12章 阿寒湖

<札幌から北見へ・冬>
札幌を9時40分発網走行き「特急オホーツク」に乗りこんだ。冬の北見への出張は初めてのこと、新しい経験はどんなものでも心が騒ぐが、おしなべて楽しい。何が出てくるか、どんなことに遭遇するか、懸念とか心配とかがいっぽうにありながら、わくわくする期待も尋常ではない。
全国的な低気圧の襲来で、北海道全体にも大雪注意報が発令されている。普段雪の少ない北見の国も、困難が予想されている。得意先での展示会も人の入りが心配である。
そんな人間の営みを知ってか知らずか、汽車は冬の北海道のど真ん中を走る。
朝刊を丹念に読んでいるうちに、早くも旭川。
(もう1時間半たったのか)、この1週間降り続いた積雪のせいか、思いのほか雪が深い。沿線の家々は30センチを越える新雪を屋根に乗せている。除雪が追いつかないのだろう、見渡す限り雪の世界、それも中途半端な量ではない。
汽車の勢いで雪煙が舞い上がる。横殴りの雪が車窓を流れる。その向こうは灰色の世界。
列車は北海道の屋根、大雪山系にさしかかり、山が急に迫ってくる。角度のある急斜面に林立する木々が、やっとの思いで雪を支えている。夏は、鬱蒼と空を暗くするほどに葉をつけている樹林も、この季節は半分伐採されているかのように感じる。汽車は山の雪たちを怒らせないように、斜面をゆっくりと移動する。

遠軽、留辺蘂を経由して2時過ぎに北見着。
いささか疲れたのと空腹を癒すため、駅そばを食し、駅前の唯一の百貨店「北見東急」に顔を出す。田舎の百貨店にしてはしっかりしている。外の吹雪とはまったく違った明るい世界で、ほっとする。社員の応対も一所懸命さがこちらに伝わり、好感がもてる。商談の途中にT君から連絡が入る。
待ち合わせて仕事場の展示会場へ。
< 阿寒温泉 >
「今日の宿泊は阿寒温泉にしましたが、よろしいですか? いろいろと午前中に気に入りそうな山の中の露天風呂を、捜したのですが。それらしい温泉は、明日の釧路とは方向が違ったりしてなかったもので、月並みですが阿寒に行きましょう。」
もちろん異存があるわけはない。「阿寒はいつも通過するだけで、泊るのは初めてだから楽しみですね。」
「一般的すぎておもしろくないけど、安いというメリットがあります。2食ついて5500円で、野天風呂もあります。結構立派なホテルです。ビューホテルっていうんですけど。」
「食事もたっぷりあるし、お酒もゆっくり飲めます。ただし大食堂でみんなといっしょです。ウイークデイはビジネス客を安く泊めてくれるんですよ。」
仕事よりも温泉旅行を優先する社員に多少の懸念を感じたが、こういう時は生真面目さを捨て去ることも大事。めりはりをつけないと人生は楽しくない。
<真冬・吹雪の阿寒湖>
夕方、展示会場からお客様に「気をつけて行ってくださいね。」と激励され送り出される。既に外は暗く、雪道が心配である。山はいつ牙を剥くかわからないのだから。
北見から津別を抜けるのが早道で、さしたる危険にも出会わず、2時間ほどで阿寒温泉に到着。残念ながら雪の中で阿寒湖も何も見えない。街灯も雪にかすんでしまって景色はいっさい見えず、まさに真っ暗で雪だけが暗闇に舞っている。
阿寒ビューホテルは温泉街の山側に、威容をもってどっしりと座っていた。
午後8時半というのに既に深夜の雰囲気で、白い雪塊はホテルの庭にもたっぷりと吹き溜り、外観を隠してしまっている。真冬の平日のことゆえ、宿泊客は老夫婦がちらほら見える程度なのだが、そこに団体客が押し寄せてくるという。
なんと「今、急遽170名ほどが、釧路から飛行機が飛ばないからといって食事付きで飛び込んできます。決まったんです。」とフロントがうれしい悲鳴を上げ、にわかに活気付いてきた。
私はまず温泉につかった。内風呂で暖まって、野天に出る。外気はシンシンと冷え、しかも雪が風に舞っている。肩までじっくりと湯につかる。髪に触ってみるとバリバリと音を立てた。それでもここは極楽の世界。空が吹雪いているだけに、温泉の中の体は異常に気持ち良いのだ。この荒々しい自然界の中に身を置いて、のんびりした気分にひたれることが世知辛い世俗を忘れさせてくれる。北海道ならでは、阿寒ならではの世界であった。
< 避難客 >
料理も値段と比較すればまずまずで、贅沢はいえない。阿寒の公魚が天ぷらになって出てきた。揚げたてだけにおいしい。イカとサーモンのお造りに牛鍋もしっかりとついている。おなかが減っているだけに食事が進む。お酒もおいしい。調子に乗って、熱燗の徳利を二人で8本も開けてしまう。それも急ピッチで。
宿泊代の5500円は料理だけの金額といってもふしぎではない。都会の人はその価格でも十分納得する。
いきなり、どやどやと団体さんが入ってきた。先ほどの飛びそこないの不幸な人たちである。
「どちらからですか?」と酒の勢いも手伝い、話しかけてみた。
「松山です。飛行機が飛ばなくなってしまって、一泊追加ですわ。」と、延泊についてはまんざらでもなさそうなことばが返ってきた。
松山は俳句の里、2月といえばもう梅、あるいは南国なれば桜の季節か。
風雪が北見の大地を吹きぬけて阿寒の一夜が明けた。
翌朝、7時に野天風呂につかり食事。
<阿寒湖と松浦武四郎>
話は裏舞台から表舞台にがらりと変わる。
阿寒湖には名物が二つある。マリモと啄木の歌碑(すでに「第2章釧路」にて記載)。
しかしわたしには再三触れている「北海道の恩人・松浦武四郎」の詩碑のほうがより興味深い。
水面風収夕照間
小舟掌棹沿崖還
忽落銀峯千仭影
是吾昨日所攀山

漢字を追ってみれば、人といえばアイヌしかいない原始の森と阿寒湖の寂しい情景を想像できる。かれは安政5年(1858)の第6回蝦夷地探検の際、3月22日に阿寒を訪れている。その際日誌に「蝦夷地の山川草木、森羅万象を神として崇め、古来からの文明と風俗に生きているアイヌにとってそのすべてを捨てさせられ、新シャモとして和人にさせられることは、生命を奪われるにも等しい。辛く、悲しく、腹立たしいことだろう。」と、アイヌへの同情を記述している。
ある夏の訪問時、いまや土産物屋の主人に落ち着いたアイヌのご主人から「恋の花・黒百合」の球根を購入し、しばらくのあいだ話しこんだ。何の屈託もなく物質文明の現代社会を楽しんでいるように見えた・・・。
話は真冬の阿寒に戻る。出発前道路状況を確認するが、テレビでは「前夜来の雪の影響で道東の交通はあちこちで寸断」と報じている。しかし出発せざるを得ない。「行こう!」
なお風は弱まらず、原野を吹き曝し、行く手に雪煙が狂ったように激しく舞っていた。
<続く>

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