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ニシンの群は今いずこ

<垂直に北へ>

 小樽から北に向かう日本海沿いの経路は、大げさに過ぎるが「開拓の困難はこれぞかし」と思わせる天候に見舞われ、普通だったら「もうやめて、札幌でゆっくりして高速を使おうや!」という状況であった。

 天気予報に落ち度はなく、早朝から降り始めた雨はますます勢いを強め北の大地をたたいている。予定変更は今からでも遅くはない・・・?

 小樽から海岸線の経路をまっすぐに進めば、住み慣れた札幌はすぐそこだ。左に道をとれば荒れ狂う日本海で、予想できない困難が待っている。さて「君はどちらを選ぶか?!」

 もちろんわたしは、迷うことなく荒れ狂う道程を選んだ。
 小樽から石狩・留萌へ南小樽から国道5号線に出る。

 かつてはスキーと温泉三昧を楽しんだ朝里を右に見る。「張碓(はりうす)」の海岸には奇妙なレストラン「ユーラシア」や「ペリーゴール」があった。懐かしい。銭函(ぜにばこ)で札幌方面に別れを告げて左折、ほどなく名門「小樽カントリー」が見えてきた。

 ここは石狩市、なんにもない、車も走らない広い道路に雨がそぼ降る。


<石狩から厚田へ>

雨に打たれる石狩河口橋 やがて大河「石狩川」にかかる「河口橋」をわたる。

 北海道の屋根・大雪山からはるばる長い距離をやってきた。150`はまちがいなくある。そういえば、わたしたちも今夜にはその麓の町・旭川から飛行機に乗って東京に帰るのだ。この川を逆流すればまちがいなく旭川に着く。川に沿った内陸の道路を選べば、2時間もあれば旭川に着く。

 しかし安易な道を選ぶことはせず、石狩国道を北上する。道路建設に困難を極めた雄冬岬を経由して増毛、留萌から切り込んで内陸に入る。この日本海を垂直に北上する回廊は327`走って稚内に達するのだが、通称「オロロンライン」と呼ぶ。今でこそ安全な道路ができあがったが海岸の道路工事はたいへんな苦労の上に乗っかっている。

厚田村の風車がまわる だからこの道路を走る。そう決めていた。


 あの朴訥な東北なまりになんとも言えない味がある岩手県の人・新沼謙治が歌った「厚田村」にやってきた。オロロンライン沿いの町はどこも日本海を越えてきた冷たい風が吹き渡る。そこで工夫されたのが風力発電。厚田の海岸道路にもたくさんの風車が強風に回っていた。


 厚田村は元鰊漁業の根拠地にして、二百余年前松前城主の領土たりし時より運上屋(アイヌとの交易所)を置けり。安政5年(1858)、和人はじめて一戸を構え、翌6年13戸に達す。明治7年開拓使の補助により南部岩手の人13戸、ついで明治18年山口県団体40戸移住す。
(昭和23年記)


<三岸好太郎とその異父兄・子母沢寛>

 厚田村で特筆すべきことは、画家三岸好太郎(1903〜34)とその異父兄・子母沢寛(1892〜1968)のこと。

 札幌在勤時代に、オフィスの近く札幌市中央区北2条西15丁目に「三岸好太郎美術館」が威風堂々と立っていた。当初わたしは三岸に関して無知であったが、昼食時に時々前を通ったことから興味をもち、その早熟の天才ぶりを知るに至った。「夭折のモダニスト」ということばにふさわしく、具象から抽象へ、人物像からピエロへ、そして蝶や貝殻へとかれの作風は変化し、将来をおおいに嘱望されたのだが、働き盛りの31歳で短い命を閉じてしまった。
 かれは札幌生まれなのに、母・三岸セツの生まれた厚田をだいじにしていた。

 好太郎の異父兄・子母沢寛は、いまや新撰組の原典のようになった「新撰組始末記」の作者である。彼を育てた祖父・梅谷十次郎は徳川の御家人で、幕府瓦解のあと彰義隊に加わり、敗れてからは榎本武揚らとともに北上し五稜郭で戦った。そこでも敗れてひっそりと厚田村に隠れた。子母沢は幼時、そのあたりの詳細話を聞かされたに違いない。

 その記憶から薩長に対立する正義・新撰組ができあがった。歴史はこうやって刻まれていくものなのだろう。


<浜益とニシン漁>

浜益の食堂・生うに丼の看板 次は浜益村。その名をもじって「ハマナス」が咲き誇るかって?

 冗談のような話だが、ほんとうに浜益村の花は「ハマナス」。「海辺に広く分布する落葉低木で、北海道に特によく群生しています。春から夏に紅の花を咲かせ、海岸の草原を彩ります。秋には赤く実が熟し、多くの人々との心のふれあいを表しています。」とHPに記載されている。

 このあたりの港は昔からニシン漁で栄えた。

 「群来」という言葉があって、「クキ」と読む。ニシンが大挙してやってきて海が白くなったという。「それ行け!」と一斉に船を出すのだが、「取れ過ぎて、取れ過ぎて船が沈みそうになったものだ!」という。当時はニシン長者が輩出して、さぞかし景気もよかっただろうなと思う。そんな時代がまた来るだろうか?


