日光白根山に登る
〜温泉と山登りと避暑と〜
登山は2013年7月8〜9日



お願いだから
後から押さないでください!!!

百名山のひとつ日光白根山に登ってきました
ロープウェイ頂上駅から
白根の頂が見えた
ここから578mを登る



間もなく頂上という
胸突き八丁の岩場
森林限界のうえ
いくつかの沼が、秀逸な景観を作り出す

左奥丸沼、真中菅沼、右弥陀ヶ池



3時間かけて登頂!
やったね






環湖荘の落ち着いた佇まい

1) 丸沼湖畔の宿

梅雨が明け、夏空が大きく広がっている。

今回の山歩きは雨も予想していただけに、梅雨明けの早さは感謝以外のなにものでもない。

ニュースで聞くところによると東京は39度の猛暑日であったとか、高原の涼しさのありがたさが身にしみる。

一泊二日の日光白根の登山は、早いうちに登山隊長から日程の提案があって(梅雨の合間の幸運を願って)実現の運びとなった。

一日目は現地に入ってゆっくり休むだけ、夏休みにはまだすこしの間があるため家族連れは皆無で、『丸沼高原』を静謐さが覆っていた。



丸沼、朝の静寂

泊ったのは『環湖荘(かんこそう)』、“標高1430mに建つ湖畔の一軒宿”というのがキャッチフレーズで、丸沼湖畔に一人(?)静かにたたずむ。

緑の中に湖が鏡のような湖面を見せていて、なかなかに素晴らしい山荘だった。

なかでいちばん気に入ったのは、はたらいている人たちのマナーのよさ。気遣いや心遣い、自然の笑顔は、きちんとしつけても実現までこぎつけるのは並大抵ではない。旅人を迎えるためのサービスのなんたるかをよく心得ている。わたしの評価は高かった!

温泉もよかった。

一帯は昔の火山帯に属する。だからということではないだろうが、この施設でも天然の温泉が湧出する。源泉48℃という熱さで、これを温めもせず水も加えず、かけ流しに浴槽に引いている。無色透明の単純温泉ゆえに、大きな浴槽は清潔感があふれる。気持ちいい!

『虹マス』風呂と名づけた男性用風呂場の正面には、大きく成長した岩魚や山女や虹マスが悠々と泳いでいた。夕食に山女が出てきたが、泳いでいる魚とは別の小さなヤツだった!

湯は熱すぎるくらいなので、ゆっくりとつかっていたい方にはちょっと不満。

普段から“カラスの行水”といわれているわたしには、すぐに温まってちょうどよかった。



ボートで遊ぶ



夕食はシンプル
山の幸を中心に

夏休み前のこの時期は、学校教育の一環で小中学生は山小屋で合宿をする。

この日も多摩地域の小学6年生が3台のバスで押しかけていた。騒がしさを怖れる気持ちはあったが、都会の子どもたちは先生のことばに従順で静かな夜を過ごすことができた・・・とはいっても、年寄りは9時前には布団をかぶって寝てしまったわけだから、そのあとのことは何も知らない。

夕食時、サービスをしてくれた若い男性に、冬場はどうして過ごすのかを質問してみた。この施設は雪が降ったらクローズされる。給料をもらえないのでたちまち生活不安に陥ると思ったのだが、かれは、

「スキー場で仕事をします。片品村には両手で数えるほどのスキー場がありますから・・・僕はどちらかというとそちらが本命です」 と答えてくれた。

あと半年もすれば、沼田から片品村への街道の難所・椎坂峠に長いトンネルが通じて、観光客も増えるだろう。うまく雇用がまわってくれるといい・・・。

***

朝、スリッパを引っかけて湖畔を歩いてみた。

太陽が西の山肌に、三角形の影を映し出す。よく眺めてみると緑の湖面に他の緑が縦じまの模様をつくっている。その反映が時々刻々と変化している。人っ子一人いなく、まったくの静寂。おっと、鳥たちの鳴き声だけは耳に入ってくる。

やがてボート守の若者が現れて仕事を始めた。

この湖は釣りも盛んのようで、ルアーでは50cm前後もかかるという。

さてわたしたちは朝飯を食べて、いざ山登り!


