知恩院八坂神社


<知恩院>

<日本一の三門>

知恩院三門・法然上人八百年大遠忌

 その周囲を圧する巨大な三門を見上げ、誰もが驚いて発する月並みなことばが出た。「大きいですねぇ!すごいですねぇ!誰が作ったんだろう?」

 知恩院は浄土宗の開祖法然上人(1133ー1212)が30有余年にわたって念仏の教えを説かれた京都東山の地「吉水の草庵」に始まる。

 三門をくぐり本堂へと続く長い石段を前にしばしため息をついていると、紺色の作務衣を着た若者が説明してくれた。


<ラストサムライ>

ラストサムライで撮影の背景となった石段

 「『ラストサムライ』ってご存知ですよね。知恩院でいくつかのシーンの撮影をしているんですけど、この石段で立ち回りを撮ったんですよ!」

 トム・クルーズが主演で、渡辺謙が好演しアカデミー賞にノミネートされている。あとしばらくで結果の発表があるはずだ。

 事前に情報を仕入れていたのでさしたる驚きはなかったが、その階段の中ほどに立って記念写真を所望した。(いい年こいてちょっぴりミーハーは気恥ずかしくもあるが?)
 同時に、東京に帰ったらその話題の映画を見なくてはと単純に思った。(結果的に見ることはなかったが)

 さて知恩院。法然上人滅後23年、文暦2年(1234)弟子の勢観房源智上人が報恩のために伽藍を建立し、四条天皇より「華頂山知恩教院大谷寺」の寺号を賜り、法然上人の御廟、念仏の根本道場の基礎を築いた。


<法然上人800年大遠忌>

 知恩院境内にて石段を登ると学校の運動場のような広い境内に出た。
 「800年大遠忌−平成23年」の立札がやたらと目に付いた。
 法然上人は1212年に没しているから2012年が800年になる。法然43歳のとき開いたという浄土宗は源平盛衰の時期と平行して民衆に浸透した。南無阿弥陀仏の六文字を唱えることによって救済されるという浄土教は国民の8割が信仰したという。

 現在の寺観は江戸時代になって、浄土宗の教えに帰依した徳川家によって整えられたもので、大小106棟の建物からなってる。室町時代にかかる諸堂最古の勢至堂や、日本現存の木造建築の門の中で最大の規模をもつ三門をはじめ、経蔵、御影堂、大方丈、小方丈、勅使門、大鐘楼、集会堂、大庫裡・小庫裡などはいずれも重要文化財となっている。

御影堂

<鶯張りの廊下と>

 正面に最大規模の「御影堂」がどっしりと威容を誇り、左手に「阿弥陀堂」がたたずむ。裏手の大方丈や勢至堂、集会堂や大小の庫裏は空中回廊でつながっている。さすがは徳川の息がかかった伽藍のみごとさである。

 そう、昔修学旅行で覚えた誰でも知っている話。
 「うぐいす張りの廊下」に触れておかなければならない。前述の御影堂から裏側につながる全長550メートルの廊下のこと。歩くと鶯の鳴き声に似た音が出て、静かに歩こうとするほど、音が出るので「忍び返し」ともいわれる。曲者の侵入を知るための警報装置の役割も果たしている。

 知恩院七不思議その2。
天井の忘れ傘 御影堂正面の軒裏には、骨ばかりとなった傘がみえる。名工、左甚五郎が魔除けのために置いていったという説ともう一つ。
 第32代の雄誉霊巌上人が御影堂を建立するとき、このあたりに住んでいた白狐が、自分の棲居がなくなるので霊巌上人に新しい棲居をつくってほしいと依頼し、それが出来たお礼にこの傘を置いて知恩院を守ることを約束したと伝えられている。いずれにしろ傘は雨が降るときにさすもので、水と関係があるので火災除けとして今日も信じられている。



 境内に「成人式」の案内看板が出ていたが、こういった神聖な場で行われれば京都の新成人はおとなしいのでは・・・?

 帰りは石段を避けて左手の斜面を下り、八坂神社に向かった。


<法然上人と浄土宗>


 法然上人は平安の末、長承2年(1133)4月7日、美作国(今の岡山県)に生誕。幼名を勢至丸(せいしまる)。

 9歳のとき、亡くなられた父・漆間時国(うるまときくに)の遺言に従い比叡山で修学する。しかし当時の仏教は貴族のための宗教と化し、民衆を救済する力を失っていた。学問を究め、難しい経典を理解し、厳しい修行を行わなければならない仏教は、世間の人々と無縁の状態にあった。

 法然上人は仏の教えを求め、比叡山西塔黒谷(今の青龍寺)にこもり、経典の読破に励んだ。あるとき、唐の善導大師の著した『観無量寿経疏』の中に「一心に専ら弥陀の名号を念じ、行住坐臥に時節の久近を問わず、念々に捨てざるもの、これを正定の業と名づく。彼の仏の願に順ずるが故に。」という文を見出した。そして念仏によって我々心の乱れた者も正しい生活と往生が得られると確信した。

 こうして承安5年(1175)法然上人43歳の春、長い苦悩の末に『浄土宗』は開かれた。




<八坂さん>

 八坂さんには初日の夜と最終日の昼と二度お参りすることになった。
夜と昼それぞれ趣が違い、正月にしては穏やかな日和にも恵まれて正月気分を味わうことができた。

<続く>

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