西暦 年号 年齢 年  表  ( できごと )
一豊 千代
1534 天文 3 織田信長誕生
1537 6 羽柴秀吉誕生  前田利家、尾張国荒子に生まれる 
1542 11 徳川家康誕生
1545 14 1 山内一豊誕生、岩倉織田氏の家老・山内盛豊の3男として黒田城にて
1557 弘治 3 13 1 次兄の十郎が夜襲に遭い何ものかに殺害される
千代誕生
1559 永禄 2 15 3 信長の進攻により岩倉城落城、一豊の父・盛豊戦死。一豊は浅井政高、前野長康を頼る
1560 3 16 4 美濃の牧村城主・牧村政倫を頼る 後に近江の山岡景隆に仕える
信長、桶狭間の戦いで今川義元を破る
1567 10 23 11 信長、稲葉山j城を攻め落とし、斉藤氏を滅ぼす
1568 11 24 12 この頃、信長に仕える  信長、足利義昭を擁して上洛
1570 元亀 1 26 14 信長、越前の朝倉氏を攻めるが浅井氏の挟撃に遭って退却
この頃、千代と結婚
1573 天正 1 29 17 姉川の戦い 羽柴秀吉が横山城に入り、一豊はその指揮下
刀根坂の戦いで朝倉方の猛将・三段崎勘右衛門を討ち取る
秀吉のもとで近江唐国に400石を与えられる
1575 3 31 19 長篠の戦 一豊も秀吉軍として参加
1577 5 33 21 秀吉の播磨平野平定戦に従軍 播磨有年に700石を与えられる
1578 6 34 22 三木城を包囲しつつ、摂津伊丹城攻めに参加
1581 9 37 25 京都の馬揃えで信長の目にとまる
1582 10 38 26 本能寺の変
山崎の戦で秀吉本隊に属す 戦後2500石を与えられる
1583 11 39 27 秀吉の伊勢・滝川一益攻めに従軍 
亀山城攻めで一番乗りを果たすも家臣・五藤為浄戦死
賤ケ岳の戦いに従軍 論功行賞で2860石
1584 12 40 28 小牧・長久手の戦いに従軍 長浜5000石に加増
1585 13 41 29 秀吉の紀州攻めに従軍
若狭高浜城主となり、2万石を与えられ豊臣秀次の宿老となる
一人娘のよねを天正大地震で失う
1586 14 42 30 一豊の母法秀院、逝去
1590 18 46 34 秀吉の小田原城攻めに従軍 論功行賞で掛川5万石を受領
1591 19 47 35 秀吉から朝鮮出兵のため軍船建造を命じられる
1595 文禄 4 51 39 豊臣秀次、自刃
一豊、秀次の旧領から加増され、5万9千石
1598 慶長 3 54 42 秀吉 死去
1600 5 56 44 関が原に東軍として参加
戦後の論功行賞で土佐20万石を与えられる
1601 6 57 45 土佐に上陸、浦戸城に入る 高知城の築城開始
1603 8 59 47 家康征夷大将軍となる
1605 10 61 49 一豊・千代、伏見で家康・秀忠親子に謁見 養子忠義(国松)と家康の養女・阿姫との婚約
一豊高知城内で死去、千代出家して見性院と名乗る
1606 11 50 見性院、高知を去り京都に移る
1617 元和 3 61 見性院、死去

山内一豊・千代の人生年表


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