2) ロープウエイとコマクサ

アーネスト・サトウ(18431929)の名は日本近代史に欠かせない名前かもしれない。維新前後の混乱した日本で、英国公使オールコックの日本語通訳として維新の元勲たちと親交を深め、のちに駐日英国公使(18951900)も務めた。

かれは最初の赴任の時期に、日本女性・武田兼とのあいだに三人の子どもをもうけている。

その次男が日本山岳会の設立に尽力し、自ら第6代山岳会会長に就いた“武田久吉(ひさよし1883=明治261972=昭和47)”翁である。

サトウは自ら山に登り、その遺伝子を受け継いだ武田翁も日本の高山を渉猟した。武田博士の専門は植物学で、高山植物研究の先達、あるいは“泰斗”といっていいかもしれない。

***

前置きがいささか長くなった。

翁が日本山岳会会報『山岳』創刊号に書かれた“尾瀬紀行”(平凡社「明治の山旅」)のなかに、日光白根山について触れた文章があったので引用させてもらう。青年武田らは私たちとは逆の、日光湯元から尾瀬を目指した、その途中の情景である。

<湯元に着くやすぐさま翌日を期して白根登山を試みたり、我らはいまだこの山に熟せざれば、案内の男一人(勝=まさる)連れたり。・・・・・我らはみちみち勝の植物学に腹を抱えつつ前白根に達し、やがて五色沼を望むべき一角に出たり、このとき風は恐ろしきまでに吹き出で、雲霧を飛ばし、終には我らが体を吹き飛ばさんばかりに荒れぬ。我らは奥白根に登ることの危険なるを思い、僅かに五色沼の畔を廻りしのみにて下山せり、実は吹き下されたるなり、されど帰途、前白根の一角より男体、太郎等を望みたる時は壮快なりき>

このとき翁らは白根登頂を断念している。その数日後、かれらは金精峠から白根山の登山口を経由して片品川に出る。そして戸倉から鳩待峠にいたり、当時は前人未到とも言える尾瀬に入った・・・。



昨日宿泊した
丸沼

現代のわたしたちは藪漕ぎもなし、急流の渡渉もなしで、楽チンである。

白根山ロープウェイが動き始める8時に丸沼高原に到着、すぐにスキー用(冬場)ロープウェイに乗り込む。この鳥かごは滑るように軽快に急坂を登ってゆく。前日泊った丸沼が徐々に小さくなったかと思う間もなく頂上駅に着いた。高低差600mをたったの15分で登りきって2000mの高みにやってきた。(AM 8:20

こころなしか空気がうすいようだが、ここは間違いなく天井の楽園、高山植物の宝庫!

いきなり目に入ったのは、めったに見られない高山植物の女王“コマクサ”。



高山植物の女王
コマクサ

木曾駒ケ岳以来だろうか?

目を上げると、三つの頂をもつ濃緑色の山がすぐ近くに見えた。

(あの山に登る・・・・・)



あの山に登る
左が奥白根(日光白根山)、真中は前白根山、右は外山か


3) フィトンチッドの森を抜けて

この山は関東以北の最高峰2,578mを誇り、日本百名山の一つ。

そして神の宿る霊山・・・。

8時半、装備をチェックして、分祀された日光“二荒山((ふたらさん)神社”に山の安全を祈願して歩き始めた。

辺りの森は途中まで、ハイキングコースも兼ねており、ここなら小さな子どもや足に自信のない方も1時間ほどの散策を楽しめる。

木漏れ日の中を歩いていると、白ビソの多い森の中は、湿気のせいでシダ類や苔が倒木や地肌にびっしりと這い、その下には栄養十分の枯葉が厚く堆積している。

わたしたちは森がかもし出す“フィトンチッド(香り)”で森林浴をしながら、鼻歌交じりの歩行を楽しんでいた・・・しかしこれは登山、いつまでもそんなのんびりとやっているわけにはいかない。

