9章 帯 広

<<帯広・・・偉大なる十勝農業>>

 北海道でもっとも北海道らしい雄大な景観を見せるのが十勝。広大な畑や牧草地の中に防風林が濃緑色のシルエットを見せる。まさに北海道そのものである。
その中心都市が帯広。
 帯広の名の由来はアイヌ語の「オペレペレケプ(川尻がいくつも分かれる川)」がなまって「オベリベリ」そして「帯広」になったと考えられている。その由来の通り大小の河川が十勝川に収斂して太平洋に注いでいる。

<広ーーーい十勝>

 札幌から車で帯広に入るには二つの経路がある。一つは富良野から狩勝峠を越える方法。もう一つは石勝樹海ロードを抜けて日高から日勝峠を越える方法。いずれも清水町で合流し、帯広に下る。途中の峠から見渡す 十勝平野はとてつもなく広い。周囲に士幌町、上士幌町、本別町、足寄町、鹿追町など十勝農業を支える町村を抱え、畜産と豆類を中心とした北海道農業の中心的な地域。
 とにかく広い。郊外に出ると、どこまでも真っ直ぐな道路が続く。道路の両側には想像できないほどの大きな牧場が広がる。

 一度距離を測ってみたら直線道路が22.5キロもあった。その間信号は一つもなし。すれ違う車もほとんどいない。だから衝突事故が起きると悲惨な大事故になる。これを十勝型事故と称し、北海道人は恐れる。時速100`で走る車同士が衝突したらどうなりますか?想像するだけで身震いする。油断しないで安全運転を心がけるのが第一ということ。

<開拓の苦労>

 十勝開拓の原点は、明治16年に入植した依田勉三氏。静岡県加茂郡松崎町の出身で「晩成社」という開拓団を組織して帯広に入植し、開墾が始められた。先住民のアイヌも近寄らない十勝川流域の沖積地に始まる十勝の開拓は簡単ではない。
 もともと依田一族は甲斐武田氏の家臣であり、伊豆半島南部・松崎の地に営々と400年の苦労と汗をしみこませていた。その武家の血筋はよほど開拓者精神に満ち溢れていたに違いない。
 数年前、わたしは松崎を訪ねた際に著名な「大沢温泉ホテル」で依田一族のことを確認した。甲州から一族郎党を引き連れて松崎町・大沢の地に腰を落ち着けたことに偽りはなかった。

 かれらは想像を絶する苦労の末に、十勝の自然環境(気象や土壌)を利用しながら、十勝型の農業を作り上げ、成功を勝ち取った。
依田勉三の功績が映画となる。「新しい風・若き日の依田勉三」

 この地方は秋が晴天に恵まれるため、大豆、小豆、秋まき小麦、じゃがいも、てん菜などの穀物生産に最適で、とくに小豆の生産量は世界一とか。後年、小豆を利用した「十勝おはぎ」は全国的に名をとどろかすようになった。



<ある葬儀>

 96年11月26日夕刻、85歳でなくなった取引先・先代社長の葬儀がしめやかに執り行われた。
 小雪交じりの日勝峠は凍結していたが、早めに札幌を出発したために帯広ANAホテルに到着したのは午後5時。しんしんと冷え込み、その上に風が吹き荒れ、格別に寒い日だった。

 北海道で感じるのは冠婚葬祭に多くの人が参加すること。生前多少縁のあった人はみな列席し故人を偲ぶ。この日は、今まで見たこともない盛大な葬儀で、千人は越える弔問客が全国各地から参列された。人の多さにほんとうにびっくりしました。


 和尚さんは、まず故人の人柄に触れ、誠実な努力家を称えたが、次の講話で道元禅師の正蔵眼法について説経された
 記憶に残ったのは
「生老病死」はすべてが「苦」という話だが、「生は不生であると悟れば極楽往生する」という難解な宗教的ロジックを駆使された。わたしは素直に理解できず頭をひねりながら???

 また、四季に関して言及し、春夏秋冬も悟りの世界から見ればみな同じ楽しい季節で、道元禅師はこの間の消息を以下の歌に詠っている。

 春は花 夏ほととぎす 秋は月 
    冬雪さえて すずしかりけり


 良寛さんが残した時世の句は、

 かたみとて 何か残さむ 春は花
    山ほととぎす 秋のもみじ葉
 

 自然に任せ自然とともに生きることが仏法そのものであるという良寛さんの教えを歌っている。

 「四季の変化に五感を働かせると、今まで見えなかったいろいろなものが見えてきます。鳥のさえずり、ほころぶ花々、風のゆらぎ、太陽の暖かさ。これは一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうことごとくぶっしょうあり)です。」と結ばれた。


 開拓者の労苦と思わぬ説経に触れ、しんみりとしてしまった。

 冷えた体を熱い酒で温めたが、寝つきが悪かったことを覚えている。


<<豚 丼>>

 豆類に加えてもう一つ十勝農業の特色は豚を中心とした畜産。

 帯広には国立大学が1校だけ存在する。帯広畜産大学という。
 
 象徴的なのは「豚丼」という帯広ならではの食べ物がある。
 厚めの豚のバラ肉又はロース肉を炭火で良く焼き、独特のたれに漬け込み、ご飯の上にのせて食する。牛丼のように玉ねぎなどの野菜を混ぜるわけでもなく、肉だけのシンプルなもので最初出てきたときは拍子抜けしてしまった。しかしこれがおいしい。 初めて食べた味が忘れられない味になった。

 帯広駅北口前にある「ぱんちょう」が有名で、いつも客が列をなしている。価格は松850円、竹950円、梅1,050円、華1,250 円と、豚肉だけの料理にしてはいささか高い。暴利をむさぼっているのではないかと感じるのだが、出張の昼飯時は自然に足が「ばんちょう」に向かってしまった。

<<忘れられないとうもろこしの味>>

 8月もお盆を過ぎると秋の気配が漂う。
 観光客も減ったこのころがとうもろこしやジャガイモの収穫期となる。


 そんなある日、足寄国道に広がるジャガイモ畑はまさに収穫の真っ只中で、どの畑にも収穫用トラクターが轟音をとどろかせていた。
 移動中のわたしは「ゆでジャガイモ」の旗ざおを目ざとく見つけ、農家の前で車を止めて湯でたてのジャガイモを買い求めた。農業用倉庫には山のようにジャガイモが積まれ、出荷を待っていた。そんな農家のおばさんに豊作の喜びを聞きながらジャガイモをほおばった。男爵はあまくコクがあり十分に満足したのだが、すぐ隣の大きな鍋で何かをゆでている。
 「それはとうもろこしですか?」とたずねると、「これも今朝獲ってきたものだから甘くておいしいよ!」の返事。そのあまい誘惑に勝てず食べてみると感動的な味。シューシーなみずみずしさと甘さにはすっかり参ってしまった。とうもろこしってこんなにおいしかったのかと、思い直さざるを得ないほどの味。

 「これは獲り立てだから甘さが出るのですよ。都会の場合、時間がたっているのでどうしても味が落ちてしまう。」「とうもろこしは時間刻みで味が落ちていく!」と聞いて納得。


 早速10`を東京に送ってもらうことにした。その場から携帯で家にTEL「宅急便で送るけど、着いたらすぐにゆでて食べること。」と念を押した。
 あとで確認したら、近所へのおすそ分けもたいへん喜ばれ、面目躍如したとのこと。まさに大地の恵みであった。

続く

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