京都の秋
(4)割烹”阪川”と京焼きそして京みやげ

2013年10月



(1)割烹”阪川”の美味

さてこの夜の晩餐。

一休みして、祇園『阪川』さんにお邪魔しました。

旬の食材をたっぷり、堪能させてもらいました。

***

 本年2度目の、祇園『阪川』さんの料理です。
 お世話になりました。

 前回はカウンターに座ってご主人の顔を正面に見て勝負!でしたが、今回は総勢6名ということで二階の座敷でいただきました。

 おかげで、きちんと写真をとる事ができました。

 まずは先付け。水菜と松茸のおひたし、鯛の刺身に山芋のトロロとその上のオレンジ色はグレープフルーツでした。

 お造りは明石鯛、中トロ、ウニに剣先いか。

 パリパリの海苔の食感がいいですね。



お酒はビールから日本酒に

煮物としてでしょうか
おわんの蓋を開けてみると
銀杏饅頭でした



今日の焼き物はなんでしょうか
シーズンによって
食材が異なります。
また魚は天候に左右されます。

この日はあいにくの台風接近で海は大荒れ
魚は期待できないと思って膳に向かったのですが・・・

明石鯛の焼き物でした
これは食べ応えがあります



蒸し物はなんでしょうか
予想通り
松茸の土瓶蒸し

今年は松茸が豊作とか聞きましたが
別の日に錦市場で松茸売り場で聞いたところ
「出だしは良かったのですが、台風が多くて、今は不作!」という話でした。



料理はまだまだ続きます
土瓶蒸しで一休みといったところでしょうか。

次は珍味
春にも同じものをいただきました
海鼠(なまこ)の薄い卵巣を重ねて干す
能登半島の特産でたいへん貴重な酒肴だ

女将さんからは”コノコ(海鼠子)”と紹介されたが
一般的には”クチコ”と呼ばれている



口直しです
無花果(いちじく)を柔らかくして
上に”柚味噌”が置かれています
上品です

帰宅後、みやげに買った柚味噌を
ふろふき大根の上に載せてみました
やさしい食べ物になりました



そろそろおなかは八文目にさしかかっています
でもまだあります
子持ち鮎のあまから煮です

たまたま2週間ほど前に魚屋で子持ち鮎を買い求め
家で、鮎飯を炊いていました
これもなかなか良かった



まだつづきます
もっとも、これまでの食事は
お腹にたまるものを多くいただいていません
若者ならば、まだまだいけるのでしょうが・・・

蟹のサラダです
ズワイのメス、セイコとかコオバコガニと呼ばれるものです

そういえばいまごろ
同じ京都の丹後に行けば
松葉ガニ(オス)がいただけますね



ここで「まだいただけますか?」の声。
「十分にいただきました。ストップです」

ジャコがたっぷり載った“ジャコ飯”が赤だし付きで登場
あー、美味しかった!!!



いよいよお終い
デザートはフルーツのゼリー寄せ

秋は果物が美味しい
林檎、葡萄にオレンジ

不思議と甘いものは別のお腹に入るようで
これで落ち着きました。


 ご馳走様でした!

 ご主人と女将にはお見送りを受けていよいよ祇園も佳境へ・・・

 そういえば翌日の夜遅く『やすかわ』さんにいらっしゃっておりましたね、そこでまたお会いできてなぜか幸せな気分になりました。

 こちらはへべれけでしたけど!


