どこにでもあるようなもののことを

レイム・ディアー ラコタ(スー)の国 メディスンマン 1972

 
わたしはここにあるシチュー鍋のように
どこにでもあるようなもののことを考える。
鍋のなかで煮立っている水は
雨雲からもたらされるのだ。
それは空をあらわしている。
そして火は太陽からもたらされる。
それはわたしたちみんなを暖める。
人間も、動物も、木も、暖めてくれる。
鍋の中の肉は、
脚の四本ある生き物をあらわしている。
彼らはわれわれの動物の兄弟たちだ。

その人たちが自らのすべてを
与えてくれるのだから
わたしたちは生きなくてはならない。
立ち上っている蒸気、それは息だ。
息は生きている。
かつて水だったものが、空にのぼって
いずれそれは再び雲になろう。
こうしたものはぜんぶ聖なるものなのだ。
うまそうなスープができているシチューを見ながらでさえ
わたしはこんなことを考えている。
グレイトスピリットは
かくも単純な仕組みのなかですら
このわたしをお守りくださっていると。


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インディアンに学ぶ 10/16