『スタミナ苑』
ほんものの肉の味
2015年 6月

 

(1) 鹿浜


その焼肉屋の評判はずいぶん前から耳にしていた。

大ざっぱに都内東部の、交通が不便な場所にあることも知っていた。我が家からは遠すぎて、わざわざそんなところまで出かけていくようなことは、考えもしなかった。

ところが久しぶりの具留満氏の誘いのターゲットが、その『スタミナ苑』であったことから、俄然その気になった。


店は5時に開店する。週末や金曜日などは30分前に行っても行列の後ろに並ばなければならないと聞いた。であるならば、時間という武器があるわたしたちは有利な立場にいる。いざ、参ろうか。

三人は、早めの4時過ぎにJR赤羽駅バス停で待ち合わせた。滅多なことでは利用することのない駅に下りて、都心とそん色のない駅の威容ぶりにちょっとビックリ。

ここから西新井行きのバスに乗って、途中の鹿浜3丁目で降りると店は路地の奥にあった。

***

町の風情が大正から戦前にかけての下町のようで、気持ちが落ち着く。あ、いや、戦後間もなくの田舎の町がこうだった。

夏の思い出、家々の軒先には朝顔、夕方には道端に水をまいて、ご隠居さんは団扇を片手に縁台将棋にご執心。ランニングシャツの坊主頭は真っ黒に日焼けして遊びから帰ってきた。

「おっ、帰ったか。汚いからすぐ銭湯に行ってキレイに洗ってきな!その間にご飯の用意、しとくから」

なんだか、車寅次郎の世界みたいだなあ。


二組の先客の後ろで待っていると、間もなく店内に案内された。

店はこれも昔の土間風で、ちょっと広めの駄菓子屋というところ。外からも中が丸見えだし、中からも暮れなずむ通りを急ぐ小母さんたちの早足がよく見える。

風通しが良いということ。これは焼肉屋さんにおいては大事なこと、ましてや、一流企業においてはなおさら!おっと、話が妙な方向に逸れていきそうだ。


小上りにはテーブルが三つ、奥にも部屋がある。これはあとから増築したのだろう。

わたしたちは真ん中のテーブルに案内される。焼肉の場合、煙の吹き溜まりがいちばん困るのでこの席はベストポジションだ。

「匂いが衣服につかないように」と、大きな袋を渡されたので、上着やバッグをなかに押し込んだ。

***

こちらはすでにスタンバイOK、食べる気満々だ。

メニューを渡される。「今日は中ロースのいいものが入っています」と予め案内があったから、それを二人前。

上カルビ二人前、タン二人前、ホルモン二人前、ミノ一人前、生野菜とキムチも一緒に頼んだ。


ビールをいただきながら、まずは“タン”を炙る。

口に入れるとモチモチとプックリの食感、レモンで味付けする代物とは明らかに違う。

「これは美味い。噂は本物だ」 もうここで小さく感動の叫び。このあとすべての肉類を通じて言えることだが「タレは不要」、肉の味だけで十分に美味を楽しめる。



まずはタン



タンを焼き始めた


(2) 絶品、東京で一番


待ち時間もなく、頃合いをわきまえて、頼んでいたものがテーブルに並んだ。

過不足なし。繁盛店でこれを完ぺきにやるのは難しい。若いスタッフたちの立ち位置や目配り・気配りも想像していたより上を行き、店主の教育の徹底を実感する。かれらはプライドと自信をもって仕事に臨んでいる。最高の“おもてなし”とはいいませんよ。



これがお勧めの中ロース

ご推薦の“中ロース”は上・中・並とあるグレードの真ん中品質を意味するが、「どうしてこんなにおいしいの?」と口に出すほどだ。こんな上物を食してしまうと、もうほかの店では食べられない。というより焼肉は、ほとぼりが冷めるまでしばらく口にしないほうがいい。



そしてホルモン
ピンク色に驚き


お次は“ホルモン”

美味しさをさらに引き立てるためには、ホルモンのような、味気の少ないアクセントをつけて単調さを交わすことが大事。

ピンクと白色は、今さばきましたよ、なにも添加物は加えていませんよというおおらかなメッセージ。すこし焼き色がついたらすぐに口に放り込む。サクッとした食感で、我が舌が「鮮度抜群!」と唸ってくれる。



ホルモンを焼く


“生野菜のサラダ”は箸休め、肉類とのバランスがすばらしい。燃え上がる旨みの焔を適度に抑えて、味わいをコントロールしてくれる。素材はレタスと胡瓜とカイワレ、味付けは甘みを抑えた三杯酢にゴマ、その上にたっぷりの海苔がまぶしてある。

野菜のシャキシャキ感が胃の中を鎮静化する。



海苔がいっぱいの野菜

最近の時事問題もいろいろと出てきましたね。

韓国のMERSコロナウイルスの広がりに、「打つ手が遅れたのではないか」という指摘は正しいだろう。これが日本なら直ちに綿密な調査が行われ、疑いのある患者は一刻の猶予もなく隔離されただろう。

何人死んだとかいう情報も重要だが、このことで外国からの観光客はみな韓国行きを中止、あるいは回避するだろう。ただでさえ景気の立ち直りが遅れている国にとってこれは痛い。

パク大統領の苦悩は深い。

 こんなざれ句が浮かんだ。

パク政権クネる拗ねるもあと三年

中国湖北省の大型客船「東方之星」転覆事件も、日本人感覚からずれているところがあって訝しい。

上海から重慶まで、ゆったりと流れる長江(揚子江)の船旅といえばだれでもが乗ってみたいと願う。多数の船舶が行き交う長江の上で事故が起きた。

以前長江を扱ったドキュメントで、上流から大量の土砂が運ばれるために航路が変わる、川底の浚渫も不可欠、という番組を観た。船長は「突然の竜巻のせい!」といっているようだが、「浅くなっている底で座礁!」などというほかの原因があるのかもしれない。

転覆の一次情報発信以降の情報が速やかに発信されず、被害者家族はイライラが募ったことだろう。中国最大級の水難事故になるかもしれない。習近平氏の心配は事故対応への不満が政権攻撃に形を変えないかということ。はやく収束しないといけない・・・?


歳のせいと思うべきか、周辺にも悲喜こもごもの話題がある。

外への関心もさることながら、内を守る心構えも大事だ。


(3) テグタンってご存知?



アスパラ

アスパラで口内の肉脂を清めた後に真打の“上カルビ”が登場です。

焼肉ではなんといってもこれがいちばんだ。

すこし炙るだけで一枚をぺろりと口に入れる。とろけるように柔らかく、甘さと旨味がジワーッと広がる。世俗を忘れて瞬時の幸福を味わう。

美味しい肉を食べて幸せになった記憶ってある?


新規オープンの店に並んではいって、A5肉を安く食べさせてもらって、その時は美味しく感じたけど・・・。

そういえば決算の打ち上げで、松坂(三重県)の『和田金』に出かけたことがあったっけ。大盤振る舞いの松坂肉は確かに美味しかったというかすかな記憶だけが残っている。今となれば古き良き思い出になってしまったけど、値段が法外に高かったことだけは忘れない。



外は日暮れて

スタミナ苑の最後のメニュー。「時間がかかるから・・・」 といわれて最初に頼んでおいた“テグタンスープ”がお出でなすった。

一見、得体の知れないものが出てきたという感じ。しかしトロトロの、こってり感があって見るからに美味しそうだ。すでにかなりの量を腹に詰め込んでいるにもかかわらず「まだまだ行けそう!」。美味しいものには胃も敏感で、その消化も早いようだ。

そのままでもいただけるけど小さいご飯を持ってきてもらって三人で小分け。このテグタンごはんが今まで食べたことのない味わい。旨みと辛味・甘みが溶け合って、年増の豊満な美女といった濃厚なハーモニーを奏でてくれた。

「これはどうして作るの?」と質問すると、スタッフが応えてくれた。

「コムタンとテグタンがありまして、コムタンはタンの煮込み、テグタンはタンの奥のほうの肉、タン元という部分を煮込んだものです」という言い方をした。

しかしスープのほうは1か月も煮込まれている感じだ。

なんとも曰く言い難し、の美味であった。



これが噂のテグタン



ご飯にかけてみました

さすが評判通りの旨さ、“東京一”を標榜するだけのことはあった。

いい仕事を優先させる職人の店だ。だから他所より多少はお値段も張る。おひとり様7500円なり。

さて、2時間の濃密な食事はあっけなく終わった。心の中はまだざわざわとしていて落ち着かない。

時間はまだ7時、「こうなったら浅草しかない?」

ということで、環七を走るバスに飛び乗って、反対方向の西新井に向かう。

東武鉄道のこの駅について何の記憶もないということは、乗り降りしたのは初めてかもしれない。便利な駅で、半蔵門線から田園都市線につながり、地下鉄日比谷線が乗り入れている。


われわれは日比谷線に乗って入谷で降りる。


(4) 浅草でカラオケ


地下鉄入谷駅から言問通りを1qほど歩いて、路地の角を曲がった。

その店“一源”の前にお稲荷さんがあるのに気付いた。だいたいこの辺りを明るいうちに歩くことはないのだから、暗闇の社などに目が行くはずもない。

目を凝らして眺めると、難しい字で『箭弓(矢弓=やきゅう)稲荷』と書かれており、いわくのありそうな神社だ。

武州(埼玉県)東松山に1300年もつづいている同名の神社があるので、そこ出身のどなたかが江戸に勧進したものと想像はできる。

神社の新しさから、昭和に入ってから造られたのかもしれない。



カラオケとワイン

時間はちょうど午後の8時。ドアの向こうには胸もあらわに若作りをした熟女がひとり、「鴨さん、待っていましたわよ」ではなく、「あら鴨クン、いらっしゃい、また来たの」と下町っぽく、ざっくばらんなご挨拶。

「昨日も来たっけ?奥さん大丈夫?」 と余計な心配までしてくれる。

仲間たちは頻繁に通ってこの店で憂さ晴らしをしている、ボクだけは久しぶり。


ママにとってみたら酔ってからむでもなく、金払いもいい、客のいない早い時間から来てくれるから“上客”の部類に入る。

ボクは焼酎の炭酸割り。ママは「シークァーサーがあるから入れる?」といってくれたが遠慮した。それでも数杯空けるうちに、その酸味の利いた柑橘エキスを注いでもらうことに。

ハッシー(仲間内で気安く呼ばせてもらっている)はビール党。具留満氏はなんと赤ワインのボトルを抱えた。

***

歌の好みもそれぞれ違う。

ハッシーは日本人の心を歌って、演歌の花道をまっすぐに歩く。何より新曲漁りが大好き。いち早くCDを買ってきて我がものにして、ここで歌いたがる!

具留満氏はスローなバラードがお好き。「かつての赤坂や六本木で遊びまわったころの、クラブソング、ダンスミュージックがお好きなのでしょ!」と囃しているが。

かくいうボクは気が乗ればなんでもやってしまう。


何かの拍子でママが人生話をし始めた。これは初めてのこと。

「娘一人だったもので、父親からは必要以上に大事にされた。高校時代に道がまがって、自分では悪いことをしているつもりはなかったけど、夜、家に帰らなかったりしたこともあって、学校まで父親に送ってもらって」

「でも短大を卒業した年に父親は逝ってしまい、母親も早かったので」 ほろっとする場面。

これは演歌ですねえ。


ボク、大学時代のマイナーな歌を思い出してリクエストしてしまった。

< 遅かったのかい 君のことを 好きになるのが 遅かったのかい ♪ >

佐川満男の『今は幸せかい』だ。彼は今でも元気にやっているのだろうか?そして彼女は?

常連さんが二人、扉を開けてはいって来たのを潮に、「さあ帰ろう!」



浅草寺宝蔵門

10時過ぎの浅草はいつもの帰り道、浅草寺宝蔵門を撮影している外国人女性がいた。

正面から低いアングルでシンメトリーに、夜でも明るい巨大門を撮っている。

「向うに二つの仏像がありますよ。背中にスカイツリーがあってベリーインタレスティング!」 と教えてあげた。



濡れ仏


二体の仏像は“濡れ仏”の別称で知られている。

元禄に移る直前の貞享四年(1687)、綱吉の『生類憐みの令』の翌々年の作という。

上野国の高瀬善兵衛が、昔の奉公先である日本橋伊勢町の米問屋の主人善三郎の菩提を弔うために建立したのが観音菩薩。一方の勢至菩薩は子の次郎助の繁栄を祈るためのものと記されている。

二体とも堂々と「雨にも負けずに」立つ姿が“濡れ仏”の由縁だろうか。


 江戸の平和と繁栄を祈る仏像の向こうで、スカイツリーはいつもの青白い光を発して夜空に輝いていた。



仏の向うにスカイツリー

(おわり 2015年6月7日)


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