三千院門跡(三千院) |
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わらべ地蔵二体
外国人が
欲しがるという
杉木立の下は一面スギゴケが覆う
ひときわ目を引く石仏
客殿を介して初めに広がる聚碧園
江戸時代の茶人金森宗和の作
ここで600円也を払い院内に
<2部 三千院?> <玉座の間・王義之の書> <有清園・昔見た光景> |
<3部極楽往生の夢
鎌倉時代に日蓮が仏教の堕落を指摘し、北条執権に問答仕立ての立正安国論を突きつけたのは勇気のいることだったと思うが、正しかった。 |
説明を聞いて満足して
いまは極彩色の壁画も色が落ちて
<エピローグ> 物見遊山の二人の会話最終章。 「同ヤン(同志社)も立チャン(立命館)も学生時代に京都で過ごすと、京の雅の心が自然に身につくのだろうね」 「うん、それはまちがいないこと。でも、浸りきって同化してしまって問題意識を持たなくなる」 「ところで、最近は京都の企業もがんばっている。みんな働き者だ」 「同族経営の中小企業が多いから、一流会社の社員みたいに定年がない。みんな死ぬまで働くのさ」 「でも、それって年金のことなんか心配しなくて幸せなんじゃないの?」 「それはいえてるかもしれないね」 「こういうご時世だからまちがいなくそのほうがいいよ!みんなでがんばれるからね」 <完> 「寂光院」へ |
比叡山
天台宗
参道脇を音を立てて下る沢
大原の里は漬物用野菜が多く採れる
しば漬け本舗
かぶりつくとタレが頬にべったりついてしまい、食べ方が難しい。
記念写真に納まる善男善女
<1部 大原へ> 京都駅から市内の大混雑をを抜けるのにだいぶ時間がかかってしまった。久方ぶりに京都の友人に出会い、喫茶店で旧交を温めるのも無粋だと、「大原にでも行ってみようか!」という彼の提案で急な「大原御幸」とあいなった。 互いに「相手が着物の似合う妙齢の女性であったならば・・・」などと戯言を楽しみながら、バスは高野川沿いに北上するがどの停留所でも観光客の乗り降りが多い。ほぼ1時間後、《バス停大原》で下りるとそこには広くて青く澄んだ空と、収穫を終えた田舎の臭いが待っていた。 帰りのバスの時間を確認し、おもむろに周囲を見渡すと、〔右手・三千院〕〔左手・寂光院〕のわかりやすい案内看板が出ていた。 三千院への参道脇には山の水を集めた沢が音をたてて下り、木々の緑とそのせせらぎが織りなす爽快な感覚は信仰の地・大原ならではのもの。 涼しげな霊気を感じながら参道を登り始めた。大原らしく「しば漬け」を商う店が目立つ。ご飯のお供として欠かせないが、我が家は西本願寺近くの「西利」の漬物を買い置きしているので、パスした。 <温泉とみたらし団子> 甘いタレで焼く独特の芳しい香りが漂ってきた。「おいしそうだからちょっと寄っていこうか!」 時刻はちょうど昼時にさしかかっていた。みたらし団子は「1本200円3本550円」とある。ご婦人方や老夫婦が列を作っていたが、ビールといっしょに二皿頼む。 「さすがに三千院、客が多い!」 「温泉の看板が出てるけどホンモノ?」 「うん!最近TVで騒いでいたネエ!」 「日本列島どこもかしこも温泉が出てるから・・・でもここで温泉にはいる人っているのかなあ?」 他愛のない話が続く。 <梶井門跡> 城のような立派な玄関には「三千院門跡(もんぜき)」の表札がかかっている。門跡寺院とは皇子・皇族が住職を継承する寺院のこと。(門跡へリンク) 三千院は天台宗五箇室門跡の一つで梶井門跡とも呼ばれている。 ちなみに他の天台4門跡とは青蓮院、妙法院、曼殊院、毘沙門堂のことで、いずれも在京都。 |
岩と杉を配した35菩薩石庭
三井寺の開闢・智証大師御作と伝えられる金色不動明王を本尊に祀る金色不動堂
京都大原・三千院
2004.10