<雄冬岬>

雄冬岬と白銀の滝 さあ、長いトンネルを潜り抜けて、やっと雄冬岬にたどり着いた。

 長い間、幻の国道といわれたこのルートは、20年ほど以前の1983年に雄冬トンネルが完成して全線が開通した。
 それまでは船の輸送に頼っていたのだから、海が荒れる冬場は唯一の交通手段も閉ざされてしまう。

 水上勉の「越後つついし親不知」の世界が思い出された。事故が起きたとき、病人が出たときはどうしたのだろう。

 開通記念碑には「日本海に迫る断崖絶壁の厳しい自然条件の下、陸の孤島といわれてきたこの地に20年の歳月をかけて難関に挑んだ。住民百年来の悲願達成と明るい未来への希望を込めてこの碑を建立する。」とあり、記念碑の脇には「白銀の滝」が音を立てて滑り落ちていた。

 すぐ近くに雄冬港があって、小さな集落が寄り添うように漁村を構成しているのだが、旅人の目にはいかにも寒そうに見えた。

雄冬漁港が見えた

 車は雨の日本海を左に見てさらに北上する。
 空が暗い。陰鬱だ。
 冬を前にしたこの季節には、これが普通なのかもしれない。
 増毛に入る手前で一瞬日の光が戻ってきた。

不気味な空と海


<増毛と「STATION」>

 増毛はアイヌ語のマシュケ(カモメが多いところの意)からきているが、増毛と聞いたら何を思い出すかという問いに多くの人は、映画「駅・STATION」と答える。

THE STATION 留萌本線終着駅 「北の国から」の倉本聡が脚本を書き高倉健が主演、留萌本線の終着駅のここ増毛が主舞台となった。

 この作品は、オリンピックの射撃選手でもある刑事と3人の女性との宿命的出会いと別れを3部構成で描いた人間ドラマ。

 1967年。警察官の英次(高倉健)は過酷な仕事とオリンピックの射撃選手として練習が続いたことが原因で妻・直子(いしだあゆみ)と離婚した・・・。小樽・銭函駅での別れのシーン、訳もわからずに駅弁をせがんだ息子の無邪気な様子はいつまでも彼の心に残った。

 1976年。オリンピック強化コーチのかたわら、連続通り魔を追う英次。犯人として浮かんだ吉松五郎(根津甚八)を捕まえるため、妹のすず子(烏丸せつこ)の尾行を開始する・・・。

高倉健の実家となった風待食堂 1979年。故郷の雄冬に帰る英次だったが、連絡船が欠航となったため仕方なく居酒屋“桐子”(倍賞千恵子)に入る・・・。

 映画の中で重要な舞台となっている増毛と雄冬、銭函駅などほとんどが実際の場所で、看板を付け替えたりしながら既存の建物を利用して撮影されている。

 前述のように、当時のロケ隊は船で雄冬にわたった。冬の海は大荒れで、ほとんどが船酔いに悩んだという笑えない逸話が残っている。

 その「駅」はいかにも寂しそうであった。
 終着駅ということばは、この駅のためにあるように思えた。
 駅の傍に大きく「風待食堂」の看板が目立つ。

 容疑者の妹すず子(烏丸せつこ)がはたらいていた風待食堂、そのすぐ前には張り込みに使ったホテル新妻旅館(実際は日通の営業所)が立っていた。

 この町は映画とともに生きている。



増毛港は荒れていた 近くに港があるというので車を走らせた。
 外海から遮断するためにコンクリートの防波堤が築かれ、漁船の係留されている岸壁には立派な漁協の建物が建っている。

 この港も他の日本海沿岸の猟師町と同様、昔はニシン漁が盛んであったが、現在はホタテの養殖が主で、サケや海老、タコの水揚げが多いようだ。

 しかし増毛の港は高波がかぶり大荒れであった。

<中心都市・留萌>

留萌黄金崎より

 増毛から留萌支庁の中心留萌市までは約15キロの道のり。
その高台の黄金崎に上った。

 ニシン漁の時代、ここから沖を眺めると、群来(くき)が夕陽を浴びて黄金色に輝いていたという。今、風雨に晒された黄金崎の上に立って四囲を眺望すると、その頃のことが頭に浮かぶ。当時のニシンはまさに黄金であった。黄金と町の繁栄をもたらした。さぞかし壮観であったろう・・・と思う。

 そして今、ニシン漁から学んだ技術は、全国シャエアの60%を占めるという「数の子」の生産に生かされている。



雨にたたられた日本海オロロンラインのドライブであったが、逆に考えれば、冷たい雨やあられに降られたからよかった。

なぜならば、気候の厳しいほんとうの北海道を見ることができたから。
何度も体験できることではない。そんなドライブだからよけいに記憶に残るし、感慨は深いものとなる・・・。

<続く> 「旭川」へ


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