<しずかな大沼・駒ケ岳>

96.11.15

 11月中旬の金曜午後3時過ぎ、函館の顧客を辞し札幌への帰路についた。

寒々と駒ケ岳 大沼より

 途中、初冬の駒ケ岳をカメラに収めるために大沼公園に立ち寄る。4時を少し回ったばかりというのに早くも夕暮れの気配が漂い、コートの襟を立てるほどに寒々としていた。駒ケ岳は夕闇の中、半身に雪化粧を施し、左下がりのなだらかな稜線をシルエットに佇んでいた。ここ道南の名勝大沼も、静かに観光シーズンを終わろうとしている。

<11月の降雪>

 昨日からの雪は降ったり止んだりをくりかえし落ち着かない。北国の天候は移り気である。とくに冬の始まるこの季節は、晴天かと思えば猛吹雪に見舞われるという信じられないほどの変化があり、車での出張には細大の注意と準備が必要である。

 午後6時、すっかり夜の帳を下ろした国道5号線「森町」のあたりで、左の行く手に三日月と宵の明星がくっきりと現れた。空気が澄んでいるので月も星も輝きを増す。

 北国ならではの静かな美しさ、この静寂は本州では味わえない。「とくに東京では・・・」と、北の大地への思いを同僚と語りながらのドライブであったが、途端に横殴りの雪が吹きつけてきた。冬の天候は正しく移り気である。

<凍てつく街道>

 函館から札幌までは230キロの長旅。

 この日は寒くて、スタッドレスタイヤで踏み固められた路面は凍てついているように見えた。右手の内浦湾は漆黒の暗に隠れ、その海を渡って小雪まじりの寒風が吹きすさぶ。八雲の手前の国道はブラックアイスバーンと称する凍結のために、乗っていてタイヤが滑っているのがわかるほどの不気味さを感じる。案の定、しばらく行くと、大型のトレーラーが左の田圃に突っ込み、車腹もあらわに横転している。ライトが灯いたままで、人があわただしく右往左往しているのは、直前に突っ込んだためだろう。先を急いだわれわれは、死傷者がないことを願うのみで、この事故をやり過ごした。

 長万部のドライブインで夕食のちゃんぽんを腹に詰め、いよいよ豊浦から難所の山道に入る。ここから室蘭、登別など海岸線を経由して道央自動車道を利用する経路もあるのだが、著しく遠回りになるのとコストが高い。どちらの道を選択するかしばし悩んだが、内陸のショートカット・ルートを選んだ。

 豊浦からしばらくは、洞爺湖の西側を迂回する新雪の街道を気持ち良く走る。風もなく静かである。不気味ですらあり、ふと「八甲田山死の彷徨」の行軍のイメージが頭をよぎった。


<八甲田山 死の彷徨>

 明治23年1月23日、弘前歩兵第31連隊と青森歩兵第5連隊は冬の八甲田山を踏破する行軍訓練に出発した。

 この訓練の目的はデータ収集。
 日本陸軍は日露戦争を目前に控え、寒冷地の局地戦におけるデータが欲しかった。午前6時、弘前と青森からそれぞれの部隊は進軍を開始。この日、折しも記録的な寒波が押し寄せ(1月25日旭川で観測史上最低気温マイナス41℃を記録)、両軍はすさまじい吹雪に遭遇する。
 結果的に神成文吉大尉率いる青森第5連隊は道を失い遭難、なんと199人もの兵士が白い悪魔のために命を落とした。



 この事件は、木曾駒ケ岳で遭難した尋常高等小学校の教師と生徒を描いた「聖職の碑」とともに、歴史の悲劇として人々に語られ、新田次郎が小説にまとめた。



 冬の中山峠は八甲田に似た気象条件下にあり、わたしも多少の不安を感じていた。

 途中「ルスツ」のスキー場を通りかかる。オレンジの明かりがこうこうと輝くのが近づくにつれ気持ちは高ぶり、一瞬リゾート気分になってしまったがそれも束の間、上り下りが断続的に続く直線道路に先を予感させる強い雪が降ってきた。

 冬の中山峠はできるなら避けたいと思うのが正直な気持ちである。急カーブが多い上に橋梁も多く、そのほとんどは凍結している。天気のよい昼間でも、スリップ事故が多く運転には細心の注意が必要だ。1-2月の大雪シーズンには通行止めになることもしばしばで、まさに運転手泣かせの魔の峠なのである。


<強烈、牙を剥いて襲いかかる峠>

 喜茂別を通り抜けるといよいよ上り勾配の山道に入った。そして中山峠にさしかかる。

 少しずつ雪と風が強くなり、そのことで峠を上っていることを実感する。周囲の森は灰色一色で、その他の造形物は一切目に入らない。

 この時点ではまだ、側溝を表示する両側の点滅灯をはっきりと認識できた。この最新式の表示燈は、3個のオレンジ色の明るい光を点滅させ、雪の峠の安全を守ってくれる。しかし徐々に高度をあげるごとに、横殴りの吹雪は激しさを増し視界はゼロに近くなる。左側の谷底との境界を示す点滅灯も、厚みのある雪に覆い隠されるようになり、3つの明かりが1つ見えなくなり、2つ見えなくなりという按配で、最後はほとんどの点滅燈が役に立たない状況になってしまった。

 「ここはどのへんだろうか?」「まだ上りきっていないでしょう!」緊張感の中で、会話もかじかんでしまって途切れがち。

 強靭なウインターブレードも凍りつくようで、フロントガラスに固まりついた雪の塊を手で掻き落とした。行き交う車もいない、というより見えない。自分の進む1m先の道も定かに見えないのだから、道の脇に停車でもしていれば間違いなく追突してしまう。そう、この雪の中では車を止めておくことがもっとも危険な行為なのである。

 しかも一つハンドルを切り損ねたら谷底に転落してしまう。そういえば、つい最近若手の社員が帯広に向かう峠で道をはずし、レッカーに引き上げてもらったことを思い出す。

 緊張感の連続である。

 ゆっくりと何回目かのカーブの坂道を上がりきって、「やっと中山峠だ。」の声。


中山峠より羊蹄山95.10.1 ふだんは揚げ芋や焼きとうもろこしの香りが漂う峠も今は人っ子一人なく、ただ吹きさらしの雪の中にひっそりと佇むのみであった。

(秋・中山峠から羊蹄山を望む→)

 ここからは下り坂になる。気のせいか雪は幾分ゆるくなったように感ぜられた。峠を下るごとに危険度は下がっていくように思え、安心感が広がっていく。
 
11月というのに真冬の戦いであった。これが真の北海道。

 やっとの思いで札幌にたどり着いたが、時計は11時半を指していた。

<続く> 

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18章 吹雪の中山峠