6月にはいると北海道は本格的な観光シーズンを迎える。航空会社は便数を増やし、観光会社は大々的にキャンペーンを展開して集客に余念がないし、ホテルも夏料金に変わり宿泊料は2-3割アップする。土産物屋や飲食店もこぞって内地から迎える観光客をてぐすね引いて待ちかまえる。観光立国北海道は、内地や海外から訪れるお客さまが札束を惜しげもなくばら撒いてくれないと困るのである。それだけの先行投資をしているのだから。
札幌の中心街も6月にはいるとやっと輝きを増す。
市民がこぞって内地からの観光客を歓迎する。
6月に始まる3ヶ月の夏の間、札幌の週末は毎週、大通公園をはじめとして中島公園までのメインストリートを歩行者天国にしてさまざまなイベントが開催される。札幌夏祭り、納涼ビアガーデン、花魁道中も華やかなススキノ夏祭り、テレビ塔サマースクェア、豊平川での花火大会、北海道マラソン、花フェスタ、蚤の市などなど。
その端緒を飾るのが、今や全国レベルの盛り上がりをみせる「よさこいソーラン祭」。
この祭は1991年、北海道大学の学生が夏旅行に訪れた土佐で「ヨサコイ踊り」を目にし、若さが爆発するその迫力に大きな刺激を受けたのがきっかけという。かれは学生たちに訴え、若者を集め、1年後の翌1992年6月早くも第1回の「よさこいソーラン祭」を開催する。一人の学生が発想し着火した北国の夏の小さな灯は、燎原の火のように燃え広がり、またたく間に札幌市内のみか北海道全体に伝播した。
92年にたった千人で始まった祭は10年後の2001年には、なんと41倍の41000人が踊り狂う初夏の祭典にまで成長した。観客の動員も200万人に達し、これは驚くことに「サッポロ雪まつり」に迫る勢いである。観光資源が貴重な財産である北海道にとってこの祭がもたらした恩恵は大きい。おかげで冬と夏に大きな目玉ができた。
さて祭のこと。この踊りは100人ほどの集団で展開する創作ダンス。踊りの内容・構成は各チームがそれぞれ独自に考えるのだが、加えて音楽もコスチュームも振り付けも、すべてオリジナルである。そこに若者の智恵と感性と情熱とが注がれる。
条件はソーラン節であることと鳴子を手にもつこと。曲は4分30秒以内であること、パレードでは100mを進むこと。以上の4点。
踊りを引き立てる音楽は、テンポの早いロック調に編曲したオリジナルのソーラン節「・・・ヤーレンソーラン ソーラン ソーラン ソーラン ソーラン ハイハイ ニシンキタカト・・・・・」この基本は崩せないが、編曲は自由。
コスチュームもそれぞれのチームが独自にデザインし個性的で魅力的だから、旅人の目を楽しませてくれる。踊子はチャキチャキと鳴子を打ち鳴らしリズムに乗って跳ねるように踊る。
しかしなんといっても最大の魅力は、一糸乱れぬ統率のとれた集団舞踊の迫力にある。これは見たものでなければわからない。まだの方には、ぜひ現場で生の踊りを見ていただきたいものである。
わたしがはじめて「よさこいソーラン祭」に接したのは1995年の第4回目のとき。特別なこだわりもなく通りかかった週末のススキノ中央通で、偶然の遭遇。この年の参加チームは48チームと今とは比較にならないほど少なかったのだが、踊りの質の高さに驚いてしまった。ちょっとした買い物のついでに見始めたのが、思わず夢中になって踊りの流れを追いかけ、写真を取りまくった。
すでに賞が決まり、上位入賞組みのパフォーマンスを見ることができたのだが、「極楽とんぼ」とか「平岸天神」というチーム名を記憶している。全体的に非常にまとまりがあり、踊りに迫力があり、若くて、格好よくて大いなる感動を覚えた。
翌96年は仕事の帰りに大通り公園のステージを拝見した。宵闇の中、ひとりきりで眺めたのだが、感動に身が震えたのを思い出す。
最後にまとめ。
主催者の大会要項から引用させてもらうが、「いまや単純にShow(見せる)ではなく、Do(感動させる)へ」祭も新たなステージへステップアップしている。
この流れが北海道の前向きな精神や経済の進展につながってくれればいいなと、北海道フリークの一人として切に願うものである。
<続く>
Copyright ©2003-5 Skipio all rights reserved