7章 真 狩
<ありがとう カサブランカとおいしい水>
秀峰羊蹄山南麓に位置し、ユリ根の生産量日本一を誇る真狩(まっかり)村。わたしは弥次さんと訪問したのをきっかけに、2年間で十数回ニセコに隣接するこの村を訪れた。
<後方羊蹄山>
札幌から定山渓を経由して中山国道を南西に進む。難所中山峠を越えてしばらく走ると、喜茂別町の町並みが、両側に農産物直売の店を広げ、旅人を迎えてくれる。
喜茂別を右折して京極方面に道を取ると、蝦夷富士「羊蹄山=正しくは後方羊蹄(しりべし)山」が勇姿を現す。いきなり間近に現れる驚きと、その迫力に圧倒される。
さて「後方羊蹄」という名前のことで日本史年表を開いてみると、日本書紀ではじめてこの名前が現れる。「飛鳥時代の斉明4年(658)阿部比羅夫が渡島蝦夷(アイヌ?)と接触、粛慎(アシハセ、実在の民族かどうかすら不明)征伐の為に、陸奥の蝦夷を連れて大河の河原に至り、翌年『後方羊蹄(しりべし)』郡領を設置」と書かれている。後方羊蹄山の後方を「しりへ」と、羊蹄を「し」と読ませた。羊蹄とは雑草のぎしぎしのことで、したがって「しりべし」は「ぎしぎしの咲く後の山」という意味なのだろう。
余談だが函館本線ニセコ駅の隣に比羅夫駅がある。駅舎が民宿になっていることとスキー場とで有名だが、この名前が阿倍比羅夫から取られていることは容易に想像できる。歴史はこうやって続いていくのである。
その後方羊蹄山を右に眺めながら雄大な畑作地帯を抜けると、そこが真狩村。この一帯は札幌生活圏への農産物の供給地。ジャガイモ・スイートコーン・ビート・アスパラガスなど多彩な作物が生産されているが、その中でも村一番の特産物となっているのがユリ根で、道内はもとより本州方面にも出荷されている。
<清流・真狩川>
村の北部を流れる真狩川(アイヌ語で「マツカリペツ」山の後を回る川の意)は小さな名流で、羊蹄の伏流水を集め、よどみなく清冽に流れる。北海道らしいこの川の姿が気に入って休日によくここを訪れ、気の向くままにスケッチしたり、散歩したり・・。
川は護岸が低く、手の届くところを流れる。周囲は緑に囲まれた落ち着いた雰囲気があり、岸辺の草のむしろに長い時間じっとしていても飽きない。心の安らぎを与えてくれた。
この川にはオショロコマが生息する。北海道指定の天然記念物のオショロコマは蝦夷イワナとも呼ばれ、イワナより小さい白点に、鮮やかな朱点が体側にある。
<村の英雄・細川たかし>
またこの川のほとりに演歌歌手「細川たかし」の記念碑が建てられている。ここは細川の生まれ故郷で、彼は郷土の誇り。この記念の銅像はボタン一つで浪々と演歌を歌い始める。歌に合わせて、踊り始めるおばさんたちがいたのには驚いた。
先輩に導かれて、細川の生家という家の前を通ったことがある。けっして裕福とはいえない家の造作から、彼の人知れぬ苦労の大きさを思いやった。
橋のたもとの農家で百合の女王「カサブランカ」の球根を購入した。半年後に見事な白い花を咲かせ、中島公園の一人暮しのマンションを素晴らしい香りでいっぱいにしてくれた。
<羊蹄山湧水の里>

真狩からニセコに向かう道道岩内線の右手に、羊蹄山の伏流水が豊富にあふれ出ている公園がある。このあたりでは京極町の噴出公園が有名だが、ここも負けず劣らず、たっぷりのミネラルウオーターを湧出している。しかも無料。訪れる度に20キロのポリタンクに2杯分詰め込んで持ち帰り、炊飯や飲料水に利用した。一人暮しの我が身では二ヶ月に1回の訪問で十分に用を足した。
まさに天然の恵み、命の水、北の国ならではの話。
<続く>

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