2003.8尾瀬 2004.6尾瀬 尾瀬の花 尾瀬の地図 

△ 「尾瀬夢まぼろし」

△ 旅TOP

△ ホームページTOP 


Copyright ©2003-6 Skipio all rights reserved

尾瀬のなりたち

 この雄大かつ繊細な自然をもたらした歴史とは・・・。

 今を去ること遠い遠い昔、およそ2億年前のことです。至仏山が隆起して噴火、徐々に現在の山容を固めていきました。景鶴山、アヤメ平、皿伏山など周囲の山々も長い年月をかけて同様の現象をくりかえし尾瀬の原形が少しずつできあがっていきます。
 至仏山と地塘大きな変化はほぼ1万年前の燧ケ岳の噴火にあります。流れ出した溶岩で只見川や沼尻川が堰き止められ、尾瀬沼や尾瀬ヶ原盆地が形成されました。この古代尾瀬は単なる盆地に過ぎませんでしたが、その後、原は氾濫と堆積をくりかえし自然堤防ができます。あちこちにできた自然堤防に囲まれた草原は水はけが悪いためいつの間にか湿地帯に変化していきました。これが尾瀬湿原の成り立ちです。

 泥炭のこと。
 湿地帯は養分も豊富でさまざまな水生植物が繁茂しましたが、その植物の遺骸が堆積して泥炭となりました。泥炭の堆積は1年に1ミリにもなりません。葦や菅やミズゴケも混じって堆積し、現在4−5mの泥炭層を形成していますが、その育成の速度からして数万年がかかっていると推測されています。

 わたしの記憶では、北海道ニセコの神仙沼では泥炭が池塘に露出していました。

 この湿原の土「泥炭」が尾瀬の草花を育てています。