北海道のおいしいもの
<札幌ラーメン>

 

<ラーメン好き>

 札幌人はラーメンが好きだ。犬も歩けばラーメン屋にあたるというほど町のあちこちにラーメンの看板が立ち並び、それぞれ味に個性と特徴があり、うちが一番という自信とプライドを持っている。

 出張者から、「どこが一番おいしいの?」という質問をよく受けたが、その人の嗜好を確かめてからでないと迂闊な返事はできない。私自身も、季節により、曜日により、時間によりあるいは天候により、お腹の空き具合によって好みの店を選び分けていた。加えて新手の勃興は粗製濫造の感があり、わたしとしては守旧派の伝統店を選ぶしかなかった。

<ラーメンのルーツ>

 これは札幌ラーメンのルーツといえようか、TVで放映したので記憶に残っている方は多いと思う。
 大正11(1922)年といえば関東大震災の前年、日本のラーメン史上に残る料理店「竹家(たけや)」が北海道大学の正門前に開店した。はじめは大衆食堂だったのが、中国人の料理人を雇い入れてから中国料理の専門店となった。評判のメニューのひとつに、「肉絲麺(ルースーメン)」という麺料理があった。ところが、店に来る日本人客がなかなか料理名を覚えてくれないため、「ラーメン」と名づけて貼りだしたところ、これが定着した。あるいはこれが日本の『ラーメン』のルーツかもしれない。
 東京や横浜にはすでに中国料理店はあったが、まだ「中華そば」「支那そば」という呼び方が一般的だった。

 それ以前の札幌にも「支那そば」はあった。大正8(1919)年、狸小路2丁目に開店した果物店「百留屋・パーラー」が供した支那そばはしょうゆ味で、スープのダシは豚骨、鶏、玉ネギ、長ネギなどでとっていたようだ。

 戦後は混乱の中から、日本のどこの都市もそうであったように屋台とチャルメラの「支那そば」の時代が到来したが、そんな中で札幌のラーメンが際立って成長していった理由の一つは気候にあるかと思う。寒冷かつ湿度が低く、夏でも乾燥している。フーフーいいながら熱い汁をすするラーメンは札幌(北海道)に合っていた。

<だるま軒>

 (札幌市中央区南3条東1丁目) 
二条市場だるま軒 札幌のラーメン好きなら皆さんご存知の話がある。

 昭和22(1947)年の春、狸小路2丁目あたりに「だるま軒」というラーメン屋台が現れた。西山仙治氏の店で、製麺の技術に定評があった。その後二条市場内に店舗を構え、製麺部門は専門の工場を別に開き、これがのちに「札幌ラーメンといえば西山の麺」といわれる製麺企業「西山製麺」の礎となる。
 この店驚くなかれ、昭和30年代には1日1000人の客が訪れたという。1回に茹で上がるどんぶりは30枚。戦争のような忙しさという形容は、敗戦の日本には厳しい言葉だが、間違っていなかった。

 現代でも「だるま軒」は二条市場内に隆々とした繁栄を誇っているが、市場の中だから広さは願うべくもない。間口1.8mの狭い暖簾をくぐると、中はうなぎの寝床のように細長いカウンターが続く。足元は昔懐かしい土間である。(これがあの名店?)と少々驚きはしたが、東京風のシンプルな醤油味はわたしの好みにあっていた。ごてごてと飾って濃い味に仕立てあげる新手のラーメンを苦々しく思っていただけに、新鮮さを感じた。値段も手ごろであったことから「だるま軒」通いはずっと続いた。

<王香>

 (札幌市中央区南18条西11丁目)

 石山通・王香(オーシャン)「オウシャン」と読む。札幌の中心部をはずれ、石山通を南にしばらく走る。評判のおいしいラーメン屋があると聞いたので、何回か車で走ったが、いつも売り切れて食べさせてもらえない。やっとありついたラーメンは、一口目の薄いかなと感じた印象から、飲むほどに変化し、旨みがじわりと伝わってくる。ヒヨコのように薄い黄色の麺も、スープとの相性は抜群に合っている。そしてその全体はだるま軒に似てシンプルな醤油味だった。
 後でわかったことだが、それもそのはず・・・・

 ご主人の大森久蔵さんは昭和30(1955)年から「だるま軒」に勤め、昭和43(1968)年に独立、ご夫婦で「王香(オウシャン)」を開業した。

 自家製麺の草分け的存在というのも納得がいく。良質のかん水と小麦粉だけを使用した自家製麺のキャリアは、2000年現在で数えてみても確かに45年だ。ご主人が、毎日丹精込めて作る極上品だから、売り切り御免された過去も許してしまう。

 またご主人は、「だるま軒」の3代目も継がれた。今でも毎日両店の麺を打っているという。肩にかかる責任は重い。

<味の三平と味噌ラーメン>

 (南一条西三丁目大丸藤井セントラルビル4F)

 元祖味噌ラーメン戦後札幌ラーメン史で忘れてならないのは「龍鳳」の創業者・松田勘七氏。裸一貫からのスタートだった。ズブの素人が創成川沿いで小さな屋台をはじめた。豚骨醤油味のラーメンを作り出し、一世を風靡した。その松田氏に誘われてラーメン界にはいったのが「味の三平」創業者の大森守人氏。
 研究熱心な大森氏は工夫を重ね「味噌味にもやしの札幌味噌ラーメン」を考案した。

 札幌の中心街、カウンターのみ12席で、昼食時は混みあって待つことを覚悟するしかない。グループで行っても店員の指示で分かれて座席をいただく。

 最初に感じたのは「強気」「自信満々」といった店づくり。各種の賞状が飾ってあったり、店主の写真に「伝統の技を受け継ぐ職人」なるコピーを付けてパネルにしてあったり。商売の方もやはり強気で、かなり小さめの丼に入った、オプション無しのラーメンで800円と高い。
 さて、味噌ラーメンはシンプル。もやしと玉葱、メンマとチャーシューのみ。脂っこく、旨味は薄いが素材の味は出ている。
 わたしはこの店に慇懃無礼を感じ、裏を返したにとどまっている。


 まだまだ数え切れない多くの名店が控えていて、思い出すたびに徐々に書き加えたいと思っている。

<続く>


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