京都の秋
(5)三条”京都ネーゼ”
+鶏料理”瀬戸”

2013年10月


(1)鶏料理”瀬戸”−1 なんといっても鮮度

午後5時叡山電鉄の今出川駅で待ち合わせをしていた。

2人の友人はそれぞれ奥方をともなっていらっしゃった。よく知った仲なので互いに遠慮はない。しかし様子がおかしく、どことなく元気がない。

「途中どこかで新しいカメラをなくしてしまって・・・」 と、携帯でこの日の行った先に連絡をとりはじめた。心のある親切な方が見つけてくれたらいいけれど・・・。デジカメのひとつふたつ失くしたくらいで驚くことはないが、記録媒体に残した画像は貴重なもの、見つけた方はどうか届け出て欲しい!

単線の電車はゆっくりと走り、一昨日火祭りを堪能した鞍馬への途中駅「市原」で降りた。ここには緞帳(どんちょう)の生産では日本の最有力メーカー「川島織物」があって、立派な社屋が威容を誇っている。そういえば最近のニュースで、新装なった歌舞伎座の緞帳が紹介されていましたね。

***

今宵の晩餐は『鶏料理 瀬戸』。

ここは都の郊外、すでに宵闇が田舎道にせまり、足元もさだかではないほど。小さな灯りでその料理屋を見つけると、女将と思しき女性が「お待ちしておりました」と、外に出て迎えてくれた。

店の地鶏は敷地内に放し飼いで育てられている由、昔の田舎では普通に見られた光景だ。自然の餌を与え、よく運動した鶏は養鶏モノに比べてどんな味がするのだろうか、楽しみだ。

板さんは、客の到着を待って鶏をつぶすというから、新鮮さではどこにも引けを取らない。



庵に導く間接照明
雨が幻想を誘う

鈍い間接照明の石畳を伝って通されたのは、離れの一軒家。四阿(あずまや)に壁を張ったというべき佇まいは茶室のようで、落ち着いた風情がある。

昔風の引き戸を開けて中に入ると、白い障子が三方を囲み、6人は掛けられる掘り炬燵に自在鉤(かぎ)がかかっている。炭火が薄赤い炎をあげ、橙色の照明が障子戸に映り、幻想的な雰囲気を醸し出している。



囲炉裏には
炭火が盛んに燃えている
白いのは灰
堀コタツ風に切ってあるので足を伸ばせる

「この部屋は人気があるのでしょうね。ここで食事ができるのは幸運だ」。

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女将らしき女性の、「こちらは初めてどすか?どちらからお出でどすか?」という京都弁が耳にやわらかい。

東京人なら祇園や高台寺界隈に秀逸な店がたくさんある、なぜわざわざこんな裏背にまで出かけてくるのか、疑問の表情が見えたが、「最近は東京からのお客さんも、ようお見えにならはります」と会話は如才がない。

手元の笊の上には鶏の、包丁で刻まれた部位がそれぞれの色つやで載っている。京都らしく紫式部の枝があしらってあり、まずは焼鳥。



やってきた新鮮な鶏肉
紫式部の色が鮮やかだ

今のいままで、良質な野菜やカルシウムをたっぷり与えられて、大切に育てられてきた成果物をワイワイ言いながら食するのは、なにか鶏さんに申し訳ないような気がする。

”食物連鎖”などとはとてもいえない人間のわがまま、えーい、なんとでも言え!生命力のあふれた鶏肉をわれはいま食らわんとする!

まずは店の畑で収穫した野菜が付きだしとしてテーブルに載った。その後、鶏の様々な部位が炭火の上に載せられて、女将の手によって丁寧にあぶられる。

かつては普通であったはずの、人の手がサービスをしてくれているという事実にあらためて驚いてしまう。


(2)鶏料理”瀬戸”−2 鶏好き、鶏スキ



鉄鍋で鶏スキ
実感、鶏を食べ尽くす!
自家栽培の野菜も美味しい

新鮮肉の焼きすぎは禁物、ちょいと炙った程度で口の中へ放り込む。

東京では珍しいけれども、京都人は山椒を多用し、また常用する。味付けは多彩、ベースは岩塩で、それに黒山椒や七味、ゴマなどを振りかけて食する。

「お好みで召し上がれ」 なのだ。

焼き物にはすべからく弾力を感じる。

食材が、食べられながらも、「わたしはなお生きる!」と、抵抗しているような、力強さがある。

焼き鶏のあとはすき焼き。

やはり、女将さんが全ての鍋奉行をしてくれる。

鍋の具として内臓がたっぷり用意されていた。始めの鍋には、産まれる前の体内に有る卵、いわゆるキンカンもあるが、明日頃産まれるという卵は、もう柔らかい殻をまとっている。