ハイキングコースと道を分けたころから勾配は急にきつくなってきた。

それでもところどころに紅色の“イワカガミ”が顔を覗かせて、一服の清涼剤となっていた。



イワカガミは
登山道にずっと付き添ってくれていた



七色平に咲くハクサンチドリ



コバイケイソウの斜面

先に“霊山”と書いたが、『大日如来』の解説が立っていた。

『大日如来』といえば空海が持ち帰った密教の根本教主だ。

平安初期の最澄・空海の入唐求法(にっとうぐほう)以後、道の奥各地(東北地方)には、かれらの弟子たちが布教、あるいは若者の鍛錬のために派遣されて、山岳の道場を打ちたてた。

松島瑞巌寺しかり、山形の立石寺(山寺)しかり。

日光近辺も盛んであったに違いない。

比較的新しい看板には次のように書かれていた。

<山岳修験の中心には大日如来があり、ここ白根山でも同様に大日如来を中心に諸仏諸尊が祀られ、古来“道”を究める人々の修行の場となってきた。>

想像することはできる、修験者たちがなにごとか経を唱えながら、森や岩山を走り回る姿を・・・。

わたしたちは胸突き八丁を、息を切らせて登りきった。そこには明るい平原が待っていた。



森林限界を抜けた?

ここを“七色平”といって、様相がこれまでとがらりと変った。(9:08

山岳信仰で言えば、苦しみの俗界から逃れてやっと“浄土”の入口にたどり着いた、とでもいえようか。今の科学的感性でもってしても、そう考えれば苦界から抜け出た感覚はある。

いちばんに目だったのは“コバイケイソウ(小梅尅)”の群落。まだ白い花をつけていないが、この植物は明るい湿性草原にしか生えない。

いままでが薄暗い森の中だっただけに、この明るさはきわだっている。

そして彼らの足もとには丈の低い、白色の“チングルマ(稚児車)”、黄色い五弁花はシナノキンバイだろうか。もうひとつ紅紫色の花“ハクサンチドリ(白山千鳥)”が視界に入った。



チングルマ



弥陀ヶ池を見下ろす
心なしか水が少ない

さらに1時間を費やして“弥陀ヶ池”への分岐に差しかかった。(10:05)

この辺りでブラブラして帰りを待つという怠け者の手はあるものの、日本男児たるもの、そういうわけにはいかない。右手に道をとってひたすら上へと登る。頂上はまだまだ先のようだ。


4) 登頂 日光白根山

森林限界を抜け視界が開けると、左側にギザギザの頭を持つ燧ケ岳2356m)が雄姿を現した。



右の奥が燧ケ岳
左奥のなだらかな山容が至仏山
尾瀬湿原はこの二つの山の間におさまっている

ここで前述の武田久吉翁の文章をもう一度お借りしたい。

<燧ケ岳は海を抜くこと7,800余尺、峰頭二つに分ける、これを日光の諸山より望むに形貌すこぶる秀麗なり。>

1尺を30cmとして計算すると2,340mとなり、すでに当時の測量はきちんとしていた!そしてまさしく秀麗なり!



木々の梢のあいだから“丸沼”が見えた



急な斜面にイワカガミ

弥陀ヶ池が少しずつ小さくなっているのを感じて、ああ登っているなという実感がある。

いきなり、左の潅木のあいだに“五色沼”が見えた。“ワンダフル!”とでも叫びたい気持ちだ。

このあたりまでくると高い木は姿を消して、登山道の両脇を石楠花(ハクサンシャクナゲ)の群落が埋めている。この花は寒さに強いのでしょう。2000mを越す高山にあって大ぶりの花を咲かせるのは立派としか言いようがない。白色もあればピンクもあって気持ちを和ませてくれる。



白い石楠花



ハクサンシャクナゲの白
白は清楚



小指の先ほどの大きさ
ツガザクラ

足元はゴツゴツした瓦礫。

浮石に注意して三点確保の原則を忠実に守りながら高度を稼ぐ。

確実に一歩ずつ上る。“よじ登る”という表現が適切かもしれない。

登山道の両側にロープが張られて、道を規制している。迷子防止と植生の保護のためだろう。

岩場から下をのぞくと頭がクラッとして体の重心を失ってしまいそう、できるだけ下を見ないで手もと、足もとに注力する。ほかの事は考えない。

(もしここで滑落したら人生も一巻の終りだ)などと・・・。

岩そして岩山、左手にニョキっと突き出た鋭い岩峰に三人の若者、なかに女性の姿が見える。痺れる。

***

大股で危険そうな大岩を乗り越えると、すぐ近くに頂きが見えた。

先の見えない不安から開放されてほっと一息、頂上までは10mほどの窪地にいちど下って、登り返す。

1130分、登頂。




2578mの頂きは大きな岩を積み重ねたゴツゴツ感のある小さなスペース。その頂上を示す杭にしがみつく。あとから登ってくる人のために、いつまでもここに居座るわけにはいかないので、登頂の歓喜!をカメラに収めて他の岩場に移動する。周囲では登頂者たちが明るい顔をしてお弁当を広げている。

向こうの平らなところでは若者たちの一群がリズムに乗って体を動かしている。何かを踊っている様子だ・・・踊りたくなる気分? それならよくわかる。

遮るもののない、関東以北の最高地点。薄い雲はあるものの遠方まできれいに見渡すことができる。実に爽快な気分だ・・・。



思い思いに食事を取る


5) 満足そして下山

山から下りた直後の感想は大事。

「あー、しんどかった、もう山はこりごりだ、止めよう」 と思う場合もあるし、「よかった、もう一度登ってもいいなあ」 と感じることもある。山を好きになるか否かの、重要な分かれ目はそこにある。

普通の仕事人ならこう思うのではないか。

厳しさがあるから達成の喜びが味わえるし、厳しさが増すから喜びも倍加されるのではないか・・・山の魅力は、難しい仕事を成し遂げたときの達成感の魅力ともいうべきだろう。

一歩ずつ大地を踏みしめながら上を目指す、地味な仕事でもある。

それゆえ度を過ぎた難しさは、挑戦意欲を萎えさせ、ひいてはトラブルにつながる。身の程を知った“山”を選ばねばならない!



五色沼

日光白根山は手ごろな山であった。

急坂を息せき切って登攀するときの苦しさ、岩にしがみついてよじ登るときの恐怖はそれなりにあったものの、全体を通しての歩行時間はほぼ45時間と短かった。

小さな花がたくさん、風に吹かれながら頑張って根を張っていたし、途中で出合った湖沼の光景も賞賛に値した。何よりこの山の頂は360度の展望に恵まれている。

一部を繰り返すことになるが、

<燧ケ岳は、これを日光の諸山より望むに形貌すこぶる秀麗なり。また、南は脈を収めて、西南上毛の至仏山に対す、至仏は西南に延びて笠科山を隆起し、さらに西南武尊(ほたか)、迦葉(かしょう)の連脈につらなる>

そして、わたしたちは東に、明確な日光男体山と中禅寺湖を観た。男体山は円錐状の秀麗な姿を眼下に見せ、中禅寺湖はその右脇に落ち着いてたたずんでいた。

夏雲の出てきた頂上で四囲をながめてみると、まるで信長や秀吉が天下取りをしたときのような、爽快な気分に浸れる。



男体山と中禅寺湖

そして充実した昼飯の時間は1時間半をとった。

環湖荘に用意してもらったおにぎり2個とおかずが美味しい。

この昼飯にはさらに秀逸なおまけがついていた。

それは、登山隊長が持参したコンロで入れてくれた温かいスープとコーヒー!

これだ!これが山の魅力だ! と感じさせる何かがあった。

抜群の眺望のなかでフーフーいいながら飲んだスープは五臓六腑にしみわたった。

ドリップで入れたコーヒーも仕事の合間に入れて飲むやつとは明らかに違った・・・。



あのケーブル駅まで下る

(おわり 2013年7月19日)


△ 旅TOP

△ ホームページTOP


Copyright ©2003-15 Skipio all rights reserved