<蔵造りの町>



札の辻から駅方向にカメラを向けた
電柱を埋めて町並みはすっきりしたが、車の往来が激しく、これは改善しないと・・・

 本川越駅から北にまっすぐに延びる中央通の仲町交差点から、札の辻までを「蔵の町並み」と呼び、土蔵造りの店舗が立ち並ぶ。蔵造りのスタイルは火災の類焼を防ぐ工夫が施され、江戸の町屋建築として発展したものという。

 ただ川越の蔵造り店舗の誕生は、ずっと遅く、明治26年の川越大火がきっかけとなった。町の復興にあたり川越商人は、日本の伝統的な耐火建築である土蔵造りを採用した。黒漆喰と赤レンガのどっしりとした家屋は火事を防ぐばかりか、いまや歴史的建造物として川越の評価を高めるに到った。
 平成11年12月には、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

 炎天下、正午に近く人の流れが嵩を増し、息苦しくなってきた。
 冷たい飲み物を求めて酒屋に入る。「川越地ビール」の文字が目に飛び込んできたからだが、ずばりのタイミング。やや重めの地ビールは、体の隅々の細胞まで潤してくれた。



左:地ビールを立ち飲みした舛屋酒店
右:その酒屋に勧められて入った魚家

  ことのついでにご主人に聞いてみた。
 「川越でおいしい食事をといえば、やはりうなぎですか?」の問いに、少し間があって意外な返事。
 「わたしら、あまりピンと来ないですネエ。なんでうなぎなのか。」
 正直な答えかと思った。周囲に川や池が数々あった江戸の昔ならいざ知らず、都市化の波に襲われた現代の内陸の町にうなぎを想像させるものは何もない。しかし街中に老舗のうなぎ料理屋は多い。
 その誘惑に負けて、帰りしな、結局食して帰ることになったのだが、この場面では、質問を変えた。
 「このあたりでおいしい魚などを食べさせてくれるお店はありませんか?」
 「そこはどうですか。」と指をさされた店は、ご近所さんの「魚家」という店。
 クーラーの効きすぎる「魚家」さんでTシャツを着替えて一休み。そしてもういっぱい!何とか生き返った。
 

<時の鐘>

 店から出ると「時の鐘」が黒々と夏空に聳え立つ。
 この建物は当時の川越城主で、後に幕府の大老となった酒井忠勝(1587〜1662)が創建した。酒井の意図がどこにあったのか調べていないが、今でも一日四回、「ゴーン」という昔の音色を周辺に響かせている。
 現代では「時は金なり」だが、この時代は「時は鐘鳴り」であったとか?

名所・時の鐘

この鐘楼も、何回も火災焼失の憂き目に会っている。前述の川越大火でも消失し、
渋沢栄一などの寄付によって再建された。



隣にいた信号待ちのかたに「この車はまったく無粋ですね!」と話しかけたら、
わが意を得たりと、「何とかならんものですかネエ」と何度もうなずかれた。
観光都市の真ん中で交通事故には巻き込まれたくないですよネエ!

 

近頃流行の人力車鐘つきうどん大盛況

左:最近観光地で急増している人力車のお通りです
右:時の鐘の前のうどん屋さんに行列!そんなにおいしいのでしょうか?

 蔵の町の一軒にはいって二階の藍染屋に上がる。
 店の窓から「時の鐘」が見えた。時の鐘の天辺が見えた。



映画のセットのような光景


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