「珍しいですね。昔はよく食べさせられたけど、最近は肉屋でも売っていないでしょう?」

「食中毒やら細菌やらが怖いから、売りたくても売らないのでしょう。捨ててしまうのかなあ。」

「ウチでも、つい最近まで鶏の刺身をお出ししていましたが、世間を騒がした中毒事件以来出しておりまへん。」

自らリスクを回避しているのだろう、すべて火を通したものを供する。

「浅草の喜美松はまだ出しているのでしょう?わたしは胃腸が丈夫だから、生肉でも新鮮なら問題ありません。」

新鮮な素材の生の、コリコリとした食感も捨てがたい。しかしそれは「煮・炊き・焼く」という本来の調理から外れた、外道なのかもしれない・・・。

有精卵を割って溶いたなかへ、新鮮な肉が次々と入り、それをあわただしく口に運ぶ。

「うーん、美味しい」 呻るほどの美味!

***

それぞれの愛妻も雰囲気に溶け込んでお喜びの様子が見える。普段、男どもは自分勝手に遊び歩いているから旗色が悪い。こういう時こそ挽回のチャンス、すこしでも点数を稼いで日ごろのマイナス点をカバーしておきたい。

当然、ゴマすりにやっきとなる。

「美味しいね!」 を連発することで、すこしは点数が上がっただろうか?

店の、「客のために!」という金科玉条が、一流の店の証(あかし)であることはいまさらいうまでもないが、それが徹底している。

これが本来の“おもてなし”であることに、この日も気づかされた。

***

デザートまで食べ尽くして十二分に堪能。時計を見るとまだ9時まえ。

タクシーを2台呼んでもらった。これから男女は別行動で、暗黙の了解があった。

やすかわで「カラオケがしたいのだけれども」 とねだってみたらすぐに電話を入れてくれ、ついでに店のよっちゃんが秘密の某所に案内してくれた・・・。


(3)高瀬川と京都ネーゼ



新進気鋭のイタリアレストラン

お魚も



お肉も
ボリュームたっぷり

以前にもこの方のことを書いたことがある、角倉了以(すみのくらりょうい)という傑物をご存知だろうか。

秋の台風で嵐山の大堰川(おおいがわ=桂川)が氾濫したとき全国にその光景が放映された。今は昔、丹波から流れ出るこの川はもっと酷い暴れ川で大水の被害が頻発していた。

1606年、京都生まれの角倉了以は私財を投じてこの河川の大工事に挑んだ。川の氾濫を治めて材木を運搬するために、岩を破砕して水運を確保した。

***

角倉はつづいてその4年後、鴨川と並行する運河の開削にも挑戦した。

これが高瀬川で、いまや夜の木屋町界隈の猥雑さに一服の清涼感を与えている。

角倉以降、京都の商売人はこの運河をつかって物資を伏見に運び、そこから宇治川、淀川を利用して大阪につなげた。

深く掘れなかったために水深は浅く、そのため喫水の低い“高瀬舟”が利用された。

現在、少し上流の一の舟入(国の名勝天然記念物)には復元された高瀬舟が係留されている。

<高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷に呼び出されて、そこで暇乞いをすることを許された。それから罪人は高瀬舟に載せられて、大阪へ廻されることであった・・・、そういう罪人を載せて、入相の鐘の鳴るころに漕ぎ出された高瀬舟は、黒ずんだ京都の町の家々を両岸に見つつ、東へ走って、加茂川を横切って下るのであった>(岩波新書 『高瀬舟』より)


鴨川がオーケストラなら高瀬川はフルートの独奏曲、と誰かが書いていた・・・。



夜の高瀬川

夕刻のここは木屋町。三条小橋の北側、高瀬川のほとりの木屋町ビル3階にそのイタリアレストランはあった。

今回の京都旅では二軒目の洋食レストランだ。前にも書いたが京都だから毎回茶懐石おばんざいでは、美味を感じ取れない。なかに変化の味付けをすることから、京都を味わうという本来の目的に近づくことができる、そう思う。

初日の『グリルフレンチ』は二条城の東側にあって、ご主人は客慣れに過ぎる態度があって、客側からすれば「無礼!」を感じるという欠点があった。

和洋を問わずレストランの料理人は、あくまでご商売されているということを忘れてはいけない。

美味しいものを提供して客に舌鼓を打ってもらう・・・そのことを誇りにされるのは正しいと思うけれども、あまり鼻にかけたり横柄な態度をとるようになると客は離れていく。

心すべきことだろう。

***

“京都ネーゼ”は立地がいい。若者たちや観光客が集まってくる木屋町三条という、歓楽街の中心部にある。小雨のなか四条河原町でバスを降りて、高瀬川沿いに木屋町通を上る。休日を前にしたハナ金のせいかすれ違うサラリーマンの顔色は明るくて楽しそうだ。

夜の高瀬川は祇園とは違う風情があっていい。

祇園は貴人の食事処というのに対して木屋町は気軽にやれる庶民の飲み屋街、東京でいえば新橋のイメージに近い。

水のある夜の風景は嫌いではない。

この川を開削した角倉了以は、今の時代の華やぎを想像できただろうか・・・。


(4)イタリアンレストラン



生ハムと無花果とモッツァレラ

“京都ネーゼ”を“新進気鋭”と言ったら失礼に当たるかもしれない、そんなカジュアルなイタリアンレストランだ。

すでに『予約の取れない料理店』の称号を得ている。

京都人Oさんの顔の広さで予約してもらい、恩恵に浴した。

カウンター8席、テーブル8席と小さな店の、8人掛けのテーブル席を7人で占領した。普段は若いかたで賑わう光景を私たちが変えてしまったのであるが、こういう日があってもいいのではないか。想像していただきたい、老若男女が親しく集い、和気アイアイで美味しい食事をいただく光景を。

***

前菜のあと人気メニューの“バーニャ・カウダ”が出てきました。



バーニャ・カウダのポット
アンチョビソース



具の野菜
右端は食用のホオズキ

イタリアピエモンテを代表する野菜料理。新鮮野菜を、熱い(カウダ)、ソース(バーニャ)にからめていただく。専用ポットを蝋燭の炎で温める。そんな小さな熱量で料理をいただけるというのも省エネの時代にふさわしい。

アンチョビが入っているので、ほんのりと塩辛いけれども、淡白な野菜の素材味を生かしていただける。野菜と塩分との微妙なバランスが大切。

スタイルは“チーズフォンデュ”に似ている。チーズのほうは寒冷地のスイスの山間からフランス・イタリアアルプスが本場、山を下ってイタリア北部に食の影響を及ぼした、などと勝手な想像をめぐらせた・・・。

健康志向の日本人、とくに細身を好む若い女性たちにとってこのメニューはこれからも愛されてゆくだろう

***

店のコンセプトは現代的、身体にやさしいナチュラルな食材にこだわっている。

山田農場の卵やチーズ、吉田牧場の肉類、その他数々の新鮮野菜を供給する農家・・・何処にあるのかも知らないけれども、きっと生育方法がナチュラルなのだろう。


この夜、東京組は男三人+女性二人、そこに京都組みの男女が加わった。

メンバーの鮮度も抜群、いつもの飲み仲間だけでは話題も限られておもしろくない。人間にはこういう新鮮な刺激が大切なのだ。刺激は成長を促す・・・えっ、もう成長なんぞ、しなくてもいいって?そんな声が外野から聞こえてきた!



パスタの始まり
フォアグラ



トマトテイストも



カラスミをからめています



スイーツ閉めました

大きなスクリーンでローマの休日を放映している。

イタリアンにはシャンパンとワインがよく似合う。わたしたちも何本か、調子よく飲んでいる。

お肉が出てきて、パスタが出てきた。

フォアグラをからめた、こってり系のパスタ。トマトの酸味を味わうパスタ。カラスミの塩分の効いたパスタ。少しずつ取り分けてもらってバランスよくいただく、そしてデザート、とにかく至福の時間でした。

こういうことばを感じました。


“カジュアル ビジュアル アイデアル(愛である)”

(2013年10月23日 「京都の秋2013」おわり 「京都の秋2013(1)」へもどる


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