(2)京みやげ、美味

大原からの帰り道、夕食までに時間があったので京都を熟知したダンディ氏にみやげ屋さんを紹介してもらった。

京都の土産といえば“八つ橋”がその代表、そして「そうだ京都に行こう!」でやってくるうら若き女性たちのために個性的な洋菓子類がたくさん考案されている。

そういった現代的なアイデアにあまり興味がない。

どうしても、古いものへと嗜好が向いてしまう。しかも、デパ地下や東京で売っているものはおもしろくない。その店でしか売っていないという“オンリーワン”がいい。

***

運転手のKさんに、

「この店はマニアックなかたでも行こうというかたはいらしゃいません!」 といわれた『亀屋清永』は八坂神社を背にして斜め左手にあった。

一個500円とべらぼうに高い“清浄歓喜団”という菓子。



亀屋清永
遣唐使が仏教といっしょに持ち帰った菓子

古い都らしく謂れがおもしろい。なんと遣唐使まで出てきてしまう。

この菓子は奈良時代に遣唐使が持ち帰った唐菓子のひとつ、「からくだもの」と呼ばれ、宗教行事の供え物に使われたようで、一般庶民には“目にふれる”こともなかった。

清めの香を漉し餡に塗りこんでゴマ油で揚げる、そのことだけでもしり込みしてしまう。

『亀屋清永』さんは叡山の阿闍梨から教わって自社の名物としている。

そういえば京都には今出川の『満月』という店に“阿闍梨餅”という銘菓があった!名僧も甘いものがお好きのようだ。

それはそれとして話の種に“清浄歓喜団”を買い求めて食した。パリッとした皮の食感はいい。千年の歴史の味がした・・・。



オーソドックス
二条若狭屋の“ふく栗”

次は二条城の近く、正統派『二条若狭屋』の“ふく栗”。

京都の秋は栗の季節、錦市場を歩いていると、東京では見たこともないような大きな栗を大鍋で焼いている。そのこおばしい香りが漂ってくると、一つ二つ口に入れたくなる。

京都に栗菓子の名品が多く、この店もその一つ。

福を招くことから命名されている。たくさん食べてたくさんの福を招きたいが、欲張ってはいけない。ひとつだけ味わっていただくのがよい! 美味!


「いったんホテルに戻りましょう」 といわれた車の中で、記憶にある看板を見つけた。

『柚味噌 八百三』とある。

すぐに止めてもらって、記憶の糸をたどってみた・・・なんだったっけ?確かにどこかで接した。

スマホを引っ張り出すと登録されている。

そうだ、正岡子規だ!



木造二階建て 『八百三』
どっしりとした風格
歴史の重みを感じさせます


(3)八百三の柚味噌 

老僧や掌(たなそこ)に柚味噌の味噌を点ず

と、子規が詠んだ“柚味噌”はこの店のもの、「柚子味噌」と表記するのが普通のように思うが、八百三さんは“柚味噌”と書いて「ゆうみそ」と読む。

店のPR、以前書いたのをそのまま転記すると、

「愛石山の南西に、嵯峨水尾と呼ばれる谷沿いの小さな集落がある。

水尾は、古くから知られる柚子の産地であり、秋になると、山の斜面に黄色い柚子の実がたわわに実る。

ここで収穫される上質の柚子を用いた「柚味噌」を専門に製造、販売しているのが、宝永五年(1708)創業と伝わる八百三である。」

***

ここは姉小路通東洞院、雨の狭い道に車が連なっている。店に入ると土間になっていて、右隅に井戸の跡を見つけた。

「めずらしい・・・井戸ですね」 京都は地下水が豊富だから昔から井戸で水を汲んだ。水道が敷かれて井戸はご用済みになったいまも、水は出るのだろうか。



北王子魯山人が書いた
大きな看板

店のなか、丸に八の字の暖簾の上に、大きな木板の看板がかかっていて、そこに無骨な文字で「柚味噌」と右から横書きされている。

「この字は“魯山人”さんが書いたものですよ」 と京美人の若奥さんが説明してくれた。

なんでも魯山人が若くてまだ有名になる前に、「書かせてくれ!」と頼み込んできたという。そんな必要はなかったのだろうけれども、結果的に看板にハクガついて“おたから”になった。



おみやげに一つだけ

“柚味噌”はどうやって食したらいいのだろうか?

