を寄進され、これが現在の祇王寺となった。

 穏やかな冬の日差しが肩越しに照りつける中、枯れた茅葺の門をくぐると、木の間越しにまぎれもない祇王寺の屋根が見えた。
 ことごとく葉を落とした楓が丸裸の肌をさらし、苔が地面を伝っている。右回りに回遊し主屋に近づくと、奥は竹林になっていて青竹がすっくと伸びている。
 小庭に配した灯篭と蹲(つくばい)の間を小川が流れる。これは無常の世界から来て、無常の世界に流れる「無常」という名の川。


<木像たち>

 玄関で靴を脱ぎ本堂に上ったが、そこは二間続きの小さな座敷のみ。手前左手の仏間に大日如来の本尊を真ん中に、左から母「刀自」・祇王・清盛・祇女・仏御前と木像が居並ぶ。
吉野窓 四尼の顔はさわやかだが、清盛公が、自分がもてあそんだ女性たちに囲まれ窮屈そうな顔をして、襖の陰に隠れがちと感じたのはわたしの錯覚だろうか。

 奥の控えの間には大きな円形の「吉野窓」がはまっている。太陽があたると、小枝の影が虹色に現れるという。

縁側より庭園を望む

 しばし端座して縁先から中庭を眺めた。
 斜めから差し込む日差しは苔の緑を浮き上がらせ、陽を浴びた楓の木立は曲線を描いて天に向かう。
墓碑
 この光景は祇王たちが毎日眺めた光景に違いないが、はたして何を思いつ時を過ごしたのだろう。
 「清盛はんは人の気持ちなんて、何もわかってはらしまへん!あんなんで平家の世が長続きするわけありまへん。」とつぶやいたかどうか・・・・・。

 境内の最奥に清盛と祇王姉妹の墓が苔むして立っていた。

 そこはかとなくもののあわれを感じさせる寺、不思議な寺、祇王寺。


<白拍子>

 白拍子・・・・・鼓を打ち、扇をもち立烏帽子・水干姿で仏神の本縁を歌い、舞い、色を売った。


祇王寺

■ところ:京都府京都市右京区嵯峨鳥居本小坂町32
■交 通:JR京都駅より京都バス大覚寺行50分、嵯峨釈迦堂前より西へ徒歩15分
■開 園:9時ー17時(受付16時30分) 特定日以外は無休
■入園料:300円、こども100円(小学生)
■問い合わせ:電話075-861-3574(2004年正月現在)

<続く> 「清涼寺・大覚寺」へ


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