湿原は、原始の時代から何一つ変わらない静かなたたずまいを、てらいもなく目の前に見せてくれた。
俯瞰して見ると、蛇行して流れる釧路川はからまる黄色い糸のようであり、くねりながら遠い阿寒の山裾まで続いている。この大空間は人間臭さのない自然そのもので、いつまでも見飽きることがなかった。
心地よい風に吹かれながらたたずんでいると、人間とは何だろうという哲学的妄想にかられる。
人間が、自然界が作った小さな細胞から誕生したこと。それゆえに人間は自然界の中で生かされていること・・・。
一刻が過ぎ、自分は小さなミクロの存在であるという思いに達したとき、湿原と同化している自分を実感するにいたった。
わたしはその後、数回この地を訪れる機会に恵まれた。徐々に妄想からは解放されたが、湿原が発する霊気のようなものに触れ、人間本来の素直さに立ち戻れたような気がする。
神のごと 遠く姿をあらはせる
阿寒の山の 雪のあけぼの 啄木

<ラムサール条約>
釧路湿原を守る会の人たちの目から見ると、湿原は急速に後退しているという。人為的な灌漑を施すことによって沼沢は草原に変わろうとしている。
しかしこの自然界が与えた湿った大地には、多くの生きものたちがなわばりを持って生息している。開発によってその原始の生態系が壊れてしまう。これだけは避けなければいけないと思うのだが・・・。
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釧路湿原は昭和55年日本で最初に、水鳥の生息地として国際的に重要な湿地を保護するラムサール条約に登録された。
水鳥は渡り鳥が多い。北から南へ、南から北へ季節の変わり目に鳥たちは遠い距離を飛来する。彼女たちには国境がない。だから水鳥たちが足を休め、餌を求める湿地帯を保護する国際協力が必要になった。それがラムサール条約である。
釧路湿原で見られる野鳥は渡り鳥を含めて170種類。このうち、カワセミ、マガモなどの水鳥が40種以上も生息している。水鳥たちにとって快適な環境を守ってあげることが日本の責任であり、文化国家の本分であると思う。
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かなたの大空に、オジロ鷲が悠々と翼を広げ旋回していた。
<丹 頂 鶴>
鶴といえば釧路市の北に接する鶴居町。
丹頂の故郷として有名な町である。
湿原を代表する天然記念物の丹頂鶴は、アイヌの言葉で「サルルンカムイ」。サルルンは湿原、カムイは神を意味する。まさに湿原の神である。一時は絶滅寸前まで減少したが、保護活動により現在は1000羽を越えるまでに増殖した。丹頂は留鳥で、夏は湿原の奥地や各地にちらばってエサを採り、繁殖し、冬になると全体の半数近くが、給餌エリアと凍らない川のある釧路湿原に集まってくる。
極寒の2月の朝、吹雪の弟子屈町を経由して鶴見台を通りかかった。「鶴の里」は雪山に抱かれた広大な雪野原の中にあった。強風に粉雪が舞う中で、カメラの砲列が今や遅しと丹頂鶴の来訪を待ちかまえている。
「ここには自然の鶴が飛来する。今日は風が強いから来るかなあ・・・?」と鶴センター管理人さんのつれない言葉。
寒さで身を縮めて待つこと30分。「あっ、来た!」と鋭い声。
彼方の空から飛来してきた二羽の丹頂がそこに降り立った。悠々と、堂々と。おおおっと歓声が寒空に響き渡った。
丹頂鶴との初めての出会い、あの感激の瞬間を忘れることはないだろう。
釧路湿原の丹頂鶴は自然界が地球に送り届けた天使である。繰り返すが、この湿原の生態系だけは、われわれ人間が壊してはいけない。
もう一つすばらしいおまけ話・・・丹頂は一度つがいになると一生を共にするという。近頃珍しい?夫婦愛。人間も見習わなくては・・・。
<続く>
02章 釧 路へ
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