旅人のために、その食し方をこんな風に紹介していた。

<お茶の雅趣にまた酒盃の友に また老幼を養うに栄養豊かな食品で 田楽や豆腐に添えたり焼き魚に少量つけて召上がるのも良く パンにつけてもたいへん美味しくいただけます。>

この晩夕食をいただくことになる『阪川』さんでも柚味噌が使われていた。

我が家では“ふろふき大根”の上に載せてみた。上品な香りと味、気持ちが穏やかになりました。


(4)京焼窯元・陶あんで絵付けに挑戦



展示されていた芸術品
新しい技術にも挑戦していらっしゃる

京都の焼き物は、イコール“清水焼”と思っていた。

この日ダンディー氏の伝手を頼って訪問した“陶あん(庵)”のご主人は丁寧に、その固定概念を覆す説明をしてくれた。



京焼・清水焼のことを丁寧に解説していただいた

昭和30年ごろ陶磁器を焼く工業団地が東山や山科にでき始めたとき、問屋が中心となって名称を検討したことがあった。

結果として、そこで通称の清水焼の名が決まったのだが、ご主人はこのことを明確に間違いだと否定された。

「一人でも学識経験者を入れて検討していたら、そうはなっていなかった。そのことを残念に思うが、本来は間違いなく京焼きの名を冠すべきかと思う」。

「時代の流れのなかで京都の焼き物は消長があった。もともと室町から安土桃山時代の瓦職人が焼き物をはじめ、これが茶の湯の隆盛とともに活性化して一つの産業として成立している。洛内でもいくつかの産地があって、それぞれが土地の名をつけて焼いていた。」


話によれば江戸時代の人・奥田頴川(えいせん)というかたが、京焼きの中興の祖といえるようだ。このかたは京都で最初の磁器焼成に成功、また中国風の絵付けにも新境地を開き、それらを若い陶芸家たちに伝授していった。この窯元は大正11年、京都の東山泉涌寺(せんにゅうじ)で創業している。

***

早朝5人でおじゃまして、電話の受信音が次々と鳴り響いているなかを、現当主の土渕善亜貴(どぶちよしあき)さんからお話を聞くことができた。ほんとうにおじゃま虫になって、1時間も貴重な時間を割いていただきましてありがとうございました。なにか埋め合わせができるかなあ・・・?

この日はご教授のあと『絵づけ』にも挑戦させてもらった。

工房では筆を持って若い芸術家の皆さんが描いていらっしゃる。デザインは決まっているがすべて手描きで、微妙なタッチを要求される。



工房で絵付けする陶芸家の女性

益子焼の“皆川マスさん”のことを思い出した。彼女の描いた山水絵枝に梅の土瓶は関東一円に出回って、どの家にも一つや二つはあった。マスさんは幼いころに描くことを教わり、以来ずっと描きつづけ、70年が過ぎて80歳になってもまだ描いていた。達者なときで、景気のよいころには1日に1000個も描いた。

益子焼は銘を入れるような高価なものではなく、普通の雑器、いわゆる安(やす)土瓶である。彼女に学問はなく、文字も読めない。もらえる賃金もわずかで、富が蓄えられるということもなかった。明治の女性らしく、身体だけは剛健で性格は強く男勝りのところがあった。

それに比べて京焼の女性たちはきちんとした学校を卒業した芸術家である。

時代の変遷を思った・・・。

***

工房に戻って、いよいよ絵付けに挑戦だ。まず素焼きの茶碗に鉛筆で絵柄を描く。テーマは好き好き、登山家の我が隊長は昨年登ったヒマラヤの光景をスケッチしている。陶あんを紹介してくれたダンディ氏は「絵心がないから色で変化をつける」由。

わたしのテーマは秋の七草。

絵心はあっても書くのは難しい。初めてなので要領がつかめない。とくに絵筆を握ったときは心臓がドキドキ、筆先がまとまらず塗料の量も加減できない。

「絵具を置いていくようにしてください」 とアドバイスが入って、ちょっと安心。

「細かいところはあとでこちらで修正しますので」 のことばで勇気がわいた。

“よし”っと腹を決めて塗りまくる!

それぞれの作品は焼成して10日後に自宅に届けられる。・・・その10日後、びっくりするほどよく修正されていて、大満足!

ほんとうにありがとうございました。



プロの技
華やかで美しい

番外) 祇園裏の建仁寺に陶板の”風神雷神図”(俵屋宗達)が展示されていると聞いた。この工房の制作したものだろう。

(2013年10月23日 割烹阪川と京焼き 「京都の秋(5)」へつづく


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