2章 釧 路

1995.5.25
< 釧路に下りて >
さいはての 駅に下り立ち 雪明かり
さびしき町に あゆみ入りにき
明治41年1月21日午後9時半、啄木は厳寒の釧路停車場に下り立つ。そして76日間という短い釧路での新聞記者生活が始まった。この町が、さいはての淋しい町であったことは想像に難くない。彼は花街に現を抜かし、短い人々の記憶と幾篇かの詩だけを残しこの町を去る。
啄木の時代から90年が経ち、わたしは初めての釧路駅に下り立った。
啄木のように真冬ではないが、そこはかとなく寂しさが漂う。この季節にしてはめっぽう寒い。
<老舗大店の暖簾>
釧路の経済もだらだら下がりの下り坂。
かつてニシン漁で大漁旗が翻った時代に、腹巻に札束を押し込んだ漁師たちがブランド品を惜しげもなく買いあさったという逸話は、今や昔話になってしまったのか?
同じくかつては経済の主役を演じ、脚光を浴びた製紙や石油化学の大規模工業も不況業種に成り下がり、それのみにとどまらず、今や湿原の自然破壊の元凶として槍玉に上がるほどで、踏んだり蹴ったりである。
駅舎から幣舞橋までまっすぐに伸びる1キロばかりの北大通りは、美的に整備され、申し分のない商業環境を整えはしたが、肝心の人通りが途絶えてしまった。消費の低迷の上に、郊外型の大規模ショッピングセンターの進出に顧客を奪われてしまい、典型的な地方都市のドーナツ化現象を露呈している。
その北大通りに、洗練された店を構える老舗の社長は、もう70歳を過ぎているのだが昔の栄華をしみじみと振り返る。
「昔は良かった。黙っていてもお客さんが高いものを買って行った。儲かった。わたしも若かったから、無茶苦茶に大盤振る舞いの遊びをしたものです。」
「新しい社屋も、お宅にお願いして鹿島建設さんを紹介してもらい、この土地で誇れるほどの立派な建物が建ちました。おかげさまで・・・。」
わが社の先輩たちもみな、お世話になったようで「釧路まで来てもらって、屈託なく楽しい家族付き合いをしたものです。」
この時代はまさに高度成長の絶頂期で、苦労も多かっただろうが活力にあふれていた。物不足から豊かな時代への移行期で、物質的にも精神的にも国全体が向上心を持って成長した時代であった。
今は時代が反転してしまった。
経営者には逆風が厳しい。
話が一区切りした。社長には今も遊びの習慣だけは残っていて、「ロータリーの集まりです」という言葉を残し、いそいそと夜の街に出て行った。
店を仕切るベテランの女性が「社長は、夜も眠れないほど苦労しているんですよ。」としみじみと語ってくれた。
つい最近あの社長が亡くなったという訃報を受け取った。
ご冥福を祈りたい。
<釧 路・・・食い道楽>
釧路の夜はおいしい魚の品評会。
炉端焼きといえば、釧路が発祥の地。
元祖「炉端」の縄暖簾をくぐると、地元のおじさんたちの、旅人を迎える暖かな言葉が待っている。北国ならではの人情がある。年季の入った前掛け姿のおばあちゃんが慣れた手つきで焼き物を焼く。何十年も変らない匠の技である。もちろん備長炭。芳しい匂いが食欲をそそる。キンメ、ニシン、ホッケ、サンマやイカなど北国の豊かな海の幸が炉辺の笊の上に並ぶ。焼き物は何といっても脂の乗った魚の焼立てが一番。熱いうちにフーフー言いながら、思い切り口にほおばる。これはもう炉端主のおばあちゃんとの勝負である。
タチのポン酢、ホタテやツブ貝の刺し身、厚岸産の牡蠣、何を食べてもおいしい。ざわめきの雰囲気も最高。酒のピッチも早まる。
そして外へ出れば釧路名物の深い霧の世界。
汽笛がボーッと鳴れば、もうそこは映画の一場面。主役になったつもりでコートの襟を立てる。
<和商市場の賑わい>

釧路の朝は、和商市場の威勢の良い掛け声とともにやってくる。ねじり鉢巻で動き回るおやじの頭から湯気がたつ。釧路はかにの本場。タラバや毛がに、花咲がにも所せましと並ぶ。深海魚らしい名前も知らない北の海のグロテスクな地魚たちも重なっているが、どの魚も新鮮に見える。「買ってきな、まけとくよ」笑顔が弾ける気さくな対話が市場の持ち味だ。
釧路の人たちはおいしい魚が食べられて幸せに思う。
市民の台所「和商」と呼ばれて広く親しまれている釧路和商協同組合は、昭和29年に結成された釧路で最も歴史ある市場だ。「わっしょい、わっしょい」という活気あふれる掛け声と、「和して商う」ことから名付けられた。函館の朝市、小樽の三角市場、札幌の二条市場などとならんで、北海道を代表する市場である。
和商のお奨めは、今や全国に知られた『海鮮丼』。市場内でご飯だけを買い、そこに思い思いの海の幸をトッピングする。醤油漬けのイクラのぴちぴちとした歯触り、新鮮ウニの何ともいえない甘さは北海道ならではの感動もの。
<釧路で蕎麦?>
釧路には美味しい蕎麦をいただける店もある。その名を東屋・竹老園といい、春採(はるとり)湖畔に店を構える。
釧路で蕎麦というのも奇異に感じるかも知れないが、創業明治7年という正統派の老舗で、昭和天皇も食されたという。釧路の迎賓館的存在で、静かな庭園とどっしりとした和室が何部屋も用意されている。
たまに昼のコースをご馳走になる機会があった。ぬき(スープ)、もり、茶蕎麦、卵切り、蕎麦寿司のメニュ―。絶品。
魚だけではない釧路であった。

<続く>

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