フグを訪ねて九州へ (その3)
博多・阿蘇・熊本  2012年2月


(6) 九州国立博物館のすごさ

 



「細川家の至宝」は上野で経験したのと同じほどの賑わい
やはり九州だから?

「細川家の至宝〜永青文庫コレクション」を開催中の九州国立博物館に入った。

上野でも一度観賞したこのコレクションと、めぐり巡って、まさか九州で出会えるとは思いもよらなかった。

   

     「異界に入り込む」という印象の動線         近代装備の九州国立博物館、前面ガラス張りの外観


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入場の前にボランティアガイドの方にバックヤードを説明してもらった。数年前に完成したこの博物館は、あらゆるリスクに対応する最新のテクノロジーが導入されている。そのことは熱心なガイドさんの自信にあふれた説明が証明していた。

ここでは文化財が素封家の長男のように、大事に保護されている。

保存されているなかには掛け軸や書画、肖像画のように和紙に書かれたものもあれば、木(もく)へ彫刻した塑像もあり、そこに漆を塗ったり金銀を彩色したり、あるいは竹の細工もあれば、能面や、茶碗のような陶磁器もある。

唯一無二の文化財に万一のことがあったら国家の損失になるという危機感が根底にある。地震大国日本のこと、いつなん時ぐらりと来るかわからない。

素材に負担をかけない保存方法は、まず、温・湿度の管理が重要、素材によっては1度単位で温度管理をし、無菌庫まで備えて万全を期しているという。

また、地震対策はどの博物館でも焦眉の急であったはずだが、この博物館の中枢部は中空にあって二重三重の免震機能がほどこされ、神戸クラスの縦揺れ地震が来てもビクともしないという。

火事についても、「たとえば放火がおきても、保管庫には窒素を放射して酸素を駆逐してすばやい鎮火が可能となる」 由。

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最近は仏像や絵画など貴重な文化財の修復作業の様子を、テレビでも紹介するようになった。

老朽化して朽ちてしまう文化財は多い。日本の文化財は紙や木を素材としてできたものが多いから、永遠に姿を変えないということはあり得ない。

国宝級の修復は膠(にかわ)や岩絵の具など、素材から研究して、古い時代に使っていた素材まで作り出す。

ここでは単純に、「専用ののりを毎年仕込んでいるが10年後にしか使用できない」といっていた。おもに書画の修復を手掛けているのだろう。

学芸員の仕事は難しいが、こんなに設備の整った博物館で働くのだから、かれらは幸せだ。

しっかりがんばってもらわねば・・・。

ロビーに「博多山笠」が →



(7)九州の「細川家の至宝」

さて、コレクションのことにも少し触れなければならないだろう。

細川家の「永青文庫コレクション」のなかで重要な作品はすでに目にふれている。

たとえば細川護立コレクションの出発点「白隠禅師の乞食像」、「円相図」、「菱田春草の黒き猫」、「小林古径の髪をすく女」。

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わたしは茶器に興味がある。

千利休の時代、細川幽斎(藤孝)を継いだ忠興(三斎)は、利休七哲のひとりとして著名で、親子ほど年の差がある利休に可愛がられた。この二人が細川家の中興の祖といってもいいだろうが、忠興には凛とした武士の気骨があった。

利休が秀吉の勘気に触れて追放されたとき、秀吉を畏れることなく、淀の川べりで見送ったのも忠興と古田織部のふたりだった。

したがって細川家には利休ゆかりの茶道具や手紙も多く残されている。今回の展示でも出品された一部を書きとめておく。

楽長次郎の焼いた「黒楽茶碗 銘おとこぜ」、利休自作の「茶杓 銘ゆがみ」、利休が瓢箪(ひょうたん)をくびれの部分で切って花入れとしてつかった「瓢花入れ 銘顔回」、秀吉が主催した天正15年の北野大茶会で利休が使用した「茶入れ 尻ふくら」。この「尻ふくら」は関ケ原の軍功として徳川秀忠から拝領している。掌に載せてその感触を味わってみたいといつも思うのだが、その願いはかなわない・・・。



尻ふくら』


利休自死の直前に削ったという茶杓の、一本は古田織部に贈られ、
織部は利休の位牌代わりに持ち歩いたという。銘を「泪」という。


もう一本はやはり淀の河岸で利休を見おくった、細川忠興に贈られ、
細川家代々に伝えられた。これを「ゆがみ」という。

その茶杓 銘”ゆがみ”

それにしても細川家の面々は戦国の世をしぶとく生き抜いた。

信長、秀吉、家康と難しい為政者に仕えて、しかも今日までその隆盛を誇っている。こんな家系はきわめて珍しい。

現代に目を移せば総理もやった細川護熙(もりひろ)氏は陶芸三昧で優雅な生活を送っている。その作品もどうやら人気のようである。

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話は横道にそれる。じつはこの博物館には九州各地で出土した、有史以前のお宝、埴輪であるとか、銅鐸や銅剣やその他諸々が常設展示されている。

卑弥呼の「邪馬台国」論争の主権を、近畿から取り戻すという意図があるのかもしれない。

なかで、“海の正倉院”と呼ばれている「沖ノ島」に強く興味を持った。

いずれ、どこかで書く機会があるのではないかと思っている。



祭祀遺跡『沖ノ島』

さてこの日の午後、わたしたちは細川さんのお膝元、熊本へと向かった。

「永青文庫」と「茶器」の「利休の美」はこちらを参照

 (つづく「その4」へ


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