突然襲った病魔の恐怖

曲:ベートーベンピアノソナタ第8番悲愴

<とっさに書いたメモ>


倒れた時に、メモを手帳に残していた。そこにこう書いてあった。


「今までこんなに息が苦しくなったことは無い。苦しい。死にたい。早く死にたい。助けて。何とかならないか。何とかして。背中が痛い。」

これだけの文章である。なにか残さなくてはという思いがペンを持たせたのかもしれない。

しかし遺言らしいことは一言も無い。

妻子に対するメッセージは思い浮かばなかったのだろうか?

否、万が一死ぬことなど考えていたかどうか・・・。
(絶対に助かる)(いや、本当にこのままあの世に行ってしまうかもしれない)という苦悩の交錯の中にいたのだろう。

これだけ書いて、あの世に行ってしまうのでは余りにも情けない、と今は思っている。

しかし、私の症状がもし頚椎の動脈血管の出血ではなくて、脳の内出血であったなら、結果は無残になっていたかもしれない。これが運命ということなのだろう。生き残ったことが運命なのだが、神の悪戯が少し過ぎていたらわたしの命は無くなっていたに違いない。

確か、あの時考えた。瞬間であったかもしれないが、こう考えた。あるいはかなり長い時間だったかもしれないが。
(なぜ、わたしは死ななければならないのだ。わたしが何をしたというのだ。この運命は余りにもむごい。助けてくれ。神よ。神がいるのだったら助けて欲しい。)

必死になって神に救いを求めた記憶がある。

<突然の衝撃と死の覚悟>


心臓をえぐるような衝撃が突如我が身を襲ったのは、出張から戻った翌々日のこと、まだ暗闇のはびこる深夜の布団の中であった。時間は午前2時なのか3時なのかも定かではない。

一瞬心臓麻痺がきた!と感じた。どーんと体内を大きな衝撃が貫いた。心臓が身体から飛び出してしまうかのような衝撃であった。

夢なのか現実なのかもわからない。ただ心臓がぱくぱくしているのが明白であった。私の手は明らかに心臓を押さえていた。夢であって欲しいと願ったが、それは現実だった。

どうしたら良いのだろうか?

このまま死んでしまえばもう誰にも会うことはできない。語ることもできない。しかし覚悟するしかない。いつ死んでも良いように常に覚悟をしておくこと、それがわたしの死生感。確かに覚悟した。

しかし、それにしても動顛していた私は救急車の119番すら忘れてしまった。

苦しみの中でいろいろなことが頭を駆け巡った。



一度この衝撃は収まった。

(ああ、助かった)という安心感が広まった。家に電話をしなければ…。

しかし、また次の衝撃が襲ってきた。(これは本当に駄目かもしれない。早く病院に行かなければ…。)

衝撃が我を襲う前触れの感覚を、身体が覚えてしまった。あ!また来る!という恐ろしい感覚を、である。

断続的に3回はこの襲撃に襲われた。

やっとの思いで布団から抜け出して家に電話し、119番の番号を確認してプッシュホーンをたたいた。電話では「すぐに来てくれ。このまま駄目かもしれない。」とめずらしく弱音を吐いた、と後ほど聞かされた。

すぐに救急車のサイレンが鳴った。そういえば、マンションを出たすぐのところに救急車の車庫があったことを思い出す。

救急隊が部屋に入ってきた。

誰が鍵を開けたのだろうか?玄関の所で管理人さんが「大丈夫ですか?」と心配そうな声をかけてくれた。そういえば、この管理人さんも単身赴任時代に救急車で担ぎ込まれ、生死の境をさまよったといつか話していた。

事情聴取を救急車の中で受けたとき、(これで助かった)と思った。(少なくとも、これで、一人であの世に行くことは無くなった)という安心感があった。


札幌の6月の夜明けは早い。

早朝の空気を引き裂くように、けたたましい音を発しながら救急車は走り出した。

少しの時間で札幌中央病院の心臓外科に着いた。集中治療室のベッドに投げ込まれ、早速診察を受けた。その時には精神的な落ち着きも取り戻し、具体的な症状を医師に訴えることができた。

「今日、時間を見て、カテーテルをやります。」

午後にはままさんも到着。相当心配したようだが、わたしの元気な姿を見てとりあえず安心したようである。

翌日カテーテルの検査結果を二人で聞いた。

「心臓には何の問題もありません。きわめてきれいな心臓です。」とモニターを見ながら医師は断定した。

だったら原因は何?

MRでの裁断画像は頚椎動脈の小さな翳を発見した。

「この内出血が原因です。」

<健康の大切さ>

このときは命の尊さを十二分に実感し、医者のありがたさもそれと同じくらい感じた。こんなつまらない死に方は絶対いやである。それを避けるための日常的な節制や我慢はいくらでもできる、しなければいけないとしみじみと実感したのである。

今も左足に小さな麻痺が残り、それを感じるたびにあのときの恐怖を思い起こす。
そして健康のありがたさも同時に・・・・・。

<完>

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