初冬の札幌にたたずんで−3
札幌農学校寄宿舎「恵迪寮」


<開拓の村>

北海道開拓の村

「新札幌」でタクシーをつかまえて「野幌の開拓の村に行ってください!」と頼むと、運ちゃんに「どちらですか?」と聞かれてしまいました。

「えっ、ほかにも開拓の村があるのですか?」と思わず口をついて出たことばに、「お客さん、背広を着ているから、仕事関係の人なのかと思って。いまアスベストの撤去とかで大騒ぎしている最中でして・・・それなら事務所のほうにお連れしなければいけないので!」

どうやら、記念館の展示物に現在世間を騒がせているアスベストが混じっていることのようで、その関連の人間に間違われたようでした。

「それにしても、いまどき山の上は寒くてどうしようもないですよ!これから少し降りそうですから。」と脅かされました。

たしかに早朝の天気予報は「雪!」を告げていました。
 そしてその雪が舞い降りてきたようです。

わたしはこの開拓の村に移設されたというある「建物」に向かって歩き始めました。


<恵迪寮・・・青春の蹉跌>

恵迪寮玄関

明治38年北11条西7丁目に建てられた寄宿舎「恵迪寮」

「恵迪寮」・・・このことばを聞くといつもY君のことを思い出します。
 そして真摯にかれの鎮魂を祈るのです。

竹馬の友・Y君・・・小学校・中学校と互いに違うクラスの級長を務め、夜も遅くまで机を並べて勉学に励んだ友人です。父親の転勤が頻繁であったので、かれは優しさに勝る伯父・伯母の手で育てられました。いっしょに風呂にはいり、夕食をいただき、夜食も食べ、いっしょに通学もしました。よく遊びよく学び、自他ともに優等生を認識していました。

高校3年の10月、体育祭も終って大学受験の最終コーナーにはいりかけたときでした。わたしは、かれがねだって手に入れたオートバイに乗って田舎道を走っていました。収穫の終ったたんぼ道に穏やかな秋の陽射が落ちています。瞬間、石をよけようとした弾みでドーンと転倒してしまいました。ヘルメットをつけていないわたしは、避ける間もなく地面にたたきつけられ、脳震盪を起こし、いっとき昏睡状態をさまよったのです。結果は、頭蓋骨亀裂という大事故。

100日間入院という、人生における最初の挫折を味わうことになります。


<学生運動と悲劇>

瓔珞みがくその1年後、Y君は北の都にある北海道大学工学部を目指していました。

「あのバンカラな寮にはいって自分を鍛えなおしたいのだ!」

どちらかといえば裕福な家庭に育ち、不自由なことなど何一つないかれの口から意外なことばを聞いたのは、互いに大学受験に失敗し予備校の寮にはいって悩み多き青春を過ごしていたころのこと・・・。

「今まで幸せすぎて、世の中の不幸な人のことなど聞きたくもないという思いでずっと生きてきた。でも予備校の寮でいろんな奴の話を聞いていると・・・」

北大に進学したいという動機に不自然さを感じたものの、北の厳しい風土で自分を見直したいというかれの気持ちは十二分に伝わってきました。

今思えば、ちょうど自我に目覚める巣立ちのころ。誰もが一度は経験する将来に対する不安や自己嫌悪が交錯する難しい時期、それも青春の一ページ。

二浪してまで挑戦した夢はかなえられず、かれは東京にある某私立の工科系大学に進学しました。純白無垢な精神はたちまち学生運動の赤い色に染まり、それどころかその奥にある危険な場所にどんどん近づいていったのです。そこでかれを待っていたのは衝撃の逮捕、収監、留年、逮捕という惨めな負の連鎖でした。一時は何処で生活しているのかもわからない不安定な生活が続いたのです。

二浪二流したかれが某建設会社に就職したという便りはかれの両親を喜ばせ、これで昔のかれに戻るだろうと周囲はみんな安心しました。ところが、仕事を始めた年の秋のある夜、かれの母親から突然の訃報が届きました。

「Yちゃんが工事現場の事故で亡くなった!即死だった!」

電話口のわたしは、母親の悲痛な叫びに返すことばがありませでした。

(あの親不孝の罰当たりめ!なんなのだ!)

さんざん迷惑をかけたうえに、一つの恩も返すことなく勝手に一人で逝ってしまったY。

親より先に逝く子の葬儀ほど、悲壮感が漂うものはありません。わたしは呆然として涙もなかった。


<宿命>

シュプレヒコール!

壁紙に革マル、危機、飛躍などの文字が躍る。索漠たる青春の苦悩。

あれから30年が経ち、今わたしはかれが目指したその寮の前に立ち、厳粛な気持ちで友のことを思い出しています。その大学の学生寮を「恵迪(けいてき)寮」といいます。

「書経」が出典で、その意は「迪(みち)に恵(したが)えば吉(よ)し」です。恵迪して、立派に社会に貢献する人材を輩出したバンカラな学生寮と、それに挑戦して敗れ悲惨な運命をたどったY君。あまりに相反する運命の差をつきつけられたわたしは呆然とするしかありませんでした。

<続く>


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