4章 稚内



<稚 内・・・北端のぬくもりと戦争の悲劇>

 稚内は風の町。北の最果ての町。

 1年のうち風速10m以上の強い風が吹く日はなんと130日にも上り、年間平均風速は5.1mにもなる。南部を除いて周囲90`が海に囲まれていて、その海からの強い風が吹き荒れる。なだらかな丘陵地で、遮るものがなにもないことがその理由。

 ロシア沿海州から日本海をわたった偏西風が町を吹き抜けた。



利尻島を描く 稚内公園は町の先端の高台にあり四方を見渡すことができる。はるか北方の海の向こうにサハリンを、西には利尻礼文の島影を、東は海岸線を辿って宗谷岬、南はサロベツ原野に連なる山々の稜線を眺望する。


 この高台に太平洋戦争記念碑「氷雪の門」と「九人の乙女像」が立つ。

 昭和20年8月20日、敗戦を宣告したにもかかわらず、ロシアが参戦し戦火と化した樺太真岡の町。ロシア兵が押し寄せてきた。その中で交換台に向かった真岡郵便局の九人の乙女等は、死を覚悟して己の職場を守った。

 窓越しに見る砲弾のさく裂、刻々迫る身の危険、いまはこれまでと死の交換台に向かい最後の言葉が発せられた。

稚内公園記念碑「これが最期です」 「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら・・・」

 叫びの声を上げて、住民に避難を促した。そして静かに青酸カリをのみ、夢多い花の命を自ら絶ち、職に殉じた。凄惨な覚悟。彼女たちの思いはいかばかりであったろう。

 石碑に刻まれた最後の言葉は重い。
 じっと風の音を聞いていると、その中からうら若き女性の木霊(コダマ)が聞こえてくる。

 早春の高台に咲く草木は昔と同じ姿で風にゆれている。

「戦後60年の晩夏に思う」リンク)


稚内公園からの眺望 絶景

 稚内は最果ての町。オホーツクの向こうはロシア。町の歴史に戦争の悲しさを織り込む。

 公園から下界を見下ろすと町全体を俯瞰できる。防波堤に沿ってコンクリの外壁が一筋の灰色の線を描く。樺太に向かう鉄道線路の終着駅の名残であった。ここで船に乗り換え、かつては日本の領土であったサハリンに旅立つ。夢が、希望が、幸せが・・・。あるいは・・・。誰が、何人の日本人がこの港をどういう思いで旅立ったのか。

 自決した女子放送員は17歳から24歳の乙女たちであった。


<歓迎の宴>

 稚内にスポーツ店を経営する心やさしいお客様がいる。遅い時間まで仕事の詰めをした後、従業員総出で、古くからの友人のような歓迎の宴を催してくれた。極北の海の幸は新鮮。味覚の王者カニをはじめ良質のウニ、カレイ、イカ、ホタテ、ホッキ貝など魚種も豊富。次から次へと食台に並ぶ珍味は例外なくおいしい。舌鼓を打つ。話に花が咲く。最北の町の夜は寂しいけれど町人の心は温かい。


 心やさしき友人の母親は夫と別れ、苦労の中で子供たちを育てた肝っ玉母さん。友人は立派な経営者となった今も母さんに頭があがらない。そんなママが今では堂々たるスナックを切り盛りしていた。夜の商売も大繁盛。二次会はその店でカラオケ大会。裃を脱ぎ捨て、宴会は時間を忘れ深夜まで盛り上がった。

 翌朝早く、私が旅立つ前に、ママは手作りのニシン漬をホテルまで届けてくれた。

後ろ髪引かれる思いで稚内を旅立つ。

<続く>

もどる すすむ

△ 北海道トップへ

△ 旅トップへ

△ ホームページトップへ


Copyright ©2003-6 Skipio all rights reserved