木曽路と温泉2003.8
<南信濃>
長野県には海はないが土地面積は日本有数の広さをもち、長野を中心とする「北信」、松本を中心とする「中信」、佐久を中心とする「東信」と天竜川沿いの伊那や飯田を中心とする「南信」に大別される。新幹線や高速道路網が発達して、避暑やドライブ・スキーなど観光のメッカ「中・北信」に出かける機会は多いが、アクセスに時間がかかる長野県南部に出かけることは極めて少ない。

お盆の送り火が灯される
8月16日、「南信濃」木曽山中に、レジャー施設「木曽路ランド」を訪れた。地名は長野県木曽郡南木曾町吾妻、岐阜県との県境の奥深い山の邑であった。東京人がめったに来られるところではない。
<木曽路と藤村>
「木曽路はすべて山の中である」
藤村の名作「夜明け前」の冒頭の一説である。
島崎藤村、明治5年馬籠の旧家に末子として誕生。9歳から上京し学問を修め早くから多くの作品を発表した。わたしには「千曲川のスケッチ」や「若菜集」が懐かしいが、「破壊」や「夜明け前」が彼の代表作。
「木曽路ランド」は「夜明け前」の情景を彷彿とさせる奥深い片田舎にある。ここからは、藤村生誕の中山道の宿場町・馬籠や妻籠までわずか7〜8キロの距離であり、車なら
15分もあれば行ってしまう。
馬籠は中山道六十九次の江戸より第43番目の宿場で、藤村の生家は、江戸時代には参勤交代の本陣として利用された名家であった。その記念館には今も当時をしのぶ遺物が展示されている。

かつて名古屋在勤時代には、手ごろなドライブコースとして、家族や友人を連れてたびたび訪ねた思い出がある。当時なにもなかったこの田舎に、だれがこんな大規模なレジャー施設を作ってしまったのだろう。
<真夏の木曽路ランド>
さて、わたしがどうしてここに来たかって?ここは家族連れで楽しめる健康温泉だから、ひと夏の汗を流しに・・・・・。
来場者は熱々の若いカップルにはじまって、幼児連れの若夫婦、中年の姦しいおばさんグループから大型の
RVでやってくる大家族までさまざま。それぞれの顧客のニーズに見合った遊びとサービスを用意しなければいけないから、経営者は苦労が多いと思う。
この地の開発は、石の切り出しをしている名古屋の企業が、切り崩して「自然破壊してしまった山を元の形に戻す」ために考えた。そのコンセプトは自然と人間が共生する豊かな「里山」の復活というもので、植林し、魚を泳がせ、動物を飼い、ここを訪れる家族それぞれが想いのままに里山の生活を楽しめるようになっている。そのコンセプトとちぐはぐな一面も見られたが、細かなことには目をつぶりたい!

その施設のあらましは・・・・・。
まず、木曽の山々を眼下に見下ろすパノラマ温泉。つぎに、信州の蕎麦打ちの真髄をぜひ体験して!と呼びかける蕎麦工房。
ホテル木曽路は奥州の香り漂う風格と気品の空間に、四季折々のこだわりの料理でもてなしてくれる。
里山体験の自然園では、自然の森が遊び場、春には桜の中でウエディングパーティもできる。子供も楽しめるマレットゴルフ?やバーベキューもレンタルで気軽にできる。釣堀や幻想的な蛍鑑賞(夏)、カルガモの散歩、木曽馬とも仲良くなれるという。地元の木曽路ビールも用意されている。
<ローマ風呂>

わたしたちは・・・・真夏の日ざしに照りつけられてたっぷり汗をかいたので、昼から温泉に。
「翠明の湯」「天凌の湯」と仰々しい名前がつけられているが、白亜の大理石でできたローマ風の豪勢な風呂。「ゆったり流れる至福の時間」「優雅に優美に」と美辞麗句で謳っているので、まぶしいくらいの開放感の中でゆったりと盆の風呂につかった。木曽の山奥に来て、この瞬間わたしはシーザーやクレオパトラの気持ちになった・・・・・。

身体を洗いながらおかしなことを考えた。藤村はローマ風呂のことを知っていただろうか?
旧家の出で英語の先生まで務めた藤村先生だから知らないはずはなかったろうが、はたしてこの地にローマ風呂ができるなんてことは想像もしなかったに違いない。(どうでもいいことか・・・)
しかしこの風呂は、木曽路の「夜明け前」とはまったく対極にある、白々しい明るさ。
名物の湯葉料理を食しての帰り道・・・・・ローマ風呂も良かったが、わたしはやはり茅葺に囲まれた、苔むした石組みの、うら寂しい温泉を恋しく思っていた。日本人だなあ!
<